クルド人問題について

私はどこかの記事でも書いたかもしれないが、人生の半分を外人として生活してきた。それは、日本国籍を失ったわけではなく、単に海外で暮らしたため、その期間は外人だったということである。

外人として暮らす際、私が心がけているのは、現地の文化や習慣を尊重することであり、決して単に法律を守るということだけではなく、その土地の雰囲気というか、流れに合わせるということである。しかし、それと同時に、あまり書きたくないことではあるが、その文化や習慣などに対して、または少し大きな話ではあるが、その国の将来などには無責任でいられるし、気に入れば長くいればいいし、気に入らなければ自分の国に戻るか、または別の国に行けばいいというお気楽な生活が出来る。よって、私は外人でいることはとても快適だし、外人生活は個人的には気に入っている。

しかし、その国や地域から出ていけと言われてしまえば、出ていくしかない危うさもあるが、それはお気楽でいられることの代償であり、仕方のないことのように考えている。

さて、クルド人問題だが、これは長いこと問題になっていて、クルド人だけではなく、日本にいる外人がその地域の人々との間に摩擦が起こるというのは非常に自然なことというか、当然そうなるというのが私の見解であり、仕方のないことだと考えている。

特に、一定の人数を超えて、彼らがあたかも自国のように生活してしまえば、当然亀裂が生じるのは火を見るより明らかである。

私自身、子どもの関係もあり、学校や地域の行事には積極的参加をし、地域のコミュニティというのを大事にしている。政治や社会というのは、遠い存在のように見えて、実は人と人の繋がりの中にあるもので、その人と人の繋がりは、文化や風習とともにある。つまり、社会を維持すること、安定的に継続的にそして、快適で安全な地域というのは、草の根の活動の上に成り立っている。

よく外国人観光客が日本に来て驚くのは、フランスのパリのようなゴミが散乱し、治安が悪いというのとは違い、清潔で安全という部分である。しかし、こういうものは一朝一夕で得られるものではなく、教育であり、風土であり、長年の蓄積に他ならない。

冒頭で書いたように、私が外人である時には、気楽な心持ちとは裏腹に、それを壊さないように常に心がけていた。何故ならそれはその土地の人がずっと大事にしてきたものであるからだ。

その様な観点で、色んな国を見てきたが、ほとんどの国は、そういうものよりも、合理的なものを好んだり、または自己中心的なものであったり、自然体であることであったり、日本ほどそういうものを大事にしている国というのはなかなか見つからない。その主な理由として、アメリカやカナダの様な移民の国であったり、インドや欧州などのように様々な宗教や言語、文化が混ざっていたり、中国のように強力な政治主導があったり、同じ文化をずっと続けてきた国というのは珍しいからだと考えられる。

よって何が言いたいのかと言えば、日本という国において、日本を維持していくためには、日本は移民を受け入れて頭数を増やすというのではなく、むしろ国を閉じて、もう一度、国として国内回帰することのように思う。

もちろん、日本に住む外国人が悪いわけでも何でもない。彼らがいることで、我々は多くの事を学べるし、新しい血はとても重要である。しかし、クルド人問題にみるように、移民が束になって、新しい文化圏を築くことは日本にとって好ましい事態ではない。お互いに融和すること、迎合すること、共生することは何よりも重要なことであるが、違う文化圏を国内に作られることは避けたいと思うのだ。

よって、移民、移民と人口だとか、経済だとか、そういうことのために移民を受け入れることは日本の安定と発展のために望ましくないのではないかと考える。

クルド人問題はよく見てみると、夜中に水タバコを吸って、遅くまで騒いでいるとか、大きな祭りのようなものを開催しているとか、暴動のような騒ぎを起こすとか、そんなことが問題になっているが、彼らの文化、つまり、自国においてはそういうことがむしろ日常であり、日本にとってみるととても迷惑に思えることでも、それが彼らの普通である以上、つまりはちゃんと融和し、迎合し、共生しない限り、一向に解決しない。

そのために、ちゃんと地域で受け入れて、交流しないと、と言っても、例えば日本が好きで、日本人と共に生きていきたいと思っている外国人でないと、なかなか難しい。クルド人の多くは、日本が好きなわけではなく、自国で暮らせなくなり、どこでもいいから行けるところを探し、たまたま知人の伝手があったりして、日本にやってくるケースがほとんどで、最初から溶け込もうとか、そんなことを考えているわけではない。

私が外人として、その地域に受け入れられるためには、受け入れ側の姿勢は2割、つまり全く受け入れる気がないとこっちが何をしても受け入れてもらえないが、向こうに多少受け入れる気さえあれば、残りの8割は受け入れてもらう側の努力が必要だと思ってきた。クルド人が実際どこまで本気で溶け込もうとしているのかは分からないが、この8割の努力はしていないようにも見える。その理由は簡単で、彼らは決して日本人に助けられているという認識はなく、同胞の仲間に助けられていると思っているし、そのコミュニティさえあれば生きていけてしまうので、溶け込もうという努力なんてほとんど考えないのだと思う。

話は長くなったが、このように数合わせのために移民を受け入れては、地域との衝突は避けられないし、日本の長年培ってきた文化や風土は壊されてしまう。もちろん、日本の文化や風土の中には変えていかないといけないものも多いので、壊されること自体決して悪いことだけでもないが、残さないといけないのもまで破壊されてしまうと、ここはもう日本ではなくなる。

国防とは、何も武力を使って侵略を防ぐことだけでなく、このように内部から壊されることを避けるのもまた国防である。防衛費はどんどん増額される一方だが、それに反対する気はないにしても、もしそんなお金があるなら、少子化で疲弊している産業の発展、特に農業従事者の高齢化で放棄される農地を国が買い取って大規模農業に切り替えていくとか、やり方は色々あるにせよ、移民に頼ろうとする姿勢の改善に使うことだって、立派な国防であると思う。

今回、あたかもクルド人が悪者のように書いてしまったが、彼らは悪くない。彼らがその様になってしまう環境がそこにあっただけだと考えている。移民政策を考える上で、彼らがどのように外国人として日本で生活していくのか、地域と共生していくのか、そういうことを想像しながら、移民政策は進めて欲しいと切に願う。日本を守るために。