祝100投稿について

数少ないコアな読者に支えられ、コロナ隔離の暇つぶしの中で始めたブログがついにここまで続いてしまった。これまで考えていたこと、改めて考えてみたこと、そんなことをまとめるいい機会になった。

私は待ちあわせの30分前とかに来てしまうタイプで、だいたいいつも近くの本屋、喫茶店などで待ちあわせ時間まで時間を潰したり、ちょっとその周りの道を散歩したりして過ごすことが多いが、周りに全く何もないところもあり、そんな時でも何もせずに時間を潰して待てる。昔、誰かに、ずっと座って何してるの?なんて聞かれたことがあるが、自分と会話してる、と答えたことがある。世界中のおもちゃの中で、自分の脳が最も楽しいおもちゃだし、グルグルと一人で色々考えることは時間潰し上、最も楽しい時間なのだ。

そんな自分との会話が、今回のブログで意外と表現出来たことと、人にそれを伝えるために筋道を立てて説明したりするうちに自分としてもより明確に自分の考えを理解出来るようになり、とてもいい機会を得たと思っている。

ただ、自分で考えているだけの時には、事実か事実でないかとか、理にかなっているかいないかとか、そんなことは関係なく、色んな方向に考えが飛んでしまうが、まさにこのブログは事実確認不足と偏見、そして乱文の宝庫だったなぁと思う。悪いクセなのだが、私は書き始めると一気に書く。出てくる数字やら、その他の事実関係やらは、基本的にはその時に頭にあるもので、いちいち調べたりはしてないことが多い。書くのを中断すると、文章の流れが悪くなるし、そもそも多少違っても、そもそもこのブログは何かの公式な文章でもないので、支障はない、なんて甘えている。

また、子どもからもたくさんの刺激を受けた。親は子どもに教えたり、指導したり、そんな一方通行なことかと思っていた子育ても、実はむしろ反対方向からの情報の方が多く、たくさん学ばせてもらっているし、考えさせてもらっている。有り難い限りである。

趣味などの紹介も意外と出来た。自分の好きなことを書いていると、好きなことを考えているということだけで楽しくなれることに気が付いた。ただ、読む側としては、共感出来るものは少なかっただろうし、退屈なジャンルではあったと思うが、ここは筆者の自己満足として、容赦して頂きたい。

 

そして、このブログの中では、日本についても海外と比較しながら色々と書いてきた。とにかく日本は素晴らしい国で、それは自然もそう、歴史もそう、文化もそう、産業もそう、国民もそう、本当に奇跡の国とも言える不思議な国である。しかし、近年日本の財産、安全や健康、歴史や文化が、海外から侵されようとしている、またはもうすでに侵されているので、そういうことに対して、いくつかの記事の中で警鐘を鳴らせたのも良かった。

 

コロナ隔離という非日常のなかで始めたブログも、すっかり日常を取り戻した今でも続けてきたが、これからはもっとのんびり書いていきたい。

数少ない読者の皆さん、これからもよろしくお願い申し上げます。