戦争の足音について

物事というのは、因果があるなぁと思う。原因があって、結果がある。結果の過去形(名詞の過去形なんておかしいが)、それは目標。となると、原因の過去形は手段となるか。抽象的で分かりにくいかもしれないが、要するに、ある動きが起これば、必然的に得る結果があるということだ。

私はそれをQUADに感じている。

QUADとは、アメリカ、インド、オーストラリア、そして日本で構成される軍事同盟。軍事同盟というものの目的は、戦争が起こった際の共同体制を組むというものであり、戦争が前提の結び付きである。つまり、戦争の準備。

我々は、歴史を学んでいるので、過去の軍事同盟と戦争の経緯を調べることが出来る。例えば、日英同盟のあとの日露戦争。日独伊三国同盟の後の第二次世界大戦。なんにも無い平和な時代だと思えば軍事同盟などは必要もないし、議論もされないはずなので、軍事同盟というのは明らかに有事を想定している、または予期してのこと。さらに言うと、軍事同盟が戦争を誘発、または戦争への距離を縮めているという側面すら否定出来ない。

つまり、これが因果になるのではないかという不安と恐怖がある。

戦争というのは、誰かの利益のために行われる。得をする人がいない戦争はなく、必ず誰かが得をする。しかし、世の中はプラスがあれば、どこかにマイナスが必ず生まれるので、戦争という明らかに大きなマイナスが見えている時、どこかにとてつもないプラスを享受する者がいることは物理学のエネルギー一定の法則のようなもので、容易に想像できる。ただ、それが誰なのか、具体的なことは分からないまでも、そうでなくては、戦争は起こらない。少なくても、国民のためではないと思う。戦争当事者で得した、とか、幸せだったという一般市民は少なく、勝っても負けても、大切な人を失うなど一般市民は犠牲を払っている。

QUADの仮想敵国というのは、ロシアと中国。つまり、QUADは彼らへの挑発行為でもある。資源を持つロシア、金を持つ中国、そんなリッチな国からQUADメンバーが何かを奪おうとする目的があると、ロシアと中国は考えるだろうから、それを必死に守ろうとするだろう。守るためにはどうするだろうか?きっと戦うしかないと考えるのだろう。

もうお分かりかと思うが、タイトルの戦争の足音とは、まさにQUADである。QUADの先にあるのは、間違いなく戦争であり、日本が壊滅する可能性すら否定出来なくなってきた。

冷静になって考えると、もし、不良グループに囲まれて、殴られたとした場合、そこから逃げることを考えると、どうするか。一気に全員を倒すことは普通は難しいので、まずは一番手近な弱そう相手を倒すことを考えるだろう。この理屈で、この4カ国ならどこを最初に狙うか、それは日本になるだろう。ロシアからも中国からも一番近いし、そこまで弱いというわけでもないだろうが、インドはとにかく人口が多いし、国土も広い。そして、インドはロシアとの繋がり(友好関係)がある。オーストラリアは遠いし、大英帝国の一員でもあるから、QUAD以外の繋がり、つまり援助があるだろうし、アメリカは言うまでもなく強い。となれば、日本が最初の標的になることはほぼ間違いない。労働人口が少ない日本は、つまり戦闘員も少なく、軍事費の面では負けていないものの、戦うことに積極的ではないので、最初の標的にはもってこいである。

QUADの目的は軍事同盟であり、ロシアや中国の脅威に備えるというのだが、実際には米国からすれば兵器の販路を拡大するという目的があり、これからますますセールスが激しくなるような気もする。それを知ってか知らずか(知ってるに決まってる)、岸田総理は防衛費の増額を発表。これは本当に防衛費なのか?逆に国を売り渡すことを約束したようなもので、売国費なのではないかとも思ってしまう。

ウクライナ問題は色々な観点から書いてきたが、未だに収束せず不幸な状態が継続している。その犠牲の中で、NATOは結束を高め、軍事費を増大させ、さらに加盟国も増えた。そして、日本もQUADと軍事費を上げることになった。この2つに加盟するのは、米国のみであり、NATOの動きも、QUADの発足も、ウクライナ問題を皮切りに、米国にとって都合の良い方向に進んでいて、色々考えてしまう。

我々はこんな状況にいて、戦争の足音が聞こえてきて、この後、どうすればいいのだろうか?日本が戦争に参加する日もそう遠くはない。何故なら、日本に戦争を放棄させた米国が、今度は軍事同盟を結ぶことを迫ってきたのだから、むしろ一緒に戦えというメッセージであると捉えるしかないからだ。そして、戦争になれば、真っ先に中国やロシアにやられてるのは日本だが、そんな様子をアメリカは見て、自分たちが彼らと戦う時の参考にでもしたいのだろう。今回のウクライナのように、ロシア批判や経済制裁はしても、結局やるのは武器提供だけという詐欺師のやり口でアメリカは情報を集めている。

