環境問題について

日本人の宗教観について前の記事で少し触れたが、自然に対しては感謝が基本である。それはどういうことかと言えば、我々は自然を支配しているわけではなく、自然によって生かしてもらっているという自然の恵みや、そもそも自然があることへの感謝なのである。

だから、日本人にとっての環境問題というのは、今、ヨーロッパを中心に叫ばれているような人間主体というか、人間のために自然がある、という考え方とは少し違う。

そのためか、グレタさんのようなアプローチは日本人には全く響かない。彼女は、環境問題を政治家に向けて発信し、政治が、つまり人間が環境問題を解決しろと迫っていた。環境問題を政治問題にした彼女から漂うお金の匂いと、人間が自然界のトップに君臨し、人間が自然をコントロールしているという驕りは、日本人の宗教観だけでなく、日本人の自然への想いともかけ離れているため、彼女の言葉は日本人には響かないのだ。

彼女のバックグラウンドはよく知らないが、そういう発想になってしまうことがなんとなく理解できるのは、ヨーロッパにある宮殿などの庭は、木々がキレイに幾何学的に整っていて、それは人間の好きなように木や草を切って、配置しているという感じであるが、日本庭園というのは、自然のままを取り入れ、あるがままを表現することが多い。日本人は、自然というのは自然のままで美しいという感性を持っている。そこには自然への尊敬や敬意があると思っている。このような庭の作り方だけであるが、自然への考え方の違いがわかる。

 

さて、最近は以前にも増して、世界的な環境問題喚起によって、かなり多くの規制がかけられるようになった。従来のガソリン車はダメ、スーパーのレジ袋はダメ、石炭火力はダメ、などなど色々とあるが、そもそも環境問題とは何のために提唱されていることなのか?

よく言われるのが、地球のためとか、動植物のための自然保護だとか、色々と言われるが、本当にそうなのだろうか?もし、それが本当であるなら、環境問題とは、人間が地球を去ることで解決するわけで、それをしないということは、そうではないのだと分かる。

日本人は、人間が地球の主ではなく、あくまで自然があって、その自然に住まわせてもらっている言わば客人であると考えている。だから、その地球をキレイに使おう、と、それだけである。よって、公害のようなものは当あってはならないし、核爆弾を落としたり、枯葉剤を大量に撒いたりすることは絶対にダメだが、普通の生活をする上での環境への影響は仕方ないし、人間が自然をコントロールしようとしたり、グレタさんのように、政治問題化し、規制をかけて新たな商売を生み出そうとするのは、環境を利用した政治であり、日本人からすると、本当に自然を大切にする気がある?自然を愛してる?という疑問が生まれてしまう。あまりにも人間中心の、人間のため、つまりはお金のための環境問題という気がしてしまうのだ。

そう思う一番の理由は、彼女が地球温暖化問題を取り上げ、特定の国や人物を批判する姿勢である。地球にとってみれば、その歴史のなかで、寒くなったり、暑くなったりを繰り返しており、真鍋さんのノーベル賞で湧く昨今であるが、人間の出す二酸化炭素で、年間の平均気温が1℃上がろうと、これまでの地球が経験した変化に比べれば大したことはない。その理由に、地球温暖化で何が問題になるかと言えば、大雨が降るとか、海面が上昇するとか、砂漠が広がるとか、あまり地球にインパクトがあるとは思えない。困るのは人間だけだ。いやいや、シロクマが絶滅するとかいう反論があると思うが、暖かくなれば別の種が生まれることもあるし、生物の絶滅と新種出現を繰り返してきたのがこれまでなので、それは普通のことである。しかも、このシロクマ理論が人間のエゴだと思うのが、もし、あと平均気温が1℃上がれば、ゴキブリが絶滅するとか、ハエや蚊がいなくなるなんてことになれば、きっと二酸化炭素を必死出すようになるかもしれないということなのだ。シロクマの絶滅は問題で、ゴキブリの絶滅は歓迎って、やはり環境問題が人間のエゴだと思ってしまう。

人間が住むために木を切って森がなくなったり、地下から石油を取り出して二酸化炭素を出したり、他の動植物の生活に支障が出てしまうことは、仕方のないことである。もちろん必要以上に自然を元の形から変える必要はなくても、人間が生きていく以上、だんだん変わっていくことは仕方のないことであるし、それは人間だけでなく、そこに生命がある限り、必ずそうなるのだ。例えばシカがいれば、草木が食べられて森がなくなるし、クジラがいれば、大量の魚が食べられてしまう。それでも人間が与える影響は比べ物にならない、というのであれば、何度も書くが、人間が絶滅するしかない。

私が思うのは、四日市ぜんそくとか、水俣病とか、日本が今まで経験したような公害は今後も気をつけていくべきだが、過度な環境問題提起により、政治や経済を動かして、特定の人が儲かる仕組みに変えることは許されないと思っている。人間のみならず、生物が生命活動を維持しようと思えば、自然に何かしらの影響を与えることは必然であり、それはある意味お互い様なのだ。だから、日本人は自然に感謝をする。住まわせてもらっていることで、当然何かしらの迷惑はかけているからだ。

地球から人間が招かれざる客と思われないように、政治や経済のための環境問題ではなく、人と地球がどのように共存していけるのか、ちゃんと考えればよい。それはきっと日本人がもつ自然への感謝の気持ちがヒントになると思っている。