映画とんびについて

まず始めに言わないといけないことが、この映画について、何も知らないということ。まだ公開もされていないし、予告編を観たわけでもない。

では、なんで記事にするのか。

それは、この映画のポスターを街で見かけて、阿部寛が息子を乗せて自転車をこいでいる姿を見て、このお父さんは息子のこと大好きなんだろうなぁ、と思っていたら、涙が突然出てきた、ということがあったから。

映画の内容は何も知らないので、そもそも父と子ではないかもしれないし、仲違いする話かもしれないし、恋愛映画かもしれないし、ミステリーかもしれないのだ。ただ、原作が重松清さんなので、父と子の感動作の可能性は高い。私は重松清さんの作品は何冊か読んでいて、流星ワゴンなんかは泣きながら読んだのを覚えている。しかし、あのときは息子の立場で読んでいた。親思う心にまさる親心ではないが、父の立場で、父と子の話を観るとどんなものでも泣けてくる。

そんな父の気持ちを、他のお父さんもきっと持ってるんだろうなと思うと、全てのお父さんがなんか愛おしく感じられるようになる。きっとこのお父さんも、自分の子どもが大好きで、目に入れても痛くないなんて思いながら暮らしてるのかなとか、そんなことを思うと、例え知らないお父さんであっても、親近感を覚える。

お父さんというのは、究極的には、自分がお父さんであると、思い込まされているだけとも言える。もちろん、DNA鑑定でもやれば別だが、トツキトオカと言われ、10ヶ月以上の妊娠期間を経て、最後お腹を痛めて産む母とは全然違う。確実に言えることは、自分の愛した女性が産んだ子どもであるということだけで、お父さんとは言われているものの、自分の子どもかどうかはっきりとは分からない、信じるしかないというのがお父さんである。

だから、乳幼児期にお父さんが出来ることというのは限られているのは理解できる。母のお腹にはずっといたが、父とは産まれてから初めて対面するわけで、歴史が違うし、子どもにとって母の存在はとてつもなく大きいのは理解出来る。

しかし、もう少し成長し、少年の域に入ってくれば潮目は変わる。息子にとって、最初のヒーローは父親である、なんてことを言う人もいるくらい、だんだんお父さんの格付けも上がってくる。もちろん、母を越えようなんて大逸れた考えはなくても、父として出来ることは増えてくるし、子どもを愛する気持ちは変わらないと思う。

そんななか、本当に腹立たしいニュースは流れてくる。それは、子どもの虐待だ。色んなパターンがあるが、男側が妻や恋人の連れ子を虐待してしまうケースが多いように思う。

理由を聞いてみれば、自分の言うことを聞かないとか、懐かないとか、そんなことばかりだが、言葉を選ばず書くなら、ふざけんな!という話である。

そもそも、先程書いたように、どんな父親も、100%の確信を持って自分の子どもだなんて言えないなかで子育てをしている。自分の子どもだと信じる、またはそう思って子育てをするのが父親であると思う。自分の言うことを聞かないとか、懐かないとか、実は当たり前で、その中でいかに、子どものヒーローになれるのか、それが大事なのだ。ここが母とは決定的に違う部分である。

だから、どんな形で親子になったとしても、目の前にいる子どもは間違いなく、自分の愛した女性の産んだ子どもであり、それが大切で、自分がその女性を通じてその子どもも同じように愛していけば、虐待なんて想像すら出来ないはず、まさに目に入れても痛くない存在になるはずなのだ。

男というのは基本的には怠惰な一面を持つ。女性は何も目標がなくても、何かしてないと落ち着かないという人が多かったりもするが、男は何もしなくていいなら何もしないというタイプが多いようにも思う。だから、男は女性より力持ちだったり、社会性を求められたり、そして平均寿命が短かったりするんだろうなと、誰がこう仕組んだのかは分からないがよく出来ている。つまり、仕事などに従事することと、それが終われば死を迎えるということなのだ。この怠惰な一面を鼓舞して勤勉さに変えるのは家族の存在が大きい。家族というのは、要するに女性であり、そしてその女性から産まれる子どもたちである。

以前書いたさだまさしさんについてでも少し触れたが、彼の歌詞の一部を紹介したい。

 

そして今日も君たちの笑顔守るために、仕事という名の戦場へ行く。

右に定期券、左に生ゴミ

人は私を哀れだと言うけれど、俺には俺の幸せがある。

君たちの幸せのためなら、死んでもいいと誓ったんだ。

それだけは疑ってくれるな、心は本当なんだよ。

世の中思い通りに生きられないけれど、下手くそでも一生懸命、俺は生きている。

 

今回のテーマであるとんびという映画のポスターからは、阿部寛のなんとも言えない表情のなかにある家族への、息子への想いが伝わり、瞬時にこんなことを考え、泣けてきた。

 

そして、今、ウクライナで戦うロシア兵も、ウクライナ兵も、きっと誰かのお父さんだ。そして、もちろん誰かの息子だ。

そんな人たちが国のためだとか、なんのためだとか、美辞麗句のスローガンのために、自分のお父さんを、自分の息子を、悲しませないで欲しい。