私としては、不可能だとは思いつつも、QUADから出てもらうことが、戦争回避への道なんじゃないか?と思っている。何故なら、軍事同盟と戦争は、因果の関係にあると思っているから。

 

 

 

 

選挙について

選挙が近くなるといつも思うのが、選挙カーがとてもうるさいということだ。私は決まった政党を応援しているわけではないので、とにかく選挙カーのうるささだけが気になる。しかし、投票するのに、候補者を知ることは大事だし、また候補者側もアピールすることは必要なので、多少うるさくても仕方ないということで認められているのかもしれない。

以前の記事でも書いたが、子どもが公園で遊ぶ声がうるさいとクレームを入れる人は、選挙カーには何も言わないのかな?、もっと言うと、米軍関連の戦闘機がよく日本の上空に飛んでいるが、あれにも文句言わないのかな?と思ってしまう。もしかしたら、文句は言ってても、今度は行政側が対応しないだけで、子どもの声だけ制限して、選挙カーと戦闘機は野放しなのかと、選挙カーが走り始めるといつも思う。

あと、騒音でいうと暴走族の音もよく議論にはなるが、あれも道路沿いの家は苦痛だとは思うものの、選挙カーのように住宅地に入り込んでくることはあまりないし、戦闘機の音よりははるかに小さい。戦闘機に関しては、中国の戦闘機が日本の領空侵犯をしたと問題になることがあるが、米軍の戦闘機は一日に何回も見かける日もあるし、音も大きいし、余程こっちのほうがもっと規制してもらいたい。政府は中国やロシアは敵で、アメリカは味方だから、と言って、国民の生活なんてそっちのけでこんな状況を見過ごしているのかもしれないが、いつアメリカが敵になるか分からないわけで、特に外交なんていつも不安定で恒久的に仲が良いなんてことはないわけだから、とりあえず、市民生活に支障の出る戦闘機を日本の領空で飛ばすのだけは、他の国の戦闘機と同様に禁止してもらいたい。沖縄ではもっと深刻だと思うので、まずは沖縄の米軍基地から始めてもらうのがいいかもしれない。ただ、自衛隊のものは仕方ないというか、それもあまりやってほしくはないが、訓練とかはしないといざというときに動けないし、訓練も実際に飛ばないことには本当の訓練にはならないだろうし、国民として、国を守ってもらうことに繋がるので、我慢が必要にはなるかもしれない。

そして、実際の投票だが、選挙カーがうるさく騒いでも、なんにも公約だとか、政策について伝わってこない。○○党の△△は、頑張ります、日本を変えます、あなたの一票を、とかとにかく名前と顔を刷り込む目的のためだけという感じで、選挙カーによる名前の連呼で国民が正しい選択ができるのか、と本当に疑問になる。中には、子育て支援の充実を訴えてるのにも関わらず、爆音で候補者名を連呼しながら、お昼寝中の子どもたちを起こして回ったり、勉強中または授業中の児童の邪魔をしながら回るという子育てや教育を阻害する選挙カーもあるわけで、議席を取る前からすでに公約違反な政党もある。もちろん法的には問題ない行為だし、これ以上の文句も言えないのだが、そういう選挙カーをみると、子育てしたことのない人たちがやってるんだろうな、信用出来ない政党または候補者だなと思うだけである。何故なら、本当に子育ての支援をしたいなら、お昼寝してる子がいるだろうことを配慮したり、小中学校の授業中だとか、試験中だったりする中で選挙カー走らせて、しかも無意味な内容(政党や候補者の名前の連呼)を聞かされたらどう影響するか想像できるし、止めるはずである。親になって、真剣に子育てをしたことがある人なら、昼寝してる赤ちゃんを起こされる腹立たしさは絶対に理解出来るはずなので、そんな政党が子育て支援なんて言っても信じられるはずがない。

もちろん、子育ての支援を訴えてる政党だけでなくても、もっとSNSを使ったり、街頭演説とかであれば、選挙カーのような問題は減ると考える。そもそも、選挙カーの問題はうるさいだけでなく、政策が伝わらないという問題もあるので、SNSだったり、街頭演説であれば、それなりに政策の話も出来るし、国民の選択の一助となるわけである。もちろん、テレビもあるが、一つは若者のテレビ離れがあることと、テレビはどうしてもスポンサーがいて、各政党を極めて公平で、公正な報道はシステム上難しいので、政党間で有利不利が出てきてしまうため、あまりオススメは出来ない。

