中国について

実は中国には一度しか行ったことがなく、それも仕事で行ったので、観光はしていないが、たった一度でも、色んなことがあったので、ちょっと書いてみたい。

中国に滞在したのは、二泊三日。

上海経由で、会社の工場のある地方都市へ。

まず、中国といえば、本場の中華料理ということで、食事をとても楽しみにしていた。アメリカにいるときも、どんな小さな田舎町にも中華料理はあり、長期滞在になると、アメリカンフードを食べ続けることになり、そうなると胃もたれなど体調不良が起こるので、中華料理は本当に助かった。よって、中華料理は好きだ。早速、ホテル近く大衆食堂のようなところで食べた夕飯がとても美味しくて感動したのを覚えている。さらに、朝起きて食べたホテルの朝食もまた美味しい。旅先の食事が美味しいと、それだけでその最高の旅となる。そして、お昼はというと、社員食堂で食べたのだが、これまた最高に美味しい。ただ、日本の社員食堂に必ずあるアレがない。それは、水である。聞いてみると、中国人は食事中に水を飲まないらしい。代わりにスープを食べるとのことで、カルチャーショックを受けた。日本にある中華料理には水が出てくるから、今までそんなことは知らなかったが、やはり所変われば品変わるといったところか。

そして、実は中国に着いてからずっと耳が痛かった。原因はわからなかったが、それが二日目には結構な痛みになってしまい、お願いをして病院へ連れて行ってもらうことにした。連れて行ってもらった病院は、中国陸軍なんとか病院(正式名称は忘れた)という仰々しい名前だった。中はとても大きく立派な病院だった。早速、通訳の方と一緒に耳鼻科の受付をして、ようやく数時間待ってようやく名前を呼ばれたので、病室の前へ。そこからずっと待っていたが、あとからくる人がどんどん入っていくが、一向に自分の名前は呼ばれない。通訳の方に聞いてみると、よく分からないというので、周りの人に聞き込みをしてもらうと、なんと病室の中で待たないといけなかったらしい。

病室に入ると、医者と患者、そして4人くらいの待っている人が狭い病室にいた。そして、ジロジロと一緒に診察をみていて、中には待っている身分ながら医者に質問したりする人もいて、まさにカルチャーショック。自分の番になったときも、後ろから他人に見られながらの診察はなんか恥ずかしかった。そして、すぐに診察は終わり、炎症を起こしているからと言って、点耳薬を処方された。とりあえず、使っていたら、確かに二日後には治った。

あとから、通訳の人に、なんでこんなシステムなのかと聞いてみると、分からないと言われた。通訳の人も病院にはほとんど行ったことがなく、中国人は病院には行かず、薬を買って治すのが普通だと言われた。日本は病院がたくさんあるし、恵まれてるなと思った。しかし、それこそ、医療費負担増の原因であり、日本医師会と政治家の思惑かもしれないとも少し思った。

それはそれとして、夜になるとレストランで白酒(バイチュウ)を飲んだ。お酒に弱い私だったが、意外と人並みに飲むことが出来た。もちろん、酔っぱらいはしたが、翌日には全く残っておらず、美味しいお酒だった。

そして、最後の最後は空港で事件が起きた。カバンの上に置いておいたアイフォンがいつの間にかなくなっていた。すぐに空港のlost and foundに行ってみたが、なくしたものがアイフォンだと伝えた瞬間に係員に、それはもう見つからないと言われた。探すつもりもなければ、もし万が一持ち込まれても、そこから私に渡すつもりもないということなのかなと思い、諦めざるを得なかった。以前の記事でアイフォンが返ってきたことを紹介したが、それとは雲泥の差であった。

またいつか中国に行ってみたいと思う。

 

 

開墾について

庭付きの家を購入した最大の理由は家庭菜園を楽しみたいということだった。

庭でバーベキューや以前紹介したピザ窯などももちろん楽しかったし、流しそうめんも楽しんだが、やはり家庭菜園が一番の楽しみだった。しかし、これまでは出張が多く、なかなか最後までしっかり育てられないこともあったり、また仕事、子育てや家事に時間を取られて、時間や精神的な余裕がなかったりと、うまくいかないことも多かった。その中でも、ゴーヤ、じゃがいも、トウモロコシ、トマト、玉ねぎ、ニンニク、サツマイモ、枝豆、人参、大根などなど、色々と育ててきた。

しかし、最近ではすっかり時間の使い方が上手くなってきたことと、これまでの失敗を活かすべく、どうしたらいいのかと考えたりしているうちに、家庭菜園への熱意が再燃し、開墾作業を始めた。

