年賀状について

正月というと、家族で過ごすというのが定番で、親戚巡りをしたり、実家でみんなで集まったり、そんな感じではあるが、その中でも、年賀状のやり取りは家族以外の人とも繋がれる正月の楽しみの一つである。

元々、私は大の年賀状嫌いで、メールやSNSで済むことをなんでわざわざ50円(今ではすでに63円だが)もかけて送る必要があるのか?そして、そもそも郵政民営化以降はその事業に協力したくもなかったので、年賀状なんてやるつもりは全くなかった。郵政民営化で経営の効率化とか言ってたくせに、どんどん高くなる切手代をみて、あの時の小泉竹中改革は真っ赤な嘘だったんだなと思う。そもそも、給料も物価もずっと変わってないと大騒ぎしているが、本来は効率化して下がる予定だった切手代だけどんどん値上げされていることは誰も責任取らないのだろうか?と疑問が残るし、マスコミはこういうことにもっとツッコミを入れられないのかなとも思う。

 

しかし、ある年に突然、一人の友人からの年賀状が届いてから、意識が変わった。そこには、友人とその家族写真があり、なんだかとても心が温かくなったというか、元気にやってるなぁとか、変わったなぁとか、変わってないなぁとか、そんな旧友からの便りが嬉しいなと思えた。

そこから、住所がわかる友人には年賀状を送るようになったり、年賀状のやり取りをしたいと思った友人には住所を聞くようにしたり、年賀状のネットワークを少しずつ広げ、今年は30枚くらいになった。親の世代は100枚、200枚が普通だったというから、それに比べれば少ないが、私の場合には会社の付き合いとかで出す事がなく、純粋に大切な友人としかやってないので、最終的には50枚くらいになればいいかなと思っている。

年賀状が面白いなと思い始めた理由はまず、歳をとったことだと思う。何故なら、ティーンネイジャーであれば、年に一回の情報交換ではとても追いつかない。毎日電話したって、毎日新しいことが起こるというティーンネイジャーにとって、年賀状なんてあまりに退屈である。しかし、30歳を超えたあたりから、一年があっという間に過ぎるようになり、一年刻みで情報交換できるのがちょうどいい。

それであれば、年賀状でなくても、あけおめメールとかでもいいだろうとは思うが、メールやSNSは意外と保存が面倒だったり、読み返したい時にすぐに読み返せない。紙媒体でくる年賀状は専用の年賀状ファイルに入れて、年ごとに保管できるのでいつでも見返せるし、一年ごとのみんなの変化もそれで追えたりする。 

それでもまだ年賀状じゃなくたって、近況を知りたいなら会って話せばいいじゃんという意見もあると思うが、社会人になると、みんな就職して色んな地方に引っ越したり、転勤になったり、すぐには会えなくなるし、例え近くに住んでても、家族ができたり、仕事が忙しくなれば、昔のように電話やメール一本で連絡しても、すぐには会えなくなる。それこそ、どんなに仲のいい友人であっても年に一回会えれば良い方だし、オリンピック周期並みに会えない友人も多い。そうなると、年賀状の方が頻繁に近況報告出来ているということになるし、メールやSNSで連絡を取り合うことがなくなっても、年賀状で繋がりを維持出来るという側面もある。

そして、年賀状はもらうだけでなく、こちらから出すことも必要だが、出す時に今年一年を振り返り、家族一番のトピックというか、ニュースを選んで年賀状にまとめるので、家族の記念にもなる。もちろん、そんな記録だって、年賀状でなくてもまとめられるが、人に送ることを考えて作るものは、個人の記録用とは少し違う。

ただ、今後も引き続きやりたくないなぁと思うのは、付き合いだけで出す年賀状。今は本当に出したい人にしか出してないが、何かのキッカケでまたみんなが年賀状をやりだし、会社とか、取引先とか、形式だけの、とりあえず出しておこうと、無駄に郵政事業に協力するつもりは全くない。あくまで本当にお世話になった人、大切な親族や友人、そんな人との繋がりのためだけに最少限に絞って、続けていきたい。

今年もこれから送られてきた年賀状を読む。とても楽しみである。