選挙カーがうるさいという問題よりもっと深刻なのが、そもそも投票したいと思える政党がないこと。私は選挙権を持ってから、政治には関心を持ってる方だとは思うが、日に日に政治家の質は落ちているようにも思ってしまうし、どんどん政治に関与しようという気が損なわれる。

よく選挙に行きましょう!というキャンペーンをやっているが、あれこそ投票離れを加速させているかのように思う。というのも、人間心理として、もし今まで選挙権を与えられておらず、多くの人が初めて手にするものであれば、選挙へ行きましょう!あなたの一票で政治を変えましょうと言われれば、きっとウキウキして、絶対投票しようという気にもなるが、例えば30代で選挙権歴10年以上の人から見れば、これまで投票しても何も変わらなかったという記憶しかなく、そのキャンペーンが行われる度に胸糞悪い思いをしている人からすれば、逆に行きたくなくなるのは当然だと考える。それこそなにかの団体に所属し、団体票のために頑張る人は別にして、国民の多くが所属するいわゆる無党派層にとってみれば、ますます選挙に行きたくなくなり、団体票がますます有利になる。そういう戦略かと思うくらい、あのキャンペーンはみんなを選挙に行かせようとするのであれば、無駄である。

よく言われるのが、どうせ自分の一票なんて何の影響もしない、という意識であるが、それを変えるためには、応援したいと思える政党が出てくることが必須条件。そもそも多くの人が投票するものというのは、どんなものでも、自分の一票の価値というのは低い。しかし、それでも、例えばプロ野球オールスターの選手の投票は多くの人が参加する。選挙に行かない人でも、プロ野球に興味があれば、それに投票するのは、自分の応援する選手が選ばれることを願うこともそうだが、そもそも一票でも多く集まってほしい、とか、応援する気持ちを届けたい、とか、そんな気持ちのはずだから、自分の一票を入れたところで何も変わらないのは分かっていても投票するわけだ。

だから、投票率を上げたいなら、もっと色んな政党について報道したり、紹介する場を提供するべきなのだ。政策だとか、政党に所属してるメンバーを紹介するとか、よくYou Tubeで使われる切り抜き動画を発信するとか、とにかくそういうことをやって正しく各政党のことを国民に知ってもらうべきである。

よって、大切なのは、今やっているうるさいだけの選挙カーと、胸糞悪い選挙キャンペーンではない。今、既存政党に対抗する新しい政党がたくさん出ているので、メディアが紹介しないなら自分で調べてもいいが、是非、既存政党に変わる新しい政党の躍動を願うとともに、昔の記事でも書いたように、日本の政治が、日本のための、日本人のための、日本の未来のための政治になってほしいと願う。

 

 

中国について

実は中国には一度しか行ったことがなく、それも仕事で行ったので、観光はしていないが、たった一度でも、色んなことがあったので、ちょっと書いてみたい。

中国に滞在したのは、二泊三日。

上海経由で、会社の工場のある地方都市へ。

まず、中国といえば、本場の中華料理ということで、食事をとても楽しみにしていた。アメリカにいるときも、どんな小さな田舎町にも中華料理はあり、長期滞在になると、アメリカンフードを食べ続けることになり、そうなると胃もたれなど体調不良が起こるので、中華料理は本当に助かった。よって、中華料理は好きだ。早速、ホテル近く大衆食堂のようなところで食べた夕飯がとても美味しくて感動したのを覚えている。さらに、朝起きて食べたホテルの朝食もまた美味しい。旅先の食事が美味しいと、それだけでその最高の旅となる。そして、お昼はというと、社員食堂で食べたのだが、これまた最高に美味しい。ただ、日本の社員食堂に必ずあるアレがない。それは、水である。聞いてみると、中国人は食事中に水を飲まないらしい。代わりにスープを食べるとのことで、カルチャーショックを受けた。日本にある中華料理には水が出てくるから、今までそんなことは知らなかったが、やはり所変われば品変わるといったところか。

そして、実は中国に着いてからずっと耳が痛かった。原因はわからなかったが、それが二日目には結構な痛みになってしまい、お願いをして病院へ連れて行ってもらうことにした。連れて行ってもらった病院は、中国陸軍なんとか病院(正式名称は忘れた)という仰々しい名前だった。中はとても大きく立派な病院だった。早速、通訳の方と一緒に耳鼻科の受付をして、ようやく数時間待ってようやく名前を呼ばれたので、病室の前へ。そこからずっと待っていたが、あとからくる人がどんどん入っていくが、一向に自分の名前は呼ばれない。通訳の方に聞いてみると、よく分からないというので、周りの人に聞き込みをしてもらうと、なんと病室の中で待たないといけなかったらしい。

