代ゼミについて

私は大学に入る前に浪人を一年経験した。

当時は、私の同級生の半数以上が浪人していて、あの頃は浪人なんて当たり前という風潮があったように思うが、データを見返すと、当時はどうやら日本全体でも約3割しか浪人していないようだ。この3割という数字は現在の日本の高齢者の割合と同じである。高いと思うか低いと思うかはおいておいて、最近は現役でいけるところに行くという傾向が強いようで、浪人を経験する人は全体の15%程度まで下がっているという。

これがいい傾向なのか、悪い傾向なのかは一概に言えないが、私の経験からすると、浪人時代は決して無駄な一年ではなかったようにも思うし、そう思えたのもその経験の大部分であった代々木ゼミナール、通称代ゼミでの生活のお陰だったようにも思う。

最初に伝えておくと、浪人時代を経ても全体としての偏差値はほとんどというか、全く上がらず、受験の結果も浪人後も第一志望には結局受からず、現役時代とほぼ同じ偏差値の大学に合格し、そのまま入学した。浪人生活で成績が上がる人も多いのは事実だが、私は上がらなかった。その理由はずっと分からなかったが、社会人になって、限られた時間の中で電験三種の勉強をして、合格を勝ち取った経験から、浪人時代の勉強法が、受験または試験対策とはかけ離れていたことが原因だったのではないかと気が付いた。これについてはいつか詳しく書いてみたい。

さて、私が代ゼミを選んだのは、学費が一番安かったからである。他のところは年間70万円だったが、代ゼミは半額とのことで決めた。当時は父が失業していたこともあって、家計が非常に苦しいことも分かっていたので、本当に申し訳ないという思いがあった。そのためか、浪人時代は全くと言っていいほど、遊ぶということはなく、家と代ゼミの往復しかしておらず、お昼も弁当を代ゼミで食べて、夜まで代ゼミで勉強するという日々だった。飲み物といえば、塾内にあるウォーターサーバーというか、昔の水飲み場で水を飲むだけだった。

そんな中で唯一の楽しみが、名物講師達による授業だった。そもそも自分の置かれた環境のせいなのかもしれないが、とにかくその講師達の授業は面白く、彼らに陶酔してしまっていた。

また、代ゼミのいいところは、サテライン授業といって、講師が特定の校舎に来て教えてくれるだけでなく、衛星放送で生中継で代々木本校の授業を全国に届けてくれていたことだ。よって、当時、町田校だった私も代々木本校の素晴らしい講師達の授業を受けることが出来た。

数いる有名講師陣の中でも一番有名なのは、古文の吉野敬介氏であろう。元暴走族の総長(だったかな?)という肩書で、顔も強面なのだが、髪型と服装もまたそれ相応というか、派手なヤ○ザ風ファッションで、見た目と中身ともにものすごい迫力のある人だった。そして、授業はとにかくわかりやすい。古文というと、理系の学生からすると、厄介な科目である。あまり勉強に時間をかけたくないのにも関わらず、日本語とは思えないくらい、勉強しない限りは全く読めないので、とりあえず勉強してみるかと思っても、どこからどうやって、というのが分からず、途方に暮れてしまう。しかし、吉野先生の授業では、とにかくこれを覚えろ、とすごい王道をものすごい迫力で叩き込んでくれる。そして、呪文のように覚えた助動詞、るらるすさすしむずじむむずましまほし、とか、今でも覚えているほどである。そして、必ず15分くらいだったかな、雑談の時間があって、今で言うスベらない話みたいなのを披露してくれて、これがまた最高に笑えて面白かった。かなり昔になるが、杉村太蔵さんが吉野先生の話を自分の体験談のようにして披露してしまったということがあったが、私からすると、その気持ちよく分かるというか、暗い浪人時代に聞いた面白話というのは、唯一の明るい話題というか、とにかく鮮明に頭に刻まれていて、あたかも自分の経験だと、錯覚してしまうというのも、分からなくはないのだ。もちろん盗作はいけないが、そのくらい吉野先生の話が面白くインパクトがあり、影響力があったことを物語っているエピソードだと思った。私は吉野先生の授業は全てサテラインだったが、夏期講習のときに町田校に来てくれた時は、休み時間になると、吉野先生にサインをもらいたい生徒が講師室に長蛇の列を作っていた。

次に有名なのが、数学の荻野暢也氏。見た目は吉野先生とほぼ同じ系統に見えたが、中身はとても古風で、繊細というのが荻野先生の特徴。荻野先生の授業は、同じ理系学生の中では好き嫌いが分かれるところでもあり、私は好きだったが、荻野先生の解答が使える問題と使えない問題があるとか、そういうこともあったようだ。ただ、荻野先生はとにかく遅刻だとか、授業中に携帯を鳴らす、寝るなどの態度に対して、とにかく厳しくて、そういう生徒に対しては容赦なく、制裁を与えていた。浪人生というのは、精神的にかなり追い込まれているが、そこから逃げ出そうと思い、逆に弛んでしまう人が多いのも事実。特に5月〜7月とか、9月〜11月とか、中弛みしやすかったりするが、そこで誰かにガツンと喝を入れてもらうことって意外と重要だったりもする。よく覚えているのは、私が浪人している年は日韓ワールドカップがあり、運良く私はあまり興味がなかったからそこまで誘惑に負けることはなかったものの、たまたま何人かの代ゼミ生がワールドカップを観戦していたところを荻野先生に見られてしまったようで、次の日の授業でかなり長い時間をかけて、今ワールドカップに興じている場合ではないだろ、という話をしてくれていた。それも、親の事を考えろとか、ホームレスになる自分を想像しろとか、そういう切り口なのも見た目とのギャップがあって、印象に残っている。

