洋服の言葉について

先日、いよいよ寒くなってきたので、温かい洋服を着ようと思い、家の中を色々探していたが、ある単語が思いつかず、苦労した。それが、トレーナー。何故かトレーナーという言葉がぱっと出てこなくて、あの洋服は何という名前だったっけ?と、しばらく悩んだ。

しかし、トレーナーを思い出してからも、トレーナーって、コーチみたいな人のことで、洋服ではないよな?とか思い始めて、調べてみたら、なんとイギリス英語ではスニーカーという意味であった。また、日本のトレーナーを指すのは、sweat topとかあまり聞いた事のない単語だった。一体何なんだろうと思っていると、例えばズボン。これも、どこから来たのか知らないが、英語では使わない。ワイシャツとか、ノースリーブとか、パーカーとか、どう考えても、英語だと思うものも、全部、和製英語であることに気が付いた。

しかし、何故今更、そんなことを考えたのかと言えば、私はほとんど服を買わないからかもしれない。洋服代は一年で一万円いくかいかないかくらいで、買うのは下着とか、一年に一回、ジーパンを買うくらい。スーツも、ワイシャツもコロナ前から全然新調してないし、靴もずっと同じのを履き続けている。その靴も980円のWORKMANの靴。コートやジャンパーなどはみんな勤続10年以上のものばかりだし、Tシャツは観光地のお土産や、チームなどで記念に作ったもの、さらには無料で配布されたものばかりで、まず買うことはなく、むしろベンチ入りできず、ローテーション入り待ちのTシャツが多い。

毎年季節が変わる度に洋服を買い替える人には信じられないかもしれないが、私は着れる服をなかなか捨てられないので、着れなくなるまで着るというスタンスでいると、買うこともほとんどなくなってしまったのだ。さらに、大人になると、サイズも変わらないし、服が汚れたり、破れたりすることも減り、益々、捨てる機会がなくなり、こんなことになった。

そもそも、今年の流行色とか、最新のファッションというものには興味もなく、違和感すらある。自分の好みが変わらない限り、そういうものを追いかけることの意味があまりないようにも思う。ただ、人は見た目が9割らしいので、あまりボロボロの服を着るというのもおかしいと思うので、着れない服は着ないが、着れる服はギリギリまで着続ける。

こんなことだから、洋服の言葉について今まであまり考えたことがなかったのかもしれない。

そんな私がゴミの日に大量の服が二週間に一回捨てられているのを見ると、もったいないなぁと思ってしまう。ほとんど燃やされていると昔聞いたことがあり、確かにリサイクルとして出しても買い手がつかないことも多いだろうし、仕方ないのかもしれない。服といえば、原料が石油のものも多く、環境面からも大量生産、大量廃棄はあまりよいことではないだろうが、有名ブランドも多く、世界中で稼いでいる欧米諸国は目をつぶっているのだろう。ここにもまた彼らの思惑があるのかなぁと、勘ぐったりもする。

今、我々が着ている服のほとんどが欧米発祥のものばかりで、だからこそ、和製英語のようなものが多いのだろうが、服は文化的支配の象徴なのかもしれない。日本の伝統的な服は、絹だとか、麻だとか、綿だとか、そんな自然由来のエコなものばかりだ。環境問題を訴えるグレタさんも、洋服には言及しない。何故だろう?