病室に入ると、医者と患者、そして4人くらいの待っている人が狭い病室にいた。そして、ジロジロと一緒に診察をみていて、中には待っている身分ながら医者に質問したりする人もいて、まさにカルチャーショック。自分の番になったときも、後ろから他人に見られながらの診察はなんか恥ずかしかった。そして、すぐに診察は終わり、炎症を起こしているからと言って、点耳薬を処方された。とりあえず、使っていたら、確かに二日後には治った。

あとから、通訳の人に、なんでこんなシステムなのかと聞いてみると、分からないと言われた。通訳の人も病院にはほとんど行ったことがなく、中国人は病院には行かず、薬を買って治すのが普通だと言われた。日本は病院がたくさんあるし、恵まれてるなと思った。しかし、それこそ、医療費負担増の原因であり、日本医師会と政治家の思惑かもしれないとも少し思った。

それはそれとして、夜になるとレストランで白酒(バイチュウ)を飲んだ。お酒に弱い私だったが、意外と人並みに飲むことが出来た。もちろん、酔っぱらいはしたが、翌日には全く残っておらず、美味しいお酒だった。

そして、最後の最後は空港で事件が起きた。カバンの上に置いておいたアイフォンがいつの間にかなくなっていた。すぐに空港のlost and foundに行ってみたが、なくしたものがアイフォンだと伝えた瞬間に係員に、それはもう見つからないと言われた。探すつもりもなければ、もし万が一持ち込まれても、そこから私に渡すつもりもないということなのかなと思い、諦めざるを得なかった。以前の記事でアイフォンが返ってきたことを紹介したが、それとは雲泥の差であった。

またいつか中国に行ってみたいと思う。

 

 

開墾について

庭付きの家を購入した最大の理由は家庭菜園を楽しみたいということだった。

庭でバーベキューや以前紹介したピザ窯などももちろん楽しかったし、流しそうめんも楽しんだが、やはり家庭菜園が一番の楽しみだった。しかし、これまでは出張が多く、なかなか最後までしっかり育てられないこともあったり、また仕事、子育てや家事に時間を取られて、時間や精神的な余裕がなかったりと、うまくいかないことも多かった。その中でも、ゴーヤ、じゃがいも、トウモロコシ、トマト、玉ねぎ、ニンニク、サツマイモ、枝豆、人参、大根などなど、色々と育ててきた。

しかし、最近ではすっかり時間の使い方が上手くなってきたことと、これまでの失敗を活かすべく、どうしたらいいのかと考えたりしているうちに、家庭菜園への熱意が再燃し、開墾作業を始めた。

まず、雑草が生え茂っていた畑の雑草を抜き、土おこし。

農業で一番大変な作業は実は雑草との闘いだと思っている。農家が高齢化してくれば、これを広大な農地においてこまめにやることは困難であり、だからモンサント社の除草剤なんかが出回るわけで、とても重労働なので、私の畑のようにとても小さなものでも、なかなかやる気が起きない。

しかし、今回、一念発起し、早速、土おこしをし、150×80と200×80の2つの畑を作ることにした。

これまでは、直に土に植えていたが、それだと隣からの雑草にいつの間にか畑が侵食されたり、また畑との境がわかりにくくなったり、管理が大変なので、しっかりと区切ることにした。

まず、雑草を取って、土おこししたのが、これ。


f:id:hachyn61:20220530162945j:image

この状態で、数日間放置してみて、いよいよ、次の段階へ。

まずは、今回使うものを紹介。


f:id:hachyn61:20220602071529j:image

レンガを100個、防草シート、そして堆肥。

ホームセンターで購入。

 

 


f:id:hachyn61:20220602071411j:image

防草シートを畑とその周りをカバーするように敷いてみた。

そして、区切り用のレンガを仮に置いてみた。畑の整地はザックリとしかしてなかったので、レンガはガタガタ。


f:id:hachyn61:20220602135827j:image

このあと、レンガの内部の防草シートをカットして、レンガの高さを合わせる作業。これが今回の山場。柔らかい土や硬い土を場所によって使い分けたりしながら、防草シートの下に土を出し入れして調整するという地味でいて、レンガを毎回動かさないといけないので重労働でもある。

そして、レンガのレベル合わせをしながら一段目を並べ、だいたい出来たところで二段目も積んで、防草シートをカットしたら、こんな感じ。


f:id:hachyn61:20220602155610j:image

 

逆光になってしまったため、角度を変えて撮影。あとは、内部に残っている防草シートを土で隠すだけ。

そして、完成!!