まず、雑草が生え茂っていた畑の雑草を抜き、土おこし。

農業で一番大変な作業は実は雑草との闘いだと思っている。農家が高齢化してくれば、これを広大な農地においてこまめにやることは困難であり、だからモンサント社の除草剤なんかが出回るわけで、とても重労働なので、私の畑のようにとても小さなものでも、なかなかやる気が起きない。

しかし、今回、一念発起し、早速、土おこしをし、150×80と200×80の2つの畑を作ることにした。

これまでは、直に土に植えていたが、それだと隣からの雑草にいつの間にか畑が侵食されたり、また畑との境がわかりにくくなったり、管理が大変なので、しっかりと区切ることにした。

まず、雑草を取って、土おこししたのが、これ。


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この状態で、数日間放置してみて、いよいよ、次の段階へ。

まずは、今回使うものを紹介。


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レンガを100個、防草シート、そして堆肥。

ホームセンターで購入。

 

 


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防草シートを畑とその周りをカバーするように敷いてみた。

そして、区切り用のレンガを仮に置いてみた。畑の整地はザックリとしかしてなかったので、レンガはガタガタ。


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このあと、レンガの内部の防草シートをカットして、レンガの高さを合わせる作業。これが今回の山場。柔らかい土や硬い土を場所によって使い分けたりしながら、防草シートの下に土を出し入れして調整するという地味でいて、レンガを毎回動かさないといけないので重労働でもある。

そして、レンガのレベル合わせをしながら一段目を並べ、だいたい出来たところで二段目も積んで、防草シートをカットしたら、こんな感じ。


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逆光になってしまったため、角度を変えて撮影。あとは、内部に残っている防草シートを土で隠すだけ。

そして、完成!!

あとは、何日か放置して、雨などで土の中の石が浮かんできたら拾って、ある程度のところで堆肥を混ぜて、栽培となる。


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記念すべき第一号野菜は何にしようか、考え中。

 

阿武町誤送金問題について

最近、世間を騒がせているこのニュースだが、残念な事が色々ある。

まず、ニュースを見ていると、返金しないことへの批判が多く見られ、ネットなどではむしろ、町の対応に対し、疑問を投げかけるものが多いように見える。

日本は基本的には、間違って送金されたものと分かったなら、何も言わずそのまま返すべきだ、つまり返さないのはおかしいという道徳的観念があるように思う。逆に日本以外の多くの国では、盗まれる方が悪い、と考える国が多い。お金を持っている人はしっかり守るべきで、もしお金を無防備に持っているなら取られて当然、というのが基本である。しかし、そのため、そういうヨーロッパ的な思想がすっかり浸透しているのか、そんな大金(阿武町においては)をいとも簡単に送金してしまうという根本的な問題をネット界隈では論じられている。阿武町側の会見などを見ていると、送金ミス自体はなんとなくスルーされて、あたかも盗まれたかのような言い方になっているようにも見えて、違和感は残る。

とはいえ、私はこの部分はあまり気にしていないというか、どちらも悪い、というくらいで、あまりここを論じる気にならない。

残念なことは何かと言えば、このお金の使い道、それが海外のカジノだったことである。

以前にもお金持ちのお金の使い方について少し書いたことがあるが、お金を持ったら、それは大きな権力を持ったと同じことであり、スパイダーマンと同じ心境になるべきなのだ。

今回の件であれば、当然返すのが筋だから、返すという選択肢しかないのが普通だが、彼のように返さないで使ってしまおう、というなら、それを海外に送るなんて、言語道断で、まずは国内で使うことを考えて欲しかった。もっと言えば、彼は空き家制度を利用していたわけだから、町に対してとか、地域に対してとか、そういうロビンフッド的な発想でもいいし、または、何か慈善事業をやるとか、もう少し考えられないか?と虚しくなる。すぐに使ってしまおうと思ったのかもしれないが、大金を手にしたのに、あまりに発想が貧弱かつ、愛国心もなく、非常に残念に感じた。

もし、このお金が私に送金されて、そして、法律上、または社会通念上、送金した側(阿武町)が一方的に悪くて、返すことなど一切考えなくていいという世の中であれば、どう使うのか考えてみたい。

まず、真っ先に思いつくのが、それを元手にお金を増やすことである。投資でもいいし、何か別の方法でもいいが、とりあえずは、もっと大きな金額にしてから考えるという案だ。しかし、これは面白くない。失敗する可能性があるからではなく、例え一億円になったとしても、そこまでたどり着くのに、それなりに時間はかかるし、今回の誤送金された金額の4000万円もあれば、かなりのことが出来るので、その範囲で考えたい。

