2021年(令和3年)について

今年ももう大晦日を迎え、終わろうとしている。私はこのような暦の上の年の変化と、会計年度の4月の両方がある日本の制度はとても好きだ。仕事の人間関係も、煮詰まっていたものがここでリフレッシュされる感じがとてもいい。人間関係については特に4月というイメージだが。

今年を振り返ると、オリンピックだったり、コロナだったり、色んなことがあったが、自分の人生で見ると、このブログを始めたことは大きな変化だったなぁと思う。今まで色んな事を考えても自己完結して、それが表に出ることはなかったが、読者は少ないなかでも、一応誰かが読んでくれていることを想像しながら、自分の考えをまとめて書き残していくことは、非常に楽しい。このブログがキッカケで経済の話について詳しく教えてくれる人が現れたり、仕事のネタを探しにきた人がいたり、人生相談に来たり、まぁそれなりに少しは反響もあり、隔離期間だけの暇つぶしから、すっかり日常のルーチンになってきた。

ただ一番大きな出来事は、会社に自分の席がなくなり、完全に在宅ワークが定着したことだったのではないかと思っている。

入社以来、こんなに長く家にいたのは初めてである。(よく考えてみると高校は寮生活で、大学は遊びとバイトでほとんど家にいなかったので、中学校卒業以来かもしれない)

少し簡単に書くと、入社一年目は研修期間だったので、仕事はほぼ定時に終わってはいたものの、ほぼ毎晩、会社の寮の隣りにある小料理屋で、同期メンバーと食事というか、飲み会に行っていた。家というか、寮には毎晩、単に寝に帰るだけという感じであった。そして、2年目、3年目は会社人生で最もきつかった時期で、朝早く出て、ほぼ毎日終電あるいはタクシーで帰る日々。仕事が山のようにある上に、日中は打ち合わせ等で使われるので、早朝と夜中に仕事という生活になっていたし、土曜日も仕事だった。4年目からの5年間のアメリカ生活は、出張の嵐。月の半分はどこかの州ホテルで生活という感じで家にはほとんどいなかった。特にカナダでのプロジェクトの時にはかなり長期でアメリカを離れ、カナダに滞在していた。その証拠に、出張で使ったホテルやレンタカーのメンバーシップはいつも頂点のランクになっていた。そして、アメリカから日本に帰国して、コロナ前まではインドネシアにずっと行っていたから、また家からは離れた生活をしていた。こんな感じで、ほとんど家にいない社会人生活(&学生生活)だったが、今年は約三ヶ月間のインドネシア出張を除けば、ずっと家にいた。日本にいてもコロナがなければ仕事とその付き合いでなかなか家には帰らなかったと思うが、コロナの不安の拡大(実際、日本ではそこまでコロナは拡大してないが、不安の拡大は世界にも類を見ない)から、いつもはゆっくり決断する会社も在宅ワークだけはかなり迅速に進め、あっという間にオフィスはフリーアドレス化され、ずっと家にいる生活が始まった。

そして、今まで全くやらなかった家事に手を染めて(笑)、朝晩ともに家族で食事して、土日は家族で公園行ったり、買い物したり、庭でバーベキューやピザ焼いたり、まさか自分がこんな生活をするとは考えてもみなかったが、だんだんそれが楽しくもなってきた。もちろん最初は戸惑いもあったし、仕事人間だったサラリーマン夫のリタイア後の生活や心情の変化などを色んなところで昔見かけたが、まさに今、それを実感をもって思い出した。私は決して仕事人間ではなかったが、家にはほとんどいなかったという点では共通していて、そういう人間が突然ずっと家にいると、最初こそもの珍しく客人として扱われるが、次第に妻からは仕事を増やす人と見なされ、煙たがられるようになっていく。しかし、そこで腹を決めて、家事などに、精を出していくとそれはそれで楽しくなってくるし、何より自分の居場所ができるようになる。このブログでも、家事についてという記事も書いたくらいである。

そんな感じで振り返ると、自分にとって今年は本当の意味で家族の一員になれた年で、本当に大きな変化があった年だったなぁと改めて思った。

来年もまたいい年になりますように!と、願うばかりである。