あとは、何日か放置して、雨などで土の中の石が浮かんできたら拾って、ある程度のところで堆肥を混ぜて、栽培となる。


f:id:hachyn61:20220602175700j:image

記念すべき第一号野菜は何にしようか、考え中。

 

阿武町誤送金問題について

最近、世間を騒がせているこのニュースだが、残念な事が色々ある。

まず、ニュースを見ていると、返金しないことへの批判が多く見られ、ネットなどではむしろ、町の対応に対し、疑問を投げかけるものが多いように見える。

日本は基本的には、間違って送金されたものと分かったなら、何も言わずそのまま返すべきだ、つまり返さないのはおかしいという道徳的観念があるように思う。逆に日本以外の多くの国では、盗まれる方が悪い、と考える国が多い。お金を持っている人はしっかり守るべきで、もしお金を無防備に持っているなら取られて当然、というのが基本である。しかし、そのため、そういうヨーロッパ的な思想がすっかり浸透しているのか、そんな大金(阿武町においては)をいとも簡単に送金してしまうという根本的な問題をネット界隈では論じられている。阿武町側の会見などを見ていると、送金ミス自体はなんとなくスルーされて、あたかも盗まれたかのような言い方になっているようにも見えて、違和感は残る。

とはいえ、私はこの部分はあまり気にしていないというか、どちらも悪い、というくらいで、あまりここを論じる気にならない。

残念なことは何かと言えば、このお金の使い道、それが海外のカジノだったことである。

以前にもお金持ちのお金の使い方について少し書いたことがあるが、お金を持ったら、それは大きな権力を持ったと同じことであり、スパイダーマンと同じ心境になるべきなのだ。

今回の件であれば、当然返すのが筋だから、返すという選択肢しかないのが普通だが、彼のように返さないで使ってしまおう、というなら、それを海外に送るなんて、言語道断で、まずは国内で使うことを考えて欲しかった。もっと言えば、彼は空き家制度を利用していたわけだから、町に対してとか、地域に対してとか、そういうロビンフッド的な発想でもいいし、または、何か慈善事業をやるとか、もう少し考えられないか?と虚しくなる。すぐに使ってしまおうと思ったのかもしれないが、大金を手にしたのに、あまりに発想が貧弱かつ、愛国心もなく、非常に残念に感じた。

もし、このお金が私に送金されて、そして、法律上、または社会通念上、送金した側(阿武町)が一方的に悪くて、返すことなど一切考えなくていいという世の中であれば、どう使うのか考えてみたい。

まず、真っ先に思いつくのが、それを元手にお金を増やすことである。投資でもいいし、何か別の方法でもいいが、とりあえずは、もっと大きな金額にしてから考えるという案だ。しかし、これは面白くない。失敗する可能性があるからではなく、例え一億円になったとしても、そこまでたどり着くのに、それなりに時間はかかるし、今回の誤送金された金額の4000万円もあれば、かなりのことが出来るので、その範囲で考えたい。

よって、同じように貯金という選択肢もない。全部一気に使う、むしろ足りないとなれば借りてでも何かをやりたいと思う。

まず、面白そうだなと思うのは、色んな大学の研究室巡り。企業は色々と日夜研究だの開発だのを進めてはいるが、大きな企業でない限り、今日明日のためのものが多く、必ず研究や開発の結果や成果、つまり利益がある程度見込めるものがほとんどであり、どうなるか分からないものなどは基本的にはあまりないから、目新しさという意味では興味が沸かない。しかし、大学というのは、もちろん最近では企業の下請けみたいな研究をやって研究費をふんだんに持っているという研究室もあったりするが、風変わりな教授が、少ない研究費を駆使して、コツコツ新しいことに挑戦しているというところも多い。そんな研究を応援するための財団を作ってみてもいいかもなぁと思っている。例えば、1000万円でもあれば何かのサポートにはなるだろうし、何よりそれを機に、自分自身が新しい研究などのトレンドを知ることが出来るのが楽しいだろうと想像する。なかなか普段の生活だと色々な分野の論文を読むとか、探し出すのは大変なので。