よって、同じように貯金という選択肢もない。全部一気に使う、むしろ足りないとなれば借りてでも何かをやりたいと思う。

まず、面白そうだなと思うのは、色んな大学の研究室巡り。企業は色々と日夜研究だの開発だのを進めてはいるが、大きな企業でない限り、今日明日のためのものが多く、必ず研究や開発の結果や成果、つまり利益がある程度見込めるものがほとんどであり、どうなるか分からないものなどは基本的にはあまりないから、目新しさという意味では興味が沸かない。しかし、大学というのは、もちろん最近では企業の下請けみたいな研究をやって研究費をふんだんに持っているという研究室もあったりするが、風変わりな教授が、少ない研究費を駆使して、コツコツ新しいことに挑戦しているというところも多い。そんな研究を応援するための財団を作ってみてもいいかもなぁと思っている。例えば、1000万円でもあれば何かのサポートにはなるだろうし、何よりそれを機に、自分自身が新しい研究などのトレンドを知ることが出来るのが楽しいだろうと想像する。なかなか普段の生活だと色々な分野の論文を読むとか、探し出すのは大変なので。

社会貢献というのをもっとダイレクトに考えるなら、海上のゴミ問題の解決のために何か出来ないかなぁと思ったりもする。海岸沿いにあるゴミなら拾えるが、海の沖合やさらに海岸から何十キロ、または何百キロも離れた場所に溜まって浮かんでいるゴミがあるなら、回収して、分解して、焼却する設備を持った船を開発して、燃やした熱をまた燃料にも出来るようにしたり、海上ゴミ収集車兼処理施設なんて出来ないかなぁとか。こういうのは計画(試作機の設計)するだけで4000万かかってしまうかもしれないが、レジ袋有料化よりは効果があると考える。海上のゴミが問題になったのは、もうかなり前のことではあるが、ここ最近は急に声高になったかと思えば、変なプラスチック製のものへの弾圧が始まって、新しいビジネスが生まれ、温室効果ガスの時と同じ現象がおき始めている。

だから、私はこの不気味な動きを少しでも緩和したく、海上のゴミが問題だというなら、そのゴミを徹底的に拾おうと思う。従来なら、そんなお金どこから出るのだ?となるし、クラウドファンディングとかでもお金が全く集められなかったら、今回のプラスチック製品排斥で儲けた企業や政府関係者などからの寄付でもいいが、そもそも岸田総理が訴える軍備増強をするくらいなら、海上をキレイにすることにお金を使えないの?など、どうせ政府は何もやらないのに、僅かな希望にかけるしかなかったが、このお金があれば、それを元手に海上ゴミ問題から派生した怪しい動きに一石を投じることが出来るはずである。

取らぬ狸の皮算用で、私が使い道を考えている時間も楽しいが、何が言いたいかと言えば、今回阿武町にお世話になった人(今や容疑者扱い)が、恩返しも考えず、返金する気がない、またらなかったということや、その町や地域に貢献する気もないという態度もとても残念だったが、海外に送金してしまうのはもっと残念だった、というのが、今回のまとめである。

 

ウクライナ問題について part4


一番の敗戦国は日本という記事を書いてから、日に日にそれが決定的になりつつあるように思うが、決定的になるのが、バイデン訪日。いつも通り、高額な武器を売りつけるのだろう。なんでそうなるのか、それはアメリカがウクライナに提供している武器の赤字を補填しないといけないので、日本に金を払わせるという単純なアメリカ的思想の結果だと思われる。以前の記事にも書いたように、日本はロシアとの貿易を止めてしまい、大損しているというのに、アメリカにはお金をむしり取られ、ウクライナには支援国として認識されず、正真正銘の敗戦国となる。それはさておき、今回はまた別の視点から書いてみたい。

この戦争が始まってからプーチンに関する記事がとても増えた。私は高校時代に、プーチンの半生というようなレポートをまとめたことがあったので、新しく知ることというのは意外と少なかったが、彼が力の信者だということをとにかくどのメディアも書いていたのが印象的である。特に思春期あたりに彼が路上などでケンカに明け暮れ、その中で学んだことが今も生き続けていると。そして、闘う時は徹底的に最後までやる。

ところで、私が大学時代にロシアに短期留学をした際に買ったお土産がこれである。これは、レーニンから始まり、スターリンフルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフエリツィン、そしてプーチンといったロシア(旧ソビエト)の歴代指導者の人形である。


