アジア人差別について

このところよく耳にするのがアジア人差別。ヨーロッパやアメリカで主にやられていることが多いが、私は長くロシア、ドイツ、米国に住んだが、そんなことをされた記憶がない。

もしかすると、気が付いていないだけなのかもしれないが、少し馬鹿されたことはあったかもしれないとはいえ、そもそも差別とはなんだろうか?

私の家族が南アフリカにいたこともあり、長期休暇の際には南アフリカで過ごすことが多かった。その際、アパルトヘイトの名残でたくさんの差別を目の当たりにした。

例えば、黒人の使っていい道路と白人の使う道路が別だったり、もちろんお店や住んでいる地域も完全に分けられていた。そして給与水準や教育水準も大きな隔たりがあり、同じ人間として扱われていないというものだった。

しかし、昨今のアジア人差別と言って問題になっている行為は、つり目を真似したり、スタバのカップにつり目のイラストが描かれたとか、黄色い猿のような言葉を言ったりするものであるが、果たして問題にするようなものか疑問である。私はもちろん人種的にはアジア人であり、特につり目などの対象になる日本人だが、つり目だと言われても全く気にならない。そういう特徴を持ってるかもねと思うくらいで、馬鹿にされているとは到底思わない。例え相手は馬鹿にしているつもりでも、そもそも、つり目の何が悪いのかが理解出来ないので、お前の母ちゃん出べそ!くらいの極めて微細な衝撃しか受けない。肌の色が黄色と言われるとしても、それが白や黒と何が違うのか、またはどう劣るのか、馬鹿にされるポイントが分からないので、言われてもピンと来ない。

差別的な発言というのも、コロナはアジア人のせいだと言われ、アメリカで日本人などが暴力の標的にされているという事件は聞いているが、それ以外は、フランスのサッカー代表選手が日本のホテルスタッフに向けて話したことなどもあったが、そこまで気にしなくてもいい内容だと思った。もちろん、個人間では気になるが、国際問題にするほどでもないようにも思った。

確かに、差別が良くないことは理解しているし、アメリカにいた時にアラバマ州にあった黒人の差別との戦いの歴史が残る博物館などに行き、色々学んだので、その悲惨さはよく知っているが、それと今のアジア人差別とは随分隔たりがあるように思う。

アジア人軽視というのはよくある。欧米人からすれば、アジア人というのは未だに劣等民族という意識があるのだと思う。しかし、それはごく限られた人の考えであり、多くの人は日本人を尊敬したり、好意を持ってくれている人が多い。その証拠に、色んな外国人が集まる場で、私が日本人だと言えば、多くの人が日本のことについてたくさん質問をしてくる。それは日本がまだあまり国際化していないからだと言う人もいるだろうが、日本の知名度は決して低くない。むしろ、アニメ文化の浸透で、日本は世界中でよく知られた国である。それでも、日本について色々聞きたいことが多いというのは、単に日本の文化や習慣が複雑かつ、特殊であるからだろう。

少し話は反れたが、要するに私はアジア人として、日本人として、今問題となっているような差別的な対応をどこの国でも受けたことがなく、また現在差別を受けていると大騒ぎしている人に逆に疑問を感じてしまう。というのは、サッカー選手で差別的な扱いをされた本人はほとんどそのことに触れていないのに、メディアが不自然に取り上げたり、ある時はアジア人団体のような組織が声明を出したり、どうも周囲が本人を超えて問題の拡大のために躍起になっているようにも見える。

アジア人のなかで、差別されたと叫ぶ人の中には、それで新たな権利獲得や別の効果を狙う人も少なくない。簡単なのは、差別されたからと言って、謝罪そして賠償金をもらう権利の獲得。次に、就職や新しい商売をやりやすくしてもらうなど、逆差別への誘導。そして、最後は対立構造を作ることで、コミュニティ同士の繋がりの強固を図ること。共通の敵は、組織力を高めるためにどうしても必要になるので、内政が不安定な国がよく使う常套手段である。つまり、差別の様々な政治的利用を狙っている人が多いのでは?という懸念である。もちろん、本当に差別を受けている人がいないと言ってるわけではなく、私が実際に欧米に長く住み、そのどこでもアジア人差別は受けてなく、もちろん私の家族や友人でもそんな人はいない、つまり実感がないのに、妙に報道では大きく取り上げられていることに疑問を感じてしまうのだ。

私は何度も書くが、人間は一人一人バラバラである。色んな動物を見ても、人間程同じ種のなかで見た目から内部の能力まで、個体差がある動物は珍しく、それが人間の優位性なのである。よって、その違いに優劣をつけたり、比べたくなる気持ちもわかるが、それぞれがそれぞれに素晴らしいというか、必要不可欠な存在なのである。だから、アジア人差別だけでなく、LGBTだって、宗教だって、貧富の差だって、門地だって、差別の対象にはなってはいけない。

しかし、私は常々思うことがある。それは、最近の世の中は、ある特定の言葉が絶対悪、または絶対正義になり、内容は吟味されないまま、その言葉の影に隠れて、歪な規制や制限が世界中で横行しているように思う。この差別も、人権尊重の中にある差別が絶対悪になるが故に、それを是正するためということで逆差別が平気で横行したり、環境問題という中にある温暖化という名の下に生まれたCO2削減という絶対正義は、産業構造を大きく変えてしまったり、とあるパワーワードの元であれば、無理が通れば道理が引っ込むいが、パワーワードと利権が絡んで、アンバランスな社会にならないことを願う。