青木宣親引退について

スワローズファンを続けてきて、数々の引退試合を観てきて、それこそ、古田だったり、土橋だったり、応援してきた選手の引退試合の中でも、青木宣親の引退は一番大きな衝撃のあった引退であった。

まず、青木宣親は、私の1つ上の学年の早大卒であり、自分が大学生の頃は六大学のライバルでもあったが、彼がスワローズに入り、頭角を現してきた頃、私もちょうど入社し、彼より数年遅れて社会人デビューをした。入社直後は辛い時期だったこともあり、彼の活躍に何度も勇気付けられた。

そして、彼がメジャーリーグへ挑戦した年に、私も米国への赴任が決まり、何となく共にアメリカで頑張ろうなんてさらなる親近感を持って応援する様になった。彼がブリューワーズから色んな球団を渡り歩く中で、私の赴任先であったテキサス州ヒューストンにあるアストロズでもプレーしてくれた。もちろん、彼の試合にも足を運んだし、日本人会の企画で、彼のバッティンググローブがチャリティーオークションにかけられた時には、当時まだ若手の自分にしては奮発して競り落としたことも記憶に新しい。

そして、私が5年の任期を終え帰国すると、彼も帰国し、またスワローズに戻ってきてくれた。青木宣親プロ野球選手としてはもうベテランの域に達しており、若手の手本になるような選手になっていたが、自分もまたその後の会社人生を左右するような大きな案件を任されるようになった。

このため、ずっと彼とは人生がシンクロしてるとずっと勝手に思って応援していたので、自分の中では、一人のスーパースターというよりはむしろ、自分の生き写しのような、尊大とは思いながらも、自分の分身のような、そんな不思議な感覚で彼の活躍を見ていた。

そんな彼が引退してしまった。

なんだか心に大きな穴が空いたような感覚だったし、また自分自身を見つめ直すキッカケにもなった。私はサラリーマンなので、この年で引退するわけにはいかない。でも、これまでシンクロしていた人生からして、きっと自分にも何かの転機があるはず、そんな気がしてならなかった。

よって、彼が今後どういう活躍をするのか、そして自分が会社やその他の場所でどんな働きをするのか、まだ何も見えないが楽しみにしている。

彼の引退式はGLAYTAKUROの国歌演奏から始まった。私も高校時代のバンドブームに乗っかった身として、GLAYというのは憧れのバンドであり、たくさんの曲をコピーして練習したものだったから、グッとくるものがあった。セレモニーでは、早大同期の鳥谷やマクガフのメッセージが印象に残ったし、マリナーズのユニホームを着たイチローが出てきた時にも驚いた。さらに、ダルビッシュが毎年恒例で、青木家とダルビッシュ家での食事会をやっていると言った時にも驚いた。家族や友人を大切にしてきたんだなと感銘を受けた。

そもそも、この引退式。2015年にスワローズがセ界一を決めた10/2に私の長男が生まれたのだが、その記念すべき10/2に行われたのも、また運命を感じた。

全盛期の青木宣親は、打席に立てば、打つイメージしかない、本当に怪物という印象だった。こういう印象のある選手はスワローズだと青木宣親山田哲人、そして村上宗隆、助っ人を入れると、ペタジーニとバレンタイン、そして、今のオスナサンタナ(二人セット)くらいである。その中でも、同世代ということもあり、青木宣親は自分の中では別格であった。

青木宣親の伝説はたくさんあるが、私が最も好きなのは、今の奥さまへのアプローチである。なかなか付き合うというところまでいかなかった場面で、今度の試合でヒット3本打ったらデートに行こうと約束をし、本当に3本打って、デートに誘うことが出来、そこから結婚までこぎつけたというエピソードである。決めるところで決められる勝負強さという面と、奥さんへの想いと、色々とカッコいいなと思わせてくれるエピソードである。

あとは、単純にすごいなぁと思わせてくれたのは、いつの番組だったかハッキリとは覚えてないが、色んなスポーツからNo.1の選手が集められ、様々な体力勝負をするという企画で、青木宣親ハンドボールの宮崎や角界朝青龍、などのメンバーの中で見事野球代表として優勝していたことである。

優勝といえば、2021年と2022年のニ連覇がなんと言っても最高の瞬間だった。青木宣親の帰国後、最大の目標が優勝であり、それを達成した時は本当に感動的であった。まさに、有言実行の男という感じであった。

 

さて、気は早いが早速、彼の次の活躍に期待してしまう。

今言われているのは、スワローズの時期監督という声だ。私もそれに大賛成なのだが、すぐにというのは少し不安がある。以前、古田監督が誕生した時も引退からすぐに監督というか、選手兼監督だったのだが、監督として成功したとは言えない成績だったので、期待されていたにしては、短命な監督になってしまった。もちろん、能力も人柄も、申し分ないのだが、やはり監督業における修行期間は必要だったのではないかなと思う。今の高津監督やオリックスの中嶋監督もそうだが、二軍監督を経てからの一軍監督で、成功を収めていることからも、やはりその様に修行というか、監督業の経験はしっかり積んだ方がいいと考えている。彼のスワローズ愛と選手としての実践、さらにはメジャーも経験したという経歴、どれを取っても次期監督を期待したくなるのは分からないでもないが、私は意外と監督にこれらのものは求めておらず、監督として監督業の能力があるかないかだけであり、青木宣親という名前がいつまでもスワローズの中にあって欲しいという思いもあるが、まずはしっかり監督業を学んでからがいいかと思っている。そして、満を持して、最高の指揮官青木宣親監督を見てみたい。

そして、その時までに自分もまた成長して、次のシンクロを期待している。