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今からもう15年近く経つのだが、未だに政権のトップに君臨しているのは驚きである。もちろん、その前から大統領だったわけなので、彼の頭の中には世界の政治のほとんどが鮮明かつ深く刻まれているのだと想像する。

よって、今回の戦争について、プーチンの計画は、特にアメリカを中心としたNATOの動きや北欧諸国、日本、中国、インドの動きは予想をさほど外れてはいないだろうし、その各国の動きに対応する政策も将棋の棋譜を読むように進めているという印象を受ける。

ただ彼が予想していなかったことも当然起きているとは思う。それはロシア兵の動きである。日本でのニュースを見ていると、世界にウクライナ支援の輪が広がり、各国が武器を供与しており、平和を求め、一致団結して、ロシアを駆逐している、というような報道だが、平和を求める人は武器を供与するのか?と、一部、目的と手段が合致しているのか疑問に思う部分もあるが、戦闘民族の発想とはこういうことなのかもしれないと、そこは目をつむることにして、いずれにしても、隠せない事実として、ロシア側の被害が大きいようにも思うし、軍の統制が思うように出来ていないように見える。

戦争というのは、人と人が殺し合うことである。これは誰も否定出来ない現実であり、戦争になれば、殺人者と死人が出る。市民はもちろんだが、訓練を受けた兵士であっても、平時は普通に殺人とは無縁の生活を送り、家族や友人と楽しい時を過ごしている。そんな人たちが、戦争になったからと言って突然人を殺すことが出来るのだろうか。または、殺される恐怖に何ヶ月も耐えられるのだろうか。何の訓練も受けていない私は、もし、道端で突然ナイフを持った人に襲われたとすれば、一生心にダメージを受けるだろうし、精神病を患うかもしれない。たった一回の突発的な出来事でさえ、殺される恐怖に晒されれば、立ち直れないだろうと想像する。当然、人を殺せなんて命令を受けたとしても、例えばそのターゲットが自分の大切な人を傷つけた人だとか、計り知れない恨みや嫌悪があれば分からないが、何の繋がりもない人であれば、相手を殺さずに済む方法として、自分の命を絶つことを選ぶだろう。それくらい、命の奪い合いというのは残酷であり、相当な精神的な支配をされていない限り、つまりは戦闘員は完全な洗脳状態にならないと戦場での士気は保てないと思う。

しかし、プーチンは長く政権にいて、全てを把握し、NATOの魂胆も見えていて、この戦争をするしかないと思っていたが、それが広く国民や兵士には伝わってなかったのかと思う。誰もがプーチンがストリートで学んだとされる信じる力の理論に理解を示し、賛同して、共闘するわけでない、というところに、大きな読み間違いがあったのではないか、と邪推する。

最強の武器と戦略、訓練された兵士が多くいても、結局、人と人が殺し殺される戦場では、絶対的な悪として相手を見るか、自分の上司や最高司令官を絶対的な正として見るか、とにかく洗脳されていなければ、兵士は命令に対し、常に従順というか、駒のように動くことはないように思う。特にSNSが広がっている時代に、一方通行の情報のみを流せる、または信じさせるのは難解であり、きっと上手くいかない。反対にウクライナ側は、ロシアを絶対的な悪と兵士たちに位置づけることに成功している。突然攻めてきただとか、子どもが被害にあっているとか、市民を処刑しているとか、ゼレンスキー大統領の演説も上手く、ロシアを悪とすることは容易だったように思う。

よって、何が言いたいのかと、まずSNSの時代に人と人が実際に殺し合う戦争というスタイルは時代錯誤であり、少なくても30代以下の世代は、SNSネイティブ世代(社会人前になんらかのSNS触れた世代)であり、政府や一般報道からの洗脳は受けにくい。これはロシアだけに限った話ではないとなると、今後SNSの発達とともに、戦争がなくなるのかと言えば、多分人間以外を戦闘員にして戦争は続いていくんだろうなと思う。具体的にどうなるかは想像出来ないが、いずれにしても人間は戦場から少しずつ減るのではないかと思う。それくらい戦場というのは、異次元空間であり、現在の人間には耐え難い、というところが、きっとプーチンの想像を超えていたのだと思う。もちろん、これまでもいくつもプーチンは戦争を指揮してきたし、そんなことも当然、頭に入っていたという指摘もあると思うが、きっとここまでの長期化は想定外だったのではないかと思う。そして、そうなった理由は外的要因ではなく、ロシア内部の問題であると思うので、そうなると現場の兵士の士気、これが一番の原因だと考えたのが、今回の記事の主旨である。

