少年野球について

私の一番好きなスポーツと言えば、2位とかなり差が出るくらい野球が好きである。あまりにも色んな事が神がかり的で、奇跡のスポーツだと思っている。野球について、その魅力をまた別にまとめたいとは思っている。

しかし、そんな野球において、そして特に少年野球や高校野球については、とても残念な、不都合なことがいくつもある。

まず、何より道具が高いことが挙げられる。そんなこと言ったらバイオリンなどの楽器を習う人はもっとお金がかかるとか、いいものなんだから高くても仕方がないとか、言われそうではあるが、無駄なものが多いという気がするので書きたい。第一に、ユニホーム類である。値段にそこまで影響はしないものの、あの立派なベルトは必要なのか?と思う。とにかく固いので子どもには扱いにくいし、バックル部分も大きいので、ヘッドスライディングをよくする野球においては邪魔になるケースがあるのではないか、そしてサッカー同様、ゴムと紐でいいのではないか?と思う。靴下の二重化も確かにスライディングからの衝撃は守れるが、そこまで必要性は感じない。スパイクも必要なのは分かるが、高いのでボールを蹴るわけでもないし、走りやすい普通の靴でも十分に思える。さらに書くのであれば、そもそも野球というスポーツでプロ野球は別として、アマチュアであれば、ユニホームを揃える必要があるのか?という疑問もある。確かに揃ってる方がいいのは分かるが、サッカーのようにプレー中にどちらのチームか分からなくなることもないだろうし、余程奇抜なものでない限り、プレーを阻害しないので、服装自由で、試合時に背番号つきのビブス着用でも問題ないように思う。また、グローブとバットは本当に高くて、小学生用でも2つ揃えたら五万円以上かかってしまう。私は野球を金持ちのスポーツにしたくないので、お金の面でもっと敷居の低いスポーツになって欲しいと思っている。

次に、色などに指定があることである。例えば、うちの地区の少年野球だと、グローブは単色じゃないといけないとなっていて、小学生が好きそうなカラフルなやつとかは使用出来ない。高いグローブを買わされる割には好きなものは買えないというのは非常に不条理であり、理不尽に思える。同じようにスパイクも色の指定があり、ユニホームに合わせたチームごとの決まりの中で選ばないといけない。スポーツをやる上で、意外と楽しいのが、特にゴルフとかはそうだが、ウェア選びだったりする。好きな道具に身を包むことも楽しみの一つだが、必要性の低い制限がそれにかかることは競技人口を増やそうという動きにはマイナスになり得る。甲子園における坊主頭指定も最近は緩和されてきているが、そういうものを含め、下手な統一感は逆に見ていても窮屈感を覚えてしまう。

古い指導法がいつまでも残っているというのも、少年野球の特徴でもある。日本のプロ野球というのも封建的な部分が多く、メジャーリーグが変更したとなればそれなりに柔軟に対応するものの、改革とか改善に関しては一般企業などに比べるととても腰が重いが、少年野球や高校野球はさらに重い。例えば、少年野球で言えば、熱中症対策と世間で言われても、真夏の炎天下で一日中練習をさせたり(もちろん水分補給や氷の提供は親がする)、不要な声出しを強要したり、考えさせない野球、つまりは監督やコーチの言いなりの選手を作ったり、まぁ挙げていくときりがないのだが、少年野球というのは、かなり古い体質の温床であり、世間とはズレた常識の中にある。また、コーチや監督が真剣になるのはいいことだとは思うが、教え過ぎるというか、型にはめようとし過ぎてしまうというのも、問題であるように思う。大リーグなんかをみていると、色んな投げ方や打ち方の選手がいて、みんな超一流であるが、日本の少年野球は特に、みんな同じように投げて打つという感じで、個人の体格や性格、または好みに合わせるということはあまりないように思う。明らかに直した方がいい場合も多いことは認めるが、動きに個性があっていいようにも思う。

あとは、勝ちにこだわり続ける指導者や親が多いことも問題がある。もちろん、野球というのはスポーツであり、それには勝敗がつきものだし、試合に勝つために練習し、勝つ喜びを味あわせてあげたいという指導者や親の思いであることは当然理解出来るものの、小学生にとっての土曜日、日曜日は友達と約束してどこかの公園に行ったり、くだらないことでも話しをしてみたり、ゆっくり本を読んだり、映画を観たり、または他のスポーツをやったりと、色んなことを体験することもまたとても重要なことである。しかし、勝つ事にこだわると、どうしても練習をたくさんしないといけないという心理になり、土日祝日は必ず丸一日練習して、さらに平日もとかになると、子どもの可能性がどんどん狭まってしまう。プロ野球選手という狭き門を目指すとしても、やはり見聞を広めることは重要だし、プロ野球選手にならないのであれば、いくら野球が上手くてもそれだけでは何も出来ないので、小学生のうちからなるべく広く色んなものに触れる機会を与えてあげないといけないし、高学年になったら、何より自由な時間を与えて、それをどう使うか、自分で考えて行動することも学ばないといけないと思っている。よって、中学生や高校生になっても部活漬けとかも本当は良くないと思っている。プロの選手ならまだしも、または強化選手なら仕方ないかもしれないが、或いはよっぽど本人が大好きでそれ以外やる気がしないとかであれば話は別だが、半ば強制的に子どもの自由時間を奪うのは良くないと思っている。その時は、勝ちたいと子どもも親も必死になって頑張るが、終わってみると、何が残っていたのか?という虚無感を抱くことが多いのも事実。確かに親子関係は良くなることも多いが、それは一緒に過ごしたり、同じ目標を持ってやったりしたことが要因なので、野球でなくてもいいし、大切なことは親が子どものために、子どもと一緒に頑張ることである。

では、負け続けていいのか?と問われるが、まず練習時間と勝敗はそこまでリンクはしないと思っている。効率の良い練習と精神論ではない戦い方(戦術)があれば、少年野球なら勝てる。むしろ、長時間練習で疲れが溜まったり、また親もちゃんとした食事を与えられなかったり、選手が自分で考えて練習したりすることができなくなる方がよっぽど負け続ける要因になると考えている。もっと言うと、負けたっていいとさえ思う。人生という長い道のりを考えたときに、野球の試合で勝つという成功体験はとても意味のあるものだと思いつつも、野球が人より上手いことだけでは、例えばずっとゲームをやっている子どもと何が違うのか、ということになる。つまり、それが生きていく糧になるかということで、野球に全てを捧げても、そのまま人生を送れるとは限らないというわけだ。もちろん、全てを適当にやって、中途半端に多趣味である必要はないが、触れてみて、試してみて、人生の楽しみ方を試行錯誤してみることもやはり必要なのだと思うし、昔、脳科学者の話で、同じ事や慣れたことをやり続けると脳は退化すると聞いたことがある。逆に新しいことや慣れないことをやることで脳は活性化するらしいので、小さいうちは色々経験することが大事なのではないかと思っている。

とはいえ、やはり野球をやる息子を観たり、団体のなかで成長する姿は大事なことだと思うので、もう少し運営側が配慮してくれるようになるといいなと願っている。