社会貢献というのをもっとダイレクトに考えるなら、海上のゴミ問題の解決のために何か出来ないかなぁと思ったりもする。海岸沿いにあるゴミなら拾えるが、海の沖合やさらに海岸から何十キロ、または何百キロも離れた場所に溜まって浮かんでいるゴミがあるなら、回収して、分解して、焼却する設備を持った船を開発して、燃やした熱をまた燃料にも出来るようにしたり、海上ゴミ収集車兼処理施設なんて出来ないかなぁとか。こういうのは計画(試作機の設計)するだけで4000万かかってしまうかもしれないが、レジ袋有料化よりは効果があると考える。海上のゴミが問題になったのは、もうかなり前のことではあるが、ここ最近は急に声高になったかと思えば、変なプラスチック製のものへの弾圧が始まって、新しいビジネスが生まれ、温室効果ガスの時と同じ現象がおき始めている。

だから、私はこの不気味な動きを少しでも緩和したく、海上のゴミが問題だというなら、そのゴミを徹底的に拾おうと思う。従来なら、そんなお金どこから出るのだ?となるし、クラウドファンディングとかでもお金が全く集められなかったら、今回のプラスチック製品排斥で儲けた企業や政府関係者などからの寄付でもいいが、そもそも岸田総理が訴える軍備増強をするくらいなら、海上をキレイにすることにお金を使えないの?など、どうせ政府は何もやらないのに、僅かな希望にかけるしかなかったが、このお金があれば、それを元手に海上ゴミ問題から派生した怪しい動きに一石を投じることが出来るはずである。

取らぬ狸の皮算用で、私が使い道を考えている時間も楽しいが、何が言いたいかと言えば、今回阿武町にお世話になった人(今や容疑者扱い)が、恩返しも考えず、返金する気がない、またらなかったということや、その町や地域に貢献する気もないという態度もとても残念だったが、海外に送金してしまうのはもっと残念だった、というのが、今回のまとめである。

 

ウクライナ問題について part4


一番の敗戦国は日本という記事を書いてから、日に日にそれが決定的になりつつあるように思うが、決定的になるのが、バイデン訪日。いつも通り、高額な武器を売りつけるのだろう。なんでそうなるのか、それはアメリカがウクライナに提供している武器の赤字を補填しないといけないので、日本に金を払わせるという単純なアメリカ的思想の結果だと思われる。以前の記事にも書いたように、日本はロシアとの貿易を止めてしまい、大損しているというのに、アメリカにはお金をむしり取られ、ウクライナには支援国として認識されず、正真正銘の敗戦国となる。それはさておき、今回はまた別の視点から書いてみたい。

この戦争が始まってからプーチンに関する記事がとても増えた。私は高校時代に、プーチンの半生というようなレポートをまとめたことがあったので、新しく知ることというのは意外と少なかったが、彼が力の信者だということをとにかくどのメディアも書いていたのが印象的である。特に思春期あたりに彼が路上などでケンカに明け暮れ、その中で学んだことが今も生き続けていると。そして、闘う時は徹底的に最後までやる。

ところで、私が大学時代にロシアに短期留学をした際に買ったお土産がこれである。これは、レーニンから始まり、スターリンフルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフエリツィン、そしてプーチンといったロシア(旧ソビエト)の歴代指導者の人形である。


f:id:hachyn61:20220517121851j:image

今からもう15年近く経つのだが、未だに政権のトップに君臨しているのは驚きである。もちろん、その前から大統領だったわけなので、彼の頭の中には世界の政治のほとんどが鮮明かつ深く刻まれているのだと想像する。

よって、今回の戦争について、プーチンの計画は、特にアメリカを中心としたNATOの動きや北欧諸国、日本、中国、インドの動きは予想をさほど外れてはいないだろうし、その各国の動きに対応する政策も将棋の棋譜を読むように進めているという印象を受ける。

ただ彼が予想していなかったことも当然起きているとは思う。それはロシア兵の動きである。日本でのニュースを見ていると、世界にウクライナ支援の輪が広がり、各国が武器を供与しており、平和を求め、一致団結して、ロシアを駆逐している、というような報道だが、平和を求める人は武器を供与するのか?と、一部、目的と手段が合致しているのか疑問に思う部分もあるが、戦闘民族の発想とはこういうことなのかもしれないと、そこは目をつむることにして、いずれにしても、隠せない事実として、ロシア側の被害が大きいようにも思うし、軍の統制が思うように出来ていないように見える。