日本は何も良いことがなく、この戦後はロシアとの関係も長らく改善されないだろうし、アメリカやヨーロッパも日本を助けることはしないだろうし、今から戦後どうするか、日本にとって、世界にとって有難いと思われるような日本的外交を是非展開すべく、検討してもらいたい。

 

 

アルバイトについて

前回の記事で、アルバイト時代のことを書いたが、学生時代を彩る活動の中にアルバイトというのはやはり大きなウエイトを占めるのではないかなと思う。

まず、そうなってしまう背景として、日本の大学の学費が高いことである。国立大学でも年間50万、それ以外にも、教材やその他の費用もかかる。それに一人暮らししている場合には家賃だの、食費だのとかかり、さらにそれが私立大学ともなれば、余程両親が裕福でないと、アルバイト無しでは生活出来ない。奨学金制度もあるが、返済不要のものならいいが、返済のあるものは、奨学金ではなく単なる学生ローンであり、借りるのは慎重に考えないと将来の生活に負担を先送りしているだけになってしまう。

さらに、大学生時代は直前の高校時代のような部活や受験という大きな負荷から開放されている。高校時代の授業以外の時間のほとんどは部活と受験勉強に使われたのに対して、大学では進級のための最低限の勉強をした残りは、自由に使える時間が多い。大学や学部によっては進級の条件が厳しく、毎日、とても勉強以外をする時間が取れないというところもあり、また一般的には海外の大学は特にそうだと聞くが、日本の大学はまだ卒業することは入学するよりも楽、つまり厳しい入学試験を通過すれば、卒業はそこまで難くない。

つまり、お金はなくて、時間はあるという大学生活というのが、日本の学生の姿なのだと思う。

私はというと、まず大学入学の際、浪人時代を経験しているのだが、浪人時代に入る前だったか、後だったか、(両親もしばらくはっきり伝えてくれてなかったのでいつからかは曖昧)父が失業し、大学入学の時には父の収入はほとんどなかった。この時には、父から入学と同時に奨学金をもらうようにと言われて、所謂学生ローン型の奨学金を申請したのだが、その申請には親の収入証明または源泉徴収票が必要だったので、その時に初めて家計の大変さに気がついた。

よって、入学と同時にアルバイトをいくつも掛け持ちした。

以前の記事でも書いた神宮球場でのビール売りのアルバイトが私の人生第一号のアルバイト。その後、家庭教師をやって、計三人の生徒を持った。そして、配膳スタッフといって、都内のホテルや式場に派遣され、パーティーでの配膳や会場の設営などをやったりする。これは、新宿のホテル、虎ノ門、銀座、表参道、池袋、高田馬場、横浜など、色々な会場で仕事が出来た。あとは、試験監督。これは色んな試験会場に派遣され、国家試験など様々な試験の監督をする。そして、大学院生になってからは、学内のアルバイトでTA(ティーチングアシスタント)というものがあったのでやっていた。

居酒屋、ファーストフード、コンビニ、スーパーなど、多くの学生がやっていたこのようなアルバイトを私はやったことがないが、この辺りの話は色んな人から聞いているので、自分の経験と友達などから聞いた話を元に、社会人になった今だからこそ思う、アルバイトの選び方、働き方を書いてみたいと思う。

少し前置きが長くなったが、ここからが本題である。

まず、今から考えると、学生時代の一分一秒はとても貴重だったように思う。とにかく若いし、元気だし、頭も身体も一番動くという時期なので、本当に何でも出来るし、何やっても楽しい時期だったように思う。社会人になり、自由な時間なんてほとんどなくなり、もちろんお金は稼げるようになったとは言え、やはり時間の貴重さを実感する日々である。よって、学生時代にやるアルバイトで、単に時間を売るようなアルバイトは勿体ないように思う。例えそれで高い時給をもらえても、学生時代の時間の貴重さには勝てない。

次に、社会人になった時にアルバイトの経験が活きる場面が意外と多いということもある。これは、学生時代には想像していなかったことだが、大学での勉強というのは、かなり専門的になるので、社会に出てそのまま使える人は意外と少ない。なので、私は今の日本の大学のように進級をやたらと厳しくしない方針は賛成で、学生時代は自主性が大事であり、アメリカの大学に留学した私の友達の何人かは毎日勉強を夜中までやっていたという人が多く、それも考えものだなと思った。

