理想の父親像について

これまで主に女性側のことについて書いてみたが、父親についても今考えてることを書いてみたい。

私が心底尊敬する父親像というのは、昭和型とも言おうか、朝から晩まで必死で働き、夜は上司や得意先との飲み会があって、週末もまたゴルフなど会社関係の人との付き合いをしながらも、家では亭主関白という姿である。イメージとしては、サザエさんの波平にも近いのかもしれない。もちろん、私自身、到底そんな生活は出来ないが、実際にそれをやっていた人には尊敬しかない。そして、このような父親たちが、日本の経済発展を支えていたのだと思っている。

しかし、昭和型は私にはハードルが高過ぎる。だから、私の目指すべき理想の父親像は、平成型とでも言おうか、クレヨンしんちゃんのひろしである。

私は元々あの漫画が好きだったが、父親になってからは、ひろしを主人公と捉え、見方も変わり、また好きになった。

ひろしは不器用ではあるが、必死に家族を愛し、家族のためにいつも一生懸命だ。そこに嘘も偽りもなく、妻のみさえや子どもたちからも馬鹿にされるが、家庭はいつも笑いで溢れている。家庭内(犬のシロも含め)でのヒエラルキーは、彼が一番下なのかもしれないが、間違いなく家族は幸せだ。おバカで下品な等身大の自分を家族にさらけ出し、威厳とは無縁だが、彼の功績の全てが、家族の笑顔に現れている。

映画などでは、いつも家族の危機に対して、真正面からぶつかり、家族は団結して困難を乗り切る。そんなひろしの姿は子どもたちの目にもしっかり映っていることだろう。

 

さて、令和になり、今度はどんな父親像が出てくるのだろうか。仕事を手際よくこなし、家族の時間を大切にし、料理や掃除も育児もこなす女子力の高い育メンパパなのだろうか。

私は常に男の愚かさや情けなさ、そして圧倒的な弱さの中に、たった一つの紛れもない信念がある、そんなひろしを令和になっても追い続ける。