戦争というのは、人と人が殺し合うことである。これは誰も否定出来ない現実であり、戦争になれば、殺人者と死人が出る。市民はもちろんだが、訓練を受けた兵士であっても、平時は普通に殺人とは無縁の生活を送り、家族や友人と楽しい時を過ごしている。そんな人たちが、戦争になったからと言って突然人を殺すことが出来るのだろうか。または、殺される恐怖に何ヶ月も耐えられるのだろうか。何の訓練も受けていない私は、もし、道端で突然ナイフを持った人に襲われたとすれば、一生心にダメージを受けるだろうし、精神病を患うかもしれない。たった一回の突発的な出来事でさえ、殺される恐怖に晒されれば、立ち直れないだろうと想像する。当然、人を殺せなんて命令を受けたとしても、例えばそのターゲットが自分の大切な人を傷つけた人だとか、計り知れない恨みや嫌悪があれば分からないが、何の繋がりもない人であれば、相手を殺さずに済む方法として、自分の命を絶つことを選ぶだろう。それくらい、命の奪い合いというのは残酷であり、相当な精神的な支配をされていない限り、つまりは戦闘員は完全な洗脳状態にならないと戦場での士気は保てないと思う。

しかし、プーチンは長く政権にいて、全てを把握し、NATOの魂胆も見えていて、この戦争をするしかないと思っていたが、それが広く国民や兵士には伝わってなかったのかと思う。誰もがプーチンがストリートで学んだとされる信じる力の理論に理解を示し、賛同して、共闘するわけでない、というところに、大きな読み間違いがあったのではないか、と邪推する。

最強の武器と戦略、訓練された兵士が多くいても、結局、人と人が殺し殺される戦場では、絶対的な悪として相手を見るか、自分の上司や最高司令官を絶対的な正として見るか、とにかく洗脳されていなければ、兵士は命令に対し、常に従順というか、駒のように動くことはないように思う。特にSNSが広がっている時代に、一方通行の情報のみを流せる、または信じさせるのは難解であり、きっと上手くいかない。反対にウクライナ側は、ロシアを絶対的な悪と兵士たちに位置づけることに成功している。突然攻めてきただとか、子どもが被害にあっているとか、市民を処刑しているとか、ゼレンスキー大統領の演説も上手く、ロシアを悪とすることは容易だったように思う。

よって、何が言いたいのかと、まずSNSの時代に人と人が実際に殺し合う戦争というスタイルは時代錯誤であり、少なくても30代以下の世代は、SNSネイティブ世代(社会人前になんらかのSNS触れた世代)であり、政府や一般報道からの洗脳は受けにくい。これはロシアだけに限った話ではないとなると、今後SNSの発達とともに、戦争がなくなるのかと言えば、多分人間以外を戦闘員にして戦争は続いていくんだろうなと思う。具体的にどうなるかは想像出来ないが、いずれにしても人間は戦場から少しずつ減るのではないかと思う。それくらい戦場というのは、異次元空間であり、現在の人間には耐え難い、というところが、きっとプーチンの想像を超えていたのだと思う。もちろん、これまでもいくつもプーチンは戦争を指揮してきたし、そんなことも当然、頭に入っていたという指摘もあると思うが、きっとここまでの長期化は想定外だったのではないかと思う。そして、そうなった理由は外的要因ではなく、ロシア内部の問題であると思うので、そうなると現場の兵士の士気、これが一番の原因だと考えたのが、今回の記事の主旨である。

日本は何も良いことがなく、この戦後はロシアとの関係も長らく改善されないだろうし、アメリカやヨーロッパも日本を助けることはしないだろうし、今から戦後どうするか、日本にとって、世界にとって有難いと思われるような日本的外交を是非展開すべく、検討してもらいたい。

 

 

アルバイトについて

前回の記事で、アルバイト時代のことを書いたが、学生時代を彩る活動の中にアルバイトというのはやはり大きなウエイトを占めるのではないかなと思う。

まず、そうなってしまう背景として、日本の大学の学費が高いことである。国立大学でも年間50万、それ以外にも、教材やその他の費用もかかる。それに一人暮らししている場合には家賃だの、食費だのとかかり、さらにそれが私立大学ともなれば、余程両親が裕福でないと、アルバイト無しでは生活出来ない。奨学金制度もあるが、返済不要のものならいいが、返済のあるものは、奨学金ではなく単なる学生ローンであり、借りるのは慎重に考えないと将来の生活に負担を先送りしているだけになってしまう。

さらに、大学生時代は直前の高校時代のような部活や受験という大きな負荷から開放されている。高校時代の授業以外の時間のほとんどは部活と受験勉強に使われたのに対して、大学では進級のための最低限の勉強をした残りは、自由に使える時間が多い。大学や学部によっては進級の条件が厳しく、毎日、とても勉強以外をする時間が取れないというところもあり、また一般的には海外の大学は特にそうだと聞くが、日本の大学はまだ卒業することは入学するよりも楽、つまり厳しい入学試験を通過すれば、卒業はそこまで難くない。