よって、貴重な学生時代の一分一秒を有効に活用出来るアルバイトを探していくことが大事だと、今だから思える。どうせアルバイトなんだし、適当にやろうでは時間が勿体ない。当時は、時間の貴重さにあまり気がついてなかったし、とにかくお金がないという状態から脱することばかり考えていた。そのためか、大学時代はアルバイトと奨学金、さらに自宅から自転車通学出来る距離に大学があったことから下宿もしなかったので、親からの支援はなかったものの、学費などを全部自分で払ってもなお、それなりに余裕のある生活が出来ていた。しかし、今なお、奨学金の返済は続いているので、先程も書いたが、返済型の奨学金とは学生ローンで、負担を先送りしているだけなのである。しかし、それでも、学生時代の貴重な時間を買っていると思うと安い。社会人になればそれなりにお金は入ってくるが、時間はもう戻らない。

そこで社会人目線で見るいいアルバイトとは何か、私が考えるのは以下である。

①いい仲間に出会えるアルバイト

社会人になると、会社関係の人が交友関係の大部分になり、なかなか仲間には出会えない。アルバイトは本当の友達を作る最後から二番目のチャンスだと思う。ちなみに、最後のチャンスは、会社の同期入社組。この日本式の同期入社という制度も最近は変わろうとしてきたが、私はこの制度はとてもいいと思っている。3月に大学または大学院を卒業して、4月から同期入社して、一緒に研修受けて育っていく。私もたくさん同期がいるが、みんな最高の仲間である。

②社会と繋がれるアルバイト

大学というところは学問の場所なので、社会とは少し、というかだいぶかけ離れている。例えば、学会に参加するとか、企業と共同研究をやることで繋がることも出来るが、これは学問としての繋がりなので、どちらかというと大学の延長であり、企業や社会というものの泥臭さは体験出来ていないように思う。アルバイトというのは実際にお金をもらって働くので、そこには責任がある。また、この社会の血と言えるのは今はお金であり、そのお金の循環の中に入ること、それが社会と繋がることになるわけだから、やはりアルバイトは社会の玄関である。

③時給が良いアルバイト

これは単に短時間でたくさん稼げるから、ということだけではなく、時給がいいアルバイトは往々にして、しっかりした働き方を求めるものが多い。もちろん、詐欺まがいの高給アルバイトは良くないが、高い時給には高いスキルが求められ、その高いスキルを学び、実際に稼げるようになることはきっと社会人になっても使えるスキルになるはずである。

④歩合制のアルバイト

時給制のアルバイトがほとんどではあるが、私のやった神宮球場でのビール売りのように歩合制のアルバイトがあれば、やってみてもいいと思う。なかなかないと思うし、訪問販売とか、ネズミ講の類のアルバイトなどは良くないので、あくまでもいいのがあればという条件で。やはり、歩合制だと自分で工夫したり、失敗したり、とにかく売れるためにどうしたらいいのかと真剣に考えるので、それは社会人になってからみんなが毎日一番たくさん考えていることであり、まさに仕事の考え方に直結している。

 

以上。

社会人になってから、たまにアルバイトをしたくなる。それはお金のためではなく、アルバイト仲間のみんなで連携して働く体験をまたやりたいという想いである。サークル活動は社会人でも出来るが、それにはお金をもらう厳しさがないので、またアルバイトとは少し違う。そんなことを考えながら、色んな場所で見かける学生アルバイトを懐かしく、そして少し羨ましく眺めている。

 

 

 

ノスタルジーについて

突然、ふと強い郷愁を感じる瞬間というのが訪れて、強烈に過去に戻りたくなる気持ちになることがある。どうしようもないこの感情の行き場がなく、それがまた切なくて、ゆっくり気持ちを落ち着かせて、その感情が消えていくのを待っている。

年に一回、また二回くらい、そんな瞬間があるのだが、今回、上島竜兵さんの訃報、そして竜兵会のエピソードが色々なところで流れているうちに、ふと自分のアルバイト時代を思い出し、冒頭で書いたような気持ち、所謂ノスタルジーに駆られた。

竜兵会というものの存在はもちろん知っていたし、これまでもその活動というか、思い出話を有吉弘行さんや土田晃之さんがしているのを聞いたことはあったが、今回より深く色んな話が出てきたことでさらに理解が深まった。上島竜兵さんと言えばダチョウ倶楽部で熱々おでんの芸とか、モノマネも面白かったなぁと思い出を振り返ってもみたが、やはり彼の人間性は竜兵会に表れていたように思う。竜兵会とは、上島竜兵さんと当時まだ売れていなかった若手芸人が毎晩のように集まって、飲み会をするだけの会。リーダーはもちろん上島竜兵さんなのだが、最初は緊張していた若手芸人も、だんだんと上島竜兵さんの優しさと天然のオトボケに、当時の若手芸人がいじったり、ツッコミを入れたり出来るようになり、体育会的、またはよしもと的な上下関係というより、歳の離れた友達の集まりという関係性になったとのことであった。

