なりたい職業について

先日、子どものなりたい職業のランキングが発表され、中高生男女の一位が、なんとサラリーマン(会社員)だった。

https://www.dai-ichi-life.co.jp/company/news/pdf/2021_072.pdf

 

間違いなく、日本を支えてきたのは政治でもなく、軍隊でもなく、企業だったと思うので、サラリーマンとしてこの結果は非常に嬉しい。ただ、サラリーマンの定義は広過ぎるというのと、業種など色々あるので、例えば、野球選手とかサッカー選手をスポーツ選手とまとめたり、または公務員に教員とか保育士も入れたりしたら、どうなるのかは分からないが、とりあえず、嬉々として受け入れたい。

しかし、こんな結果は今まであまり見たことがないのでどうしてなのか気になって調べてみると、在宅ワークが増えて、子どもの前でサラリーマンのお父さんが働く姿を見せられているから、というのが一番大きな理由なようだ。

確かにこれまでのサラリーマンは、モグラのような生活(朝、日の出前に家を出て、地下鉄に乗って、オフィスに入り、日が落ちてから帰路に着く)をしていたので、家族は疲れて帰ってくるお父さんしか見れない、または平日は顔すら見れないということが多かったようにも思う。さらに、休日はと言えば、疲れてゴロゴロしていたり、全然カッコイイお父さんではなかった。また、サラリーマンという言葉も、どこか淋しげな、地味でマイナスイメージがあったようにも思えた。しかし、今は在宅ワークになり、誰よりも長く家にいるのがお父さんという家庭も少なくないことで、印象はだいぶ変わったのかもしれない。

家にいれば、必然的に働くお父さんの姿が子どもにも見えるようになり、また子どもとの会話が増えたり、休日も通勤していない分、体力もあり、子どもと一緒に遊べる機会も増え、家族の絆が深まることで、お父さんの仕事に対して、より親しみを感じるようになったのではないかと推測する。

自分は父と同じサラリーマンの道を選んだ理由は、決して父の仕事している姿を見ていたからではなく、日本の企業で、日本のために働きたいという想いがあったことは否定出来ないが、それ以外に、自分への周りの印象へのアンチテーゼもあった。

遡ること、高校時代。先生たちからは、君は日本の大学には向いてないから海外の大学に行った方がいいと、半ば見捨てられたように言われていた。その時も、俺だって日本の大学へ行けるんだと思い、受験を頑張った。浪人はしたが、なんとか大学に行けて卒業も出来た。

しかし、大学で就職活動をしたときに、就職課や研究室の先生からも、君は就職は難しいと言われた。特に就職課からはもうここに相談に来なくていいとまで言われたこともあって、ますますサラリーマンを目指すことが目標になってしまった。

確かに、私の性格上、サラリーマンという働き方は向いていないと分かっていたし、出来ることなら芸術とか、エンターテインメントとか、そういうことをやれればとも思ってはいたが、サラリーマンも出来るということを示したかったという気持ちが強かったのを思い出す。

私の就職活動した時期はたまたま団塊の世代の大量退職と重なり売り手市場で、私もその波に乗ることができ、なんとか就職は出来た。しかし、面接とかでは立ち方、座り方、相槌の打ち方、挨拶や仕草、全部間違っていると言われたり、まぁ色々とあったが、とりあえず採用してもらえた。

そこからもう10年以上経って、サラリーマンというものを選んだことへの後悔は少ないし、なりたい職業だったかと聞かれれば正直にyesとは言えないものの、仕事は暇つぶしでも書いたが、会社員としてでないと経験出来ないこともたくさんあったので、良かったかなと思う。世間的に決して華やかとは言えない仕事だし、しがないサラリーマンなんて思われるかもしれないが、これまで健康で、家族も出来て、日々楽しく生活出来ているのも仕事があってこそだとは思うので、感謝もしている。

ただ、これからの若い世代に対しては、サラリーマンを目指して日本の製造業だったり、産業全体を盛り上げようという強い意志があれば別だが、とりあえず、親や先生の言うことを聞いて、高校へ行き、大学へ行き、就活をする時になって初めて仕事や企業選びをして、その結果としてサラリーマン、という生き方はしないほうがいいように思う。本当にやりたいことやどのように自分が活躍出来るのか、そういうことをじっくり考えた上で仕事を選ぶ必要があるように思う。

何故なら、昔のように今は終身雇用ではないし、常に世間も社会も新しいものになっていくので、我慢していれば働き続けていけるということではなくなる。むしろ、働きながら自分もどんどん成長し、その成長をまた違うところで活かすようなバイタリティが必要で、それにはやはり最初にこれが自分の本職だというような思い込みが必要だったりもする。親や先生の敷いたレールの先にあるサラリーマンでは途中で疲れてしまう。そして、これからの時代は仕事の形態も大きく変わると思われる。今までは仕事だと思われていたものが無意味なものになったり、逆に遊びだと思われていたものが仕事になったり、つまりサラリーマンという稼ぎ方自体がなくなる、または非常に珍しいものになり、自分個人として何か考えて動かないといけない時代になるかもしれないし、逆にそれは、自分というものの可能性を試せる時代になるかもしれないので、それに対応する生き方をしていく必要があるかもしれない。

よって、今の子どもに昔のような詰め込み教育をしていると、日本の高校や大学ではいい成績をおさめられるかもしれないが、世界の激しい潮流の中で戦うには力不足である。

必要な能力は、求められているものを与えるという問題解決能力である。それが仕事の基本であり、サラリーマンだとついつい忘れがちだが、仕事とは商売であり、商売というのら相手の願いを叶えることなので、どうやったら相手が喜ぶのか、そしてそれを達成するためにはどうしたらいいのか、そういうことを考えて行動することが必要になる。

よって、幼少期に何が大事かと言えば、誰にも指示を受けず、友達と遊ぶことだと思う。よく言われることだが、遊びの中に生活や仕事のエッセンスがたくさん詰まっている。いくら計算ドリルや漢字ドリルがたくさん出来ても、その能力は身につかない。遊びの中で、他人の気持ちを読めるようになったり、色んな困難を乗り越えたり、新しい遊びを考えたり、本当に生きるヒントが多いのである。

 

サラリーマンから随分話が逸れてしまったが、まとめると、私のような感じでサラリーマンになった身でも、やはりサラリーマンになりたいと思ってくれる子どもが多いことは嬉しい。しかし、サラリーマンになるというのが、惰性的であった場合、これからの時代は大変なので、強い意志を持ってサラリーマンの世界に飛び込むか、または時代の流れを読み、自分資本で活躍する道を選ぶか、それはしっかり考えた方が良くて、そういう考え方が出来るようになるためには、まず幼少期はたくさんの友達と遊ぶことが肝要だと思うわけである。