この記事を書くのは、もう少し後にするつもりだったが、待ち切れないので、アップする。
建国記念の日に、大きな失敗をしてしまった。それは、大事な大事な携帯電話を外出先で落としてしまったことだ。すぐに気が付き、周りを探し、歩いた道のりを何度も往復したが見つからず、とても落ち込んだ。
携帯電話を失うと色々な禁断症状が出てくることが分かった。まず、いつも携帯を触っている時間の度に、あっ無いんだ、と虚無感を覚える。だいたい5分に一回くらい、この衝動でソワソワしてしまう。後で調べたのだが、これは我々がまだ狩猟や採取で食物を得ていた時の習性が残っているためで、何か良いものがあると判断すると、その様子を確かめに何度も見に行っていたらしく、(例えば美味しい実のなる木とか、食料になる動物が現れる湖とか)、そういうことをしない人間は食料にありつけず子孫を残せなかったが、今の人間の祖先はみんなこまめにそういう活動をして生き残ってきた人たちで、我々まで命を繋いできただろうから、携帯など楽しみなことなどをチョコチョコみてしまう習性があるらしい。そして、その習性のせいで、寝るまでソワソワしっぱなしになる。
また、電車やバスのアナウンスで、携帯電話をお持ちの方は、なんていうのが聞こえると、持ってないわ!と、ツッコミを入れてしまったり、また家に帰り、コンセントにささったままの充電器を見て、もうここに繋がる携帯はないんだなぁと悲しくなったり、とにかく情緒が不安定になってくる。
また、写真などのデータ、電話番号やら、アプリやら、思い出も、繋がりも、生活の基盤など、全てがここにあったんだなぁと思うと、人生の半分を失ったような気持ちにもなった。天気も、時間も、いつも携帯を頼っていたし、マネージャーを失ったような気持ちにもなり、喪失感が半端ではなかった。
そして、何度も何度も、落としたと思われる場所を探したり、携帯会社に頼んで位置情報をもらったり、電話かけて拾った人が応答してくれないかな、とか色々試したが、全く見つからず、最後は警察署で遺失物届を出して、その日を終えた。
建国記念の日に、三連休の初日に、本当に最悪な出来事が起こり、少なくてもここ10年くらいでは一番落ち込んだかもしれないくらいのショックであった。
しかし、その二日後、突然警察から家に電話がかかってきて、なんと携帯電話が見つかったとのこと。
急いで受け取りにいき、まさに落とした携帯が目の前にあった時は、涙が出るほど感動した。実際には涙は出なかったが、拾ってくれた人にどう感謝を伝えればいいのか、そもそもお礼もすることが出来ないらしく、この気持ちをどう整理すればいいのか、しばらくかなり気分が高揚していた。
その足でそのまま首にかけるストラップを買い、もう二度と離さないようにしようと誓った。
そして、ふと考えてみれば、お礼も貰えないのに拾って、わざわざ交番まで届けてくれたなんて、本当に素晴らしい人が日本にはいるものだなと思った。海外なら、iphoneを拾ったら即転売するだろうと思った。また、交番に届けると色々書類を書かされ、時間も取られるのに、本当に心優しい人がいるものだなと思った。個人情報だから教えられないと、名前も何も警察では教えてもらえなかったが、私の中では神様仏様を超える存在に思えた。
こんな話を友人たちにしてみると、同じような経験をした人がチラホラ。日本ってすごい!と再認識したのだが、そのキッカケとなった日、それが建国記念の日だったわけで、日本万歳、誕生日おめでとう!とても立派に育ちました!と、再度、建国記念の日を連休最終日に祝った。
私が外国人なら、もっと日本に感動したかもしれない。そう考えると、我々は一人一人が日本代表であると思えてきた。小さいことでもいい、何か誰かに親切にしたり、助けたり、そんなことが日本に溢れていくと、数年前に流行った"おもてなし"、ではないが、日本全体として素晴らしい国になっていくように思うし、今はすでにそうなっていると思うので、ずっと続いてほしい。