とある有名人の発言で、ホームレスに注目が集まった。彼の発言を全て聞いたわけでもないし、切り抜きされたものをナナメ読みしただけなので、炎上している発言への批判も、賛同もしない。
私の読んだ記事。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20210813-00252958
ただ、言えることは、ホームレスとは決して、特別な人ではなく、誰でもホームレスになり得るということである。何故なら、ホームレスになる理由としては、突然働けなくなった、家族が離散した、多額の借金を抱えた、などがあり、さらに訳があって社会保障を受けられないという状態であるなど、日常よく聞く話が多い。(社会保障を受けられないというのは、日本は憲法にある様に最低限の暮らしは保障されるものの、それを受けると家族に迷惑がかかるなど、手放しでこれを申請する、または出来る人ばかりではないのだ。)よって、ホームレスにならざるを得ない状況になり、社会保障も受けずに、または受けても足りず、住む場所を失い、それでも必死に生きようとしているのが、ホームレスである。不幸な状況でも、自殺または自暴自棄にならず、生きようと選択したのが、ホームレスであると言える。自分がもし同じ境遇になった時、彼らと同じ選択を自分が出来るだろうかと考えてしまう。命を断つことを考えないだろうか。そして、自分は絶対に働けなくなることはないとか、どんなことがあっても金が尽きることはないとか、ホームレスになる全ての理由を今後避けて通れるのか、自信のある人は少ないだろう。だから、明日は我が身であり、ホームレスを差別することは、思慮が欠ける、または天に唾することかもしれないと思う。
私は学生時代に、ホームレスを題材にした小説を執筆したことがあるが、その際、多くのホームレスの方と話をする機会があった。そして、その中で強く感じたことは、ホームレスではない人々と、ホームレスがほとんど変わらないというか、上記にあるように、特別な人がホームレスになっているわけではないということなのだ。もっと、突っ込んだ書き方をすれば、金持ちと呼ばれる人がいれば、その比率分のホームレスが生まれているとも言えるのではないかと思う。何故なら、富やお金は有限なので、誰かのところに集まれば、回って来ない人もいることは当然である。さらに、お金を稼いでいる人は努力している、または才能があるから当然の報酬であり、貧乏人は努力不足という意見もあるが、世の中そんなにシンプルではないと思う。どんなに努力したって、才能があったって、なかなか報酬を得られない人ももいるし、少ない努力や才能で巨額の報酬を得ている人だって多いと考える。つまり、ホームレスになるというのは、誰かしらが入らざるを得ない枠であり、金持ちが多くなればなるほど、その枠は広がり、今のホームレスがいるうちはその枠が埋まっているが、いなくなればその枠に空きが出て、新たな人を受け入れるのかもしれない。簡単に書けば、学校の試験でみんなが20点であれば、トップもビリもないが、誰かが95点で、ビリが85点であれば、例えみんなが努力して高得点であっても差がつく。逆に言えば、トップというのは、その下にビリがいることでしか成立しないということでもある。また、その95点も、カンニングしたかもしれない、たまたま勘が当たったのかもしれない、直前に覚えた問題が出たとか、実力ですと威張れるものばかりではなかったり、また逆に85点の人は試験日に体調が悪かった、ケアレスミスをしてしまった、など本来は95点以上取れる実力があっても失敗することもある。そして、85点の人が例えば転校してしまったら、ビリは86点以上の人に回ってくる。要するにトップだってビリだって、紙一重なのだ。
今回の切り抜き発言にもあった、ホームレスはいない方がいい、と思うのであれば、上記の理由から、お金持ちもまた、いない方がいいと言えるのではないか。お金持ちがいなければ、貧乏人は生まれないのだから。
お金持ちになると、自分は他人よりも努力してるとか、才能があるとか、社会に貢献しているとか、そんな風に考えてしまう人が多いように思う。一般市民の私から見てると、世界の大富豪や富豪、さらに金持ちと一般的に言われている人達のなかで、本当に彼らの自己評価通りの人は少なく、運が良かったという人がほとんどだと思う。運も実力のうち、というのであれば、否定しないが、それであればなおさら、そんなに威張れるようなものではないと見ていて思う。社会貢献についても、他の人の貢献の何十倍も貢献している富豪はさほど多くないが、報酬は何百倍、何千倍ともらっている。平等に成果に基づいて配分されているようには到底思えない。よって、運良く金持ちになった人と、(一概に運悪くとも言えないのだが、便宜上)運悪くホームレスになった人、どちらも同じ立場なのではないかと思う。
また、日本は世界に比べてホームレスの数は少ないように思う。それは日本政府の努力の賜物ではないかと思う。ただ、近年は格差の広がりによって、少し増えているとは聞くが、それでも、海外と比較すれば、それまで多くない。さらに、諸外国で見られるようなホームレスが麻薬中毒者であるとか、犯罪に手を染めるとか、街中で物乞いをするとか、日本のホームレスにはあまり見られないため、危険だとか、街を汚してるとか、そんな風には思えない。確かに公共の場所(公園や道路、川沿い遊歩道など)にテントを広げて住んでいるのは、あまりいい光景ではないが、東京の一等地に建つタワマンの方が胸くそ悪いと思うのは、私だけだろうか。
ただ、今回の炎上において、私が最も言いたいことは、人それぞれ考え方や意見があり、今回のようにそれを色んな人に届けられたことは素晴らしいことであり、今後も続けてほしいということである。発言を規制されたり、または規制を恐れて、この問題に限らず、教科書的な発言しか許されなくなるのはSNSの活躍からすれば、少し残念だ。彼が少し過激な言い方で意見したことでホームレスに注目が集まり、多くの人が彼の発言を否定し、ホームレス差別をやめようというムーブメントが少なからず起きた。これこそが、自分の意見を発表することの意義ではないかと思う。彼はちゃんと名乗って、正々堂々意見しているので、切り抜かれた内容だけをみたら、もちろん私としては受け入れ難いものではあったが、評価できる点も多い。
最後に一言。
切り抜きの中に、自分はたくさん稼いで税金をたくさん納めているので、その税金がホームレス支援に使われているはずだからホームレスを救済している立場だ、、、というような発言もあったが、そもそも、そんなに稼がなければ、ホームレスにならずに済んだ人がいたかもしれないのだ。税金を通じて、間接的にホームレスを救済しているという主張は同時に、荒稼ぎすることで、間接的にホームレスを生み出したという反論にも繋がる。
ただ、ホームレス問題について、今回は表面的なことしか書いていないが、本当は、ホームレスに一度なったあと、支援を受けてもなかなか抜け出せない人や、あえてホームレスを選ぶ人など、彼の認識とは全然違った一面もあることをいつか書かないといけないと思う。だから、さっきも一概に運悪くとは言えないと注釈を入れたのだが、ホームレスが不幸な存在という認識が必ずしも正しいわけではなかったりもする。このあたりを書いていくと、論点がブレるので、まずは今回はここまでにしたい。