お笑いについて

私の好きな芸術の中でも、特に日本が優れていると思うのがお笑いである。もちろん、中には、世界では通用しないものも多いが、宗教的、政治的、差別や偏見の影響が少なかった日本ならではの自由な発想が日本の笑いにはあり、本当にこれ程幅広いジャンルの笑いが許容される国は少ないのではないかと思う。

イスラム教国では、女芸人がやっていた身体をはった芸をやることは難しいだろうし、中国であれば、時事ネタは絶対に出来ないだろうし、米国では人種的なもの、または人の体型に関するものはNGだったり、アフリカなど水や食べ物に困っている地域で、無駄に水をかぶったり、食べ物を無駄にするようなコントは出来ないだろうし、その他にも、人を叩くこと、罵倒することがNGな国もあるだろうし、とにかく良い悪いは別にして、色々な形の笑いが日本にはある。

しかし、最近の潔癖化社会の中で、お笑いの形も変わってきて、優等生的なものしか残らなくなってきた。非常に残念である。お笑いというのは、後にも書くが、常識などから外れる必要があるから、一見、バカに見える。しかし、本当のバカは笑いにはならないので、笑いになっているものはバカではないのだが、その区別が分からない一部の視聴者なのか、仕事を探している放送倫理委員会なのか、そういうところが笑いに規制をかけているなかで、お笑いのテレビ番組からバカがいなくなった代わりに、ニュース番組にバカがたくさん登場するようになった。電車で無差別に人を傷つけたり、こんなことがよく起きる国になってしまった。潔癖症のテレビは息苦しく、フェイクにしか見えず、逆に現実世界にバカを創り出してしまっているようにも思う。放送倫理委員会の罪は重い。

 

まず、笑いというのは感情のなかで最も知的であり、人間的である。動物的な感情として、怒りがあるが、これは言うまでもなく、よく動物の世界でもみかける。もう少し賢い動物になると、泣き(悲しみ)の感情を持つようになる。しかし、笑いまで持っているのは人間くらいかと思う。もちろん、動物も笑うことがあるかもしれないが、怒ることに比べると格段に少ないと思う。私は動物番組(ペットではなく、野生動物)が好きでよく見るが、お互いに笑わせたりしているシーンなどは見たことがないので、怒る動物はいても、笑うまたは、笑わせる動物はいないと思う。

よって、こうすれば怒るとか、こうすれば泣くというのは比較的簡単で、ある程度パターンがあるが、お笑いというのはその決まったパターンがあるようで無く、実は工夫が必要で、誰にでも出来るものではないというか、非常に限られた人にしか出来ないのが、笑いだと思う。そのため、私はお笑い芸人たちへの尊敬は止まらない。やはり、彼らの才能と努力はすごいと思うし、そもそも人を笑わすことを商売にしようとしたその意思もまたすごい。例えば、現在海外への売却が進められようとしている郵政民営化における郵政事業や、または水道事業のように、どう転んでも儲かる商売にたかるハエのような外資企業とは違い、お笑い芸人のように本当に儲かるか分からない、例え一度儲かっても長く出来るか分からない、そんな厳しい社会で戦うことを選んだ彼らはすごいと思う。私の尊敬する芸人についてはまた書いてみたいと思うが、今回はもう少しお笑い総論について。.

笑いというのは、一般的な常識や決まり事、または、我々の予想などを裏切るところから生まれる。しかし、そういうものから完全にズレ過ぎても面白くなく、むしろ不愉快にもなるので、その塩梅が笑いの難しいところ。よって、日本の笑いの基本は、ボケとツッコミの漫才スタイルであり、ボケが既成概念の外を行き、それを上手く笑える枠内に収めるのがツッコミの役割である。ボケだけで面白い事も多いが、ツッコミが解説だったり、誘導だったり、そんな役割を持って笑いを作るのが一般的なスタイル。よって、ツッコミがないピン芸人の一発芸というのは、少し難易度が上がるようにも見える。例えば、一発芸の代表格のモノマネは、本人に似てるが本人ではないというところが笑いどころで、あまりにもかけ離れている(似てない)と面白くないところは笑いのセオリー通りである。ただ、期待の裏切り方として、多少はどこか似てるだろうなと思わせて、全く似てないというモノマネも面白かったりするので、笑いは難しい。また、一発芸の中でも、ギャグというのは素人がまず笑いを取れないジャンルであり、芸人のなかでも、限られた人にしか出来ないとても難しいものである。言葉、表情、リズムそんなものを色々掛け合わせて、笑えるところまで作り込み、そして演じるまでかなり細部までこだわる。また、芸人の力量が試されるのが、すべらない話に代表されるようなエピソードトーク。よくありそうな話からの逸脱と意外性は話の中身だが、それをどう組み立てて、オチまで持っていくのか、また口調やトーンの調整もまさに芸術の域。そして、笑いの王道にコントがある。これは長い舞台で、一番海外でも笑いというと、このコントスタイルが主流だと思うので、特に説明はないが、コントを作り、演じている芸人というのは、普通のドラマなんかにも使われる人が多く、きっと共通するものがあるのだと思う。

この様に色々なスタイルで笑いを届けることが出来るが、スタイルが決まったら今度は、ネタ作りである。冒頭にお笑いは芸術と定義したが、そう考える根拠の大部分がこのネタ作りにある。これは、音楽家の曲作り、料理人のメニュー構成の立案、画家のデッサンであり、産みの苦しみを味わうところである。もちろん、全ての芸人がネタを書くわけではないが、たまに芸人のネタ作りの様子が明かされたりするシーンを観ると、やはり笑いは芸術だなぁと実感する。

そして、そんな笑いの効能としては、なんと言ってもストレス解消。ストレスというのは、万病の元であり、病気の原因として、もちろん食べ物に含まれる有毒添加物や欧米化した食文化が問題になることも多いが、ストレスの有無はかなり大きな差になる。笑うことがストレスの軽減に大きく貢献することは実証済みで、出来れば毎日笑って過ごしたい。しかし、仕事や家庭でのトラブルは避けられず、いつも笑っていようとしても難しい。日本でお笑いが発達した背景には日本のストレス社会、またはそもそもストレスをためやすい国民性も影響しているのかもしれない。とても、お笑いの需要が高い国なのである。つまり、そういうストレス社会から人々を解放しているのがお笑い芸人たちなのであり、まさに社会を芸術で支えている人々だ。

次回はそんな芸人たちについて書いてみたいと思う。