女性の社会進出について

前回の記事で労働力について書いたが、日本の労働力について考える時に欠かせないのが、女性の社会進出である。

今や女性の社会進出はかなり浸透しつつあり、昭和の時代では考えられないほど多くの女性が色々な職場で働いており、社会の根幹を支えている。

私は女性が社会で働くことは、正直なところ、良いことしかないと思っている。やはり、女性なりの視点もあり、そもそも消費者には当然、女性もいるわけで、そのニーズに応えるために、サービスを提供する側にも女性が必要であることは言うまでもない。

しかし、その現実とは相反して、この女性の社会進出推進は、同時に多くの女性を苦しめているという側面も無視出来ない。

女性を社会が受け入れています、男女雇用機会均等法もあり、法律的にも女性の雇用を守ります、というプロパガンダは同時に女性への社会進出の強制にも見える。

生物学的に言えば、子どもを産めるのは女性だけであり、またその適齢期は18歳以上から40歳までくらいであり、ちょうど社会人として仕事を覚え、働き盛と言われる年齢と重なる。よって、多くの女性の悩みとして、仕事か結婚か、または仕事か出産か、という選択を迫られてしまう。もちろん、男性も子どもを産めたり、授乳が出来るようになれば話は別だが、やはりそれが出来ないという条件のなかで、完全に平等に働けというのは無理がある。

その中で、日本では少子化が問題になっており、女性には仕事をしろということに加えて、子どもを産んで下さいと言わんばかりの発言が度々、政治家から発せられる。

もちろん、出産をしても、子育てしながらでも働けるようにする環境を整えることが大事だとも言えるが、それを進めれば進めるほど、女性へのプレッシャーが強くなる。これは男女平等ではなく、完全な不平等である。

そして、この不平等の解消のために今度は、男性への育児参加を活発化させるという動きが出てくる。これはこれで本末転倒で、労働力が足りないという社会のなかで、また労働力を減らす流れに拍車をかけるわけである。そして、もちろん男性が育児参加すれば当然、女性の負担は多少なりとも下がるだろうが、社会の全体効率からすれば、確実に戦力ダウンになることは明らかである。しかも、多くの場合、その抜けた穴を埋めるのは会社の自助努力に任されているから深刻である。

また、よく特集されるのが、ワーキングママという仕事と子育てを両立してるという女性像である。しかし、これも中身を見てみると、ただ子育てに充てる時間を仕事に充てているに過ぎず、子育てだけをやってる人より当然ながら子育ては疎かになっているし、また仕事だけをやっている人に比べれば仕事が疎かになっているだけの話であることが多い。両立ではなく、両方そこそこやっているだけなのだ。

ここまで書いてきて、結論としては、生物学的な制約がなくならない以上、男女の雇用は不均等でいいと思っている。女性はちゃんと守られるべきで、働けという圧力からも、子どもを産めという圧力からも開放されるべきなのである。もちろん、働きたい女性には働きやすい環境を整えてあげることに全く異論はないが、働くことを是とするのではなく、可とするくらいで良い。出産に関しても同じである。国家のために子どもを産むわけではない。自分の人生の喜びや幸せのために、子どもが必要だと思うから産むわけである。女性は自分の人生の選択を外からの圧力から開放された形で選べるような風潮が望ましいのである。

今の日本の状況から、女性の社会進出は不可欠であるが、女性の人生からみればそれを強要することはやはり違和感があり、また世間はさらに女性に対し、子どもを産めとの圧力もかけ、さらに男性の仕事の時間をも削ろうとしている矛盾に気が付くべきである。

平等というのは、本来、同じ条件下で同じものを与えられた時に初めて平等になるわけで、男女のように違う条件の下に同じものを与えてもそれは平等にはならないのである。

この問題について、私の意見には賛否両論もちろんあると思うが、みなさんの考えるきっかけになればと思う。