日本語について

以前の記事で、why Japanese peopleを書いたので、少し日本語について書いてみたくなった。私は日本語の研究などはしたことはなく、また、その分野の本を読んだわけでもないが、私見を書いていく。

私は、プロフィールにも書いたが、色々な国へ行き、その度にその国の言葉を勉強したので、勉強した言語の数は多い。しかし、どれもネイティブレベルではなく、あくまで旅行者レベル。そんななかでも、不思議な日本語とのルーツがあるように思うことがあるので、それを書いてみたい。

まず、私がこれまで勉強したのは、英語、ロシア語、ドイツ語、ポルトガル語、そしてインドネシア語である。インドネシア語以外はどれもヨーロッパ言語なので、細かいルールは違っても、だいたい同じであることはわかると思う。その中でもロシア語はだいぶ複雑ではあるが、それでも類似点は多い。ポルトガル語は、イタリア語やスペイン語と似てると言われ、英語やドイツ語とは少し離れるが、それでも近い。インドネシア語はどうかと言えば、やはりヨーロッパ言語とはだいぶ違うものの、日本語ほどは離れていない。

この辺りは、言葉で書いても分かりにくいので、ちょっと図でまとめてみたので、参考に見てもらいたい。


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言語学者ではないので、言葉の起源とか、文化的交流の背景とか、そんなことは書くつもりはないが、ザックリと大きな共通項を独断と偏見を含んでまとめると、こんな感じに思える。日本語は完全に孤立している。

 

ただ、今回書きたいのは、そんな孤立している日本語も、実は類似点を持っているものが多くあるということなのだ。

例えば、ポルトガル語。日本語でも、〇〇だよ、という断定の後に、ね、をつけると、ちょっと柔らかくなり、そうだよね、とか、ここに置いておきますね、とか、最後になんとなくつける、ね、が実はポルトガル語にもあって、同じように使われる。

これと似てるのが、インドネシア語。日本語で疑問文を言う時に、断定形の、〇〇です、の後に、か、をつけると疑問文になる。〇〇ですか、お店は10時に開きますか、など、か、をつけることで疑問文になるが、これはインドネシア語でも同じように、最後に、か、をつけることで疑問文になる。

この2つは、最初に覚えた時には少し驚いた。

また、ロシア語でも、私の友人の青森県出身者で共にロシアにいた人が、冗談交じりに、ロシアのyesは、ダーと言うが、津軽弁でも、だ、と言うと言っていた。正確には、んだ、に近いのかもしれないが、はい、からは遠く、ロシア語のダーの方が津軽弁には近い。そして、ポルトガル語のありがとうは、オブリガードで、文字で書くとあまり似てないが、発音すると、なんとなく似てる。

面白いのはまだあって、インドネシア語は複数形というのはないのだが、たくさんあるものに関して、繰り返して表現することがある。例えば、たくさん人がいる時には、オラン(人)を繰り返して、オランオランとかいうが、これは、日本語でも、人々とか、山々とか、そういう発想にとても似てると感じた。

英語やドイツ語は外来語として、たくさん入ってきてはいるが、このような完全に溶け込んでいるようなものではなかなか見つからなかった。もし、誰か似たようなものがあれば、教えて欲しい。

言葉というのは、文化そのものであったりするので、英語が通じるからと言ってどこでも英語を使うのはあまり好きではない。郷に入っては郷に従えではないが、その国、その国の、または、その人、その人の言葉を勉強し、下手でも使うことで、色んなことが理解出来るようになる。

例えば、ロシア語というのは以前にも書いたかもしれないが、とてもシステマティックな言語で、その影響か科学技術の分野では常に世界をリードしている。また、インドネシア語は過去形がなかったり、同じ意味の単語が複数あったり、曖昧さを残す言語であり、人々もみな心に余裕がある。ポルトガル語は、抑揚があって、話しているだけで、ウキウキするような感覚があるが、その流れでブラジル人はいつもなんだか明るく元気な印象であり、ドイツ語は濁点が多く、とてもシリアスな印象のある言葉である。英語は色んな人が使い過ぎて、あまり国民性との繋がりが見えにくいが、イギリス英語はなんとなく格式高い感じで、イギリス貴族のイメージがそのまま出ているようにも思ってしまう。

これからも、どこかに行けばまた違う言語を勉強して、新たな発見があればいいなと思っている。