竜兵会のメンバーは、肥後克広さん、有吉弘行さん、劇団ひとりさん、土田晃之さん、デンジャラスさん、ヤマサキモータースさん、カンニング竹山さん、インスタントジョンソンスギさんで、決して人数は多くなく、また野武士といういきつけの居酒屋でいつもやっていたという。

普通であれば、こんなエピソードを聞けば、上島竜兵さんは良い人だったんだなぁとか、やっぱり面白い人だなぁとか、そんな感想が最初に出るのかもしれないが、私の場合は、真っ先に自分の過去がフラッシュバックしてきた。きっとそれは、竜兵会の雰囲気が私の経験と似ていたことと、アルバイトしていた学生時代からちょうど20年が経とうとしており、就職をして、家族も出来たり、東京から離れたり、コロナ禍があったり、あの頃とは全く違う生活をしているから余計に、過去への想いが強くなるのかなと考えてみたりもした。

さて、前置きが長くなってしまったが、私のアルバイト生活はどうだったかといえば、毎週、週末に朝から晩まで丸一日アルバイトをし、そして仕事が終わるといつものメンバーで、いつもの場所に飲みに行くという生活だった。竜兵会のように毎日ではなかったが、土曜日の夜だと、飲んだ勢いのまま、次の日の日曜日のアルバイトに出掛けることもあったり、そしてそれが終わるとまた日曜日の夜も飲み会という、学生時代ならではの体力で乗り切っていた。

いつものメンバーのリーダー的存在は、学生が多かったアルバイトの中にちょうど一回り(私より12歳)年上の先輩がいて、いつも学生の自分たちの面倒を見てくれ、飲み会に誘ってくれていた。その人には本当にお世話になり、とにかく一緒に飲んだり、草野球をしたり、時には温泉旅行や富士急ハイランドに行ったり、アルバイトの枠を超えてたくさん遊びに連れて行ってもらった。また、キャラクターも上島竜兵さんに似ていて、気前が良く優しい、面倒見が良くて、人間味に溢れていた。ただ、上島竜兵さんのように泣き上戸ではなく、飲んでもほとんど表情や態度は変わらないという感じであったし、またその先輩は野球で鍛えた身体は大きく色黒で、強面なので見た目も上島竜兵さんとはだいぶ違ったが、ただ、ツッコミどころ満載なところは、上島竜兵さんと同じだったし、竜兵会の話を聞いて一番シンパシーを感じたのは、みんなが上島竜兵さんをイジるという部分だったかもしれない。

そして、自分と同じ学生だったいつもの友人たちも、関係性が有吉弘行さん、劇団ひとりさん、カンニング竹山さん、土田晃之さん、などと似ていて、みんな自由にその先輩をいじったり、またこの学生メンバーの中でもみんな切磋琢磨していて、これから始まる就職活動とか、当時の恋愛とか、時には時事問題とか、色んな話を高いレベルで話せたメンバーで今、みんなすごい活躍をしていて、まさに竜兵会のメンバーと同じだなぁなんて思ったりもした。

そんなこともあり、竜兵会の話を聞くと、どうも自分の思い出を聞いているような気持ちになってきて、あの頃に戻って、あの居酒屋で、あのメンバーで、もう一回会いたいと思うようになった。しかし、今はまだそういう時期ではないだろうし、もう少し我慢かな、なんて考えると余計にまた当時の記憶が蘇って、強い郷愁に駆られるのである。

本当にくだらない、無駄な時間とお金の使い方だったかもしれない、竜兵会のメンバーもそんなことを言っていたように思うが、まさに自分もそう思う。飲み会って、結局酔っ払うので、何を話したかなんて、忘れてしまうことも多いし、酒税のせいか、やっぱりアルコールは値段も高いし、ついつい長くなるし、無駄なことばかりにも思えるが、唯一つ言えることは、あの時はずっと心の底から笑っていた。馬鹿みたいに、くだらないことでみんなで笑い合っていた。そして、そんなことが今、自分の人生の糧になっている。それは単に思い出としてではなく、個性的なメンバーの集まりで、無駄な飲み会を重ねるうちに、腹を割って話すことが出来るようになって、哲学的な成長が出来たと思っている。竜兵会の中でも土田晃之さんは飲み会の様子などをメモっていたというが、無駄と思われる中に、きっと学びもあったのだろう。