文系でも理系でも、必ず受ける英語に関してはとにかく多くの名物講師がいて、その中でも私が最も好きだったのが、富田一彦氏。富田先生は、話し方が非常にソフトで、見た目もどこにでもいるおじさん。しかし、口を開けば毒舌の嵐。ここをこうやっちゃう人、ちょっとおつむが足りないんですかねぇ、とか、バカですねぇ、とか、突然、毒舌が出てくるので驚かすというスタイル。本人は東大卒で、頭がいいのは誰もが認めるところではあるが、彼の授業は徹底的に論理的かつ合理的で、理系脳にはとても分かりやすい内容だった。覚えているのは、とりあえず動詞を探せ、そして動詞が持つ箱に何が入っているのか、それを見つけて読んで行くという、これこそ英語の構造そのものをしっかり教えていた。そのため、富田先生の授業をしっかり理解し、使いこなせれば、確実に英語は読めるようになるし、間違いもなくなることはよく分かったが、なかなか富田流を習得出来ず、社会人になってからも、英語には悩まされたのだが、授業は色々な工夫があり、それ故、こちらも色々な発見もあり、とにかく知的興奮を味わえる授業だった。

また、英語に関してはwriting という授業が町田校にあり、日本人とアメリカ人の講師がペアになってやってくれたのだが、これが本当にいい授業だった。とにかく簡単な言葉で分かりやすく、そして文法を正しく使えというのがモットーで、仕事で使う英語はまさにこれそのものであった。やはり書くことは何よりも大事で、正しく伝えることが大事なので、シンプルに簡潔に書くことで複雑な文法を使わなくて済むから間違いもなくなる。しかし、文法はかなり厳しく指導された。最初は、a,theの使い方から始まり、時制や受動態など、日本人が間違えがちなところを中心にとりあえず、失点や減点のない文章作りを教えてくれた。しかも、町田校の先生だったのと、writing を受けている生徒が少なかったこともあり、先生との距離も近くかなり親身になって細かく教えてくれ、授業後も色々対応してくれた。

化学は、町田校にいた大宮理氏。比較的若い先生だったと記憶しているが、フェラーリを乗り回して、首都高を爆走したとか、そんな話をたくさんしてくれたが、元々は多浪していて、人生諦めかけたけど早稲田に入って、代ゼミの講師になって、お金儲けて、フェラーリ乗ってというサクセスストーリーが多くの浪人生の心を掴んでいたようにも思うが、授業は淡々と進めながら、印象的な表現がところどころに出てきて、頭に入りやすかった。

そして、最後は物理の為近和彦氏。私が物理学科を目指した理由の一つはこの為近先生のお陰でもある。この人の右に出る物理講師は先にもあとにももういないだろうと断言出来るくらいに素晴らしい講師だったように思う。他の講師が雑談とかの印象が強いのに対して、為近先生だけは、まずは力を書きなさい、とか、電流を仮定しなさい、とか、授業中に口を酸っぱくして言ってくれていた魔法の言葉が一番に思い起こされる。そして、どんな難しい問題も為近先生の言う通りにやるとどんどん解けるようになるのが最高に楽しかったし、嬉しかった。浪人生時代を経て、成績が伸びたのは、古文と物理。古文は最初が底辺だったので、伸びしろが多かったが、物理は元々偏差値が60近くあって、一番得意な科目ではあったが、そこからさらに伸びた。それこそ解けない問題はないんじゃないか?と過信するほどになっていた。(もちろん実際は解けない問題だらけだったが)また、為近先生も雑談は最高に面白く、人形が好きで人形のために家を建てたと話していたのを覚えている。

浪人することの賛否があるのはよく分かるし、社会人になって思うことは、大学名はあまり仕事の出来不出来にはほとんど影響しないことなので、実際は浪人をしてまでいい大学を目指し過ぎても、、、というのは分からなくもないが、浪人時代が無意味だったかと言えば、あの頃よりも長い自分と向き合い、他の人や社会と分断して色々と考えたり、発見したり出来た時代はなかった。そして、そのように思考の訓練が出来たことは受験だの、偏差値だのではない価値があり、今こうしてブログなんかを書けるのも、その頃の思考する習慣があったからこそかもしれない。思春期というか、慌ただしい青春の一年を周囲と距離を置いて、しっかり自分と向き合うのも大事なのではないだろうか。

そして、その中心に代ゼミがあったので、本当に感謝している。