仕事は暇つぶしについて part2

まだ、 暇について語っていないので、それを説明したい。 暇とはなんだろうか?例えば、約束の時間が3時だったのに、 突然4時にリスケされ、それによって1時間、 時間が空いてしまったとか、 飛行機に乗っている間の5時間は特に何もできないので暇だとか、 何かの目的やくださいかな目標があって、動いている時間以外の時間、つまり、 何もやることのない時間、それが暇なのであると私は思う。 これも例によって、 辞書で定義された意味ではないかもしれないが、 私がここまで日本語を使ってきた中で、 こういうニュアンスで暇という言葉を使って来たので、 これを暇だとここでは定義したい。要するに、 目標を失っている時間である。そう考えてみると、 生まれた時から死ぬまで何か目標がある人はいるのだろうか? と問うてみる。生まれてきた意味とか、生きる目標だと、 そんなものがこの世に存在するのであれば別だが、 全ての生物に生まれてき意味など与えられておらず、 人間だけが意味を持つのも不自然であり、 基本的に生きる意味などないと私は思う。 生きる意味がないのであれば、死ねばいいと言うかもしれないが、 それはそれでいい。ただ、もう少し冷静に考えるために、 例えば動物に目を向けてみる。ライオンの生きる意味、 微生物の生きる意味、なんて考えてみると、 ライオンは残酷にシマウマの子供を食べてしまう。 そんなライオンさえいなければ生きられた命があったはずなのに、 とライオンを残酷な生物だと思っても、彼らにより( もちろんライオンだけではないが)シマウマの数は抑制され、 限られた餌が群れ全体に行き渡っている考え方もある。つまり、 ライオンはいない方が有難いと思われることもあれば、 必要だという面もあり、つまるところ、 どちらも正しいのだと思う。つまり、特に生きる意味もないし、 だからと言って逆にあえて絶滅する、つまり死ぬ必要もない。 ありのままで生きていればそれでいいのだ。 逆にとても小さい微生物なんかいてもいなくても変わらないと思っ ても、彼らが枯葉を分解し、養分にすることは有名であり、 自然界を支えている。つまり、彼らが必死に、 ありのままを生きていることだけで、誰か(何か) のためになっており、 生きていることだけでその価値を見出しているとも言えるので、 あえて生きる意味を教えてほしいと言われれば、 他の動物の例から考えると、人間においてもそれは‘ ただ生きていること’だと私は思う。 ただ生きることに一生懸命になること、 それこそが生きる意味であり、 それは言葉以上にとても壮大な目標であると思う。よって、 結局生きる意味はあるのでは?と疑問を呈する人もいるだろうが、 ここで言いたいことは、生きる意味とは、 生きて何かを達成する使命があるというわけではなく、 ただ生きていることだけでいいのだということである。

では、ただ生きるとしたときに、もし仕事しなくても生活できるのであれば、まずは遊びたいとか、 何かの趣味に没頭したいとか、どこかに旅行へいきたい、 など多くの人が色々と言い出すことは想像に難くない。では、 具体的に何がしたいのか、考えてみてほしい。例えば、よく天国、 または極楽浄土なんて言葉で表現されるような世界を想像してみる と、そこでは高級な食事を食べたり、美女に囲まれて生活したり、 大きなキラキラした宮殿に住んで…、なんて生活を思い描いたり、 また別の視点で、今の生活のなかで抑制されているものを思いきりやりた いと考え、ゲームをやり続けたり、旅行に出かけたり、本や漫画、 映画などにふけったり、ただただのんびり寝ていたり、 そんなことをしていたいなんて思うのかもしれない。 仕事さえなければ、ほぼ全てが自由な時間があって、 そういうことに自由に時間を使えて、 こんな幸せなことはないなんて思うのかもしれない。

しかし、しつこいが、ここでもう一歩踏み込んで考えてみよう。 食事だって、普通、一日三食以上はなかなか食べられない。 一回で食べられる量もほぼ決まっており、 時間なんて一時間もあれば十分過ぎるほど、 ゆっくりしている食事とも言えるので、せいぜい一日三時間、 多くて四時間くらいなものだ。美女と暮らすと言っても、 毎日会っていれば美女だって見飽きる、 心が通じなければそこには興奮も覚えないだろう。ゲームだって、 それをずっと一人でやっていても発展性がないし、友達とやろうにも、 相手だってずっと付き合ってくれるわけでもない。例え24時間連続でプレーできたって、それも続かないだろうし、旅行だって、 旅人や冒険家という仕事にしている人でなければ、一年も、 二年も旅行に出かけたいということはほとんどないだろう。 その他のことだって、 やはり仕事以上に時間をかけられるものはほとんどないのだ。

そして、人生に意味や目標などないと書いてみたが、 そういう観点からすれば、例えば人の寿命を70年とすると、この 70年間、人間は暇なのである。つまり、この70年という暇な時間を生きるためだけに使うというのが人生なのである。そして、 太古の時代より、例えば狩猟と採集、 畜産と農業など人々は生きるために仕事をしてきた。ただ、 その時代は本当に生きること(着ること、食べること、 食べさせること、住むこと、など)と仕事が直結しており、 みんなが生きるために自分が何かをし、 助け合いながら生きることに疑問はなかったのだと思う。つまり、人間社会において、仕事というのは、 誰かの生きるという行為を助けていることなのである。しかし、 時代が高度化し、仕事と生きることがかけ離れていき、唯一、 お金という媒体のみで生きることと仕事が繋がっている現代におい ては、このことが見えにくくなっている。

 

では、ここからは実際に仕事がどのように、 自分の暇な時間を潰してくれているのか、考えてみたい。