ただ、学びがあるから無駄なことが大切なのではないと思う。無駄なことは無駄で、楽しいからやっていたことがたまたま良いことがあった、ラッキー。人生とはこんなことの繰り返しのように思う。

今は今で、楽しい毎日だが、今とは全然違うあの頃はあの頃で、素晴らしい日々だった。

 

子どもの習い事について part2

前回、子どもの習い事について、求める能力、または経験などについて書いてみた。今回は、具体的にどんな習い事があって、どんな成長が見られるのか、を書いてみたい。

身体、仲間、表現、成功の4項目それぞれ、◎、○、△、☓で評価してみたい。

 

水泳

これは、いつの時代も人気ナンバーワンであり、

身体◎、仲間☓、表現○、成功○

と、特に身体作りにはこれに勝るものはないと思う。また、子どもがやったあとにとても疲れてよく寝てくれるというのも人気の理由だったりもする。

 

少年野球、サッカー

これはどちらも男子に人気が高い。

身体◎、仲間◎、表現○、成功○

と、私の評価基準だとかなり高いポイントになるものの、野球にしろ、サッカーにしろ勝ちにこだわりを持つチームが多く、土日両方とも潰れる覚悟が必要になる。特に野球は朝から晩までと長い。

 

ダンス、バレエ

こちらは女子に人気のあるスポーツ系習い事。

身体◎、仲間◎、表現○、成功○

と、優れた習い事だと言える。ただ、魅せることが前提なので、それが好きか嫌いかによって続けることが出来るかどうか、分かれる。

 

空手、柔道、剣道、合気道

格闘技系も人気がある。

身体◎、仲間○、表現○、成功○

あまり小さいうちからやると身体への負担が気になるところだが、悪くはないはず。護身用として身につけさせておくと安心というのと、野蛮かもしれないが、物理的に強いと自分に自信が持てるというのもある。

 

そろばん、習字

数学、国語にそれぞれ強くなる。

身体△、仲間△、表現○、成功○

この基準だとどうしても低い評価になってしまうものの、そろばん脳があればかなり色々と応用できる、また習字で字を上手く書けるようになると、大人になってから恥ずかしい思いをしない。そして何より、どちらも集中力がつくので、大学受験や社会人になっても、集中して何かに取り組むことが出来る能力は大きな強みになる。

 

リトミック、ピアノ

身体△、仲間△、表現◎、成功○

これは音楽の基礎を学べるので、ピアノを習得すると、そこから違う楽器へもいきやすい。音楽は世界共通だし、人の心を救う。お金の問題はあるが、是非、習わせたいものの一つである。

 

プログラミング、ロボット

最近人気の高いこの2つ。パソコン使えるのは当たり前として、プログラミングが出来ないというのは、今後かなり不利になることは間違いない。また、ロボット技術はさらに進化するはずで、この分野にも早くから触れさせておきたいという気持ちもよく分かる。

身体△、仲間○、表現○、成功○

 

よって、これらを分類して、モデルケースを考えてみる。

スポーツ系として、少年野球かサッカーをやれば、あとは文化系でそろばんまたは習字をいれておけば、もう十分である。

スポーツ系を水泳にして、文化系をロボットなどを入れるのもありかと思う。何故なら、ロボットは意外にもチームプレーでやることが多く、友達と切磋琢磨する機会も得られるからだ。

 

また、ボーイスカウトや農業体験、キャンプなど自然に触れるものや、関東ではなかなか難しいスキーやスケートなどのウィンタースポーツの体験、お絵描きやものづくりの体験、演劇や音楽鑑賞、などなど定期的な習い事以外にも子どもに体験してほしいことはたくさんある。

子どもには与えすぎるということはなく、どんどん吸収するので、どんどん与えればいいと思うが、気をつけないといけないのが、時間は限られているので、与えるばかりに終始してしまうと、今度は自分で考える、自分で遊ぶ、自分で決める、という機会が奪われてしまうので、空白、つまりは自由な時間もまた大事だったりもする。

前にも少し書いたが、子育ては共に過ごす時間がとても大事でありその中で、子どもが今何を考えているのか、何を欲しているのか、よく観察してから、習い事でも、何かの体験でも、与えていけばいいと思う。人それぞれ子どもは違うので何がいいのかは、やはりその子次第だ。私は習い事や体験というのは、子どものブランコを押すのと似ていると感じている。ちょうどいいタイミングで押してあげれば高く上がるが、後ろに下がろうとしているタイミングで押そうとすると、親も倒れてしまうし、同じ力で押しても全然高く上がらない。遅すぎず、早すぎず、子どものペースに合わせて、習い事や体験をさせてあげたい。