つまり、お金はなくて、時間はあるという大学生活というのが、日本の学生の姿なのだと思う。

私はというと、まず大学入学の際、浪人時代を経験しているのだが、浪人時代に入る前だったか、後だったか、(両親もしばらくはっきり伝えてくれてなかったのでいつからかは曖昧)父が失業し、大学入学の時には父の収入はほとんどなかった。この時には、父から入学と同時に奨学金をもらうようにと言われて、所謂学生ローン型の奨学金を申請したのだが、その申請には親の収入証明または源泉徴収票が必要だったので、その時に初めて家計の大変さに気がついた。

よって、入学と同時にアルバイトをいくつも掛け持ちした。

以前の記事でも書いた神宮球場でのビール売りのアルバイトが私の人生第一号のアルバイト。その後、家庭教師をやって、計三人の生徒を持った。そして、配膳スタッフといって、都内のホテルや式場に派遣され、パーティーでの配膳や会場の設営などをやったりする。これは、新宿のホテル、虎ノ門、銀座、表参道、池袋、高田馬場、横浜など、色々な会場で仕事が出来た。あとは、試験監督。これは色んな試験会場に派遣され、国家試験など様々な試験の監督をする。そして、大学院生になってからは、学内のアルバイトでTA(ティーチングアシスタント)というものがあったのでやっていた。

居酒屋、ファーストフード、コンビニ、スーパーなど、多くの学生がやっていたこのようなアルバイトを私はやったことがないが、この辺りの話は色んな人から聞いているので、自分の経験と友達などから聞いた話を元に、社会人になった今だからこそ思う、アルバイトの選び方、働き方を書いてみたいと思う。

少し前置きが長くなったが、ここからが本題である。

まず、今から考えると、学生時代の一分一秒はとても貴重だったように思う。とにかく若いし、元気だし、頭も身体も一番動くという時期なので、本当に何でも出来るし、何やっても楽しい時期だったように思う。社会人になり、自由な時間なんてほとんどなくなり、もちろんお金は稼げるようになったとは言え、やはり時間の貴重さを実感する日々である。よって、学生時代にやるアルバイトで、単に時間を売るようなアルバイトは勿体ないように思う。例えそれで高い時給をもらえても、学生時代の時間の貴重さには勝てない。

次に、社会人になった時にアルバイトの経験が活きる場面が意外と多いということもある。これは、学生時代には想像していなかったことだが、大学での勉強というのは、かなり専門的になるので、社会に出てそのまま使える人は意外と少ない。なので、私は今の日本の大学のように進級をやたらと厳しくしない方針は賛成で、学生時代は自主性が大事であり、アメリカの大学に留学した私の友達の何人かは毎日勉強を夜中までやっていたという人が多く、それも考えものだなと思った。

よって、貴重な学生時代の一分一秒を有効に活用出来るアルバイトを探していくことが大事だと、今だから思える。どうせアルバイトなんだし、適当にやろうでは時間が勿体ない。当時は、時間の貴重さにあまり気がついてなかったし、とにかくお金がないという状態から脱することばかり考えていた。そのためか、大学時代はアルバイトと奨学金、さらに自宅から自転車通学出来る距離に大学があったことから下宿もしなかったので、親からの支援はなかったものの、学費などを全部自分で払ってもなお、それなりに余裕のある生活が出来ていた。しかし、今なお、奨学金の返済は続いているので、先程も書いたが、返済型の奨学金とは学生ローンで、負担を先送りしているだけなのである。しかし、それでも、学生時代の貴重な時間を買っていると思うと安い。社会人になればそれなりにお金は入ってくるが、時間はもう戻らない。

そこで社会人目線で見るいいアルバイトとは何か、私が考えるのは以下である。

①いい仲間に出会えるアルバイト

社会人になると、会社関係の人が交友関係の大部分になり、なかなか仲間には出会えない。アルバイトは本当の友達を作る最後から二番目のチャンスだと思う。ちなみに、最後のチャンスは、会社の同期入社組。この日本式の同期入社という制度も最近は変わろうとしてきたが、私はこの制度はとてもいいと思っている。3月に大学または大学院を卒業して、4月から同期入社して、一緒に研修受けて育っていく。私もたくさん同期がいるが、みんな最高の仲間である。

②社会と繋がれるアルバイト

大学というところは学問の場所なので、社会とは少し、というかだいぶかけ離れている。例えば、学会に参加するとか、企業と共同研究をやることで繋がることも出来るが、これは学問としての繋がりなので、どちらかというと大学の延長であり、企業や社会というものの泥臭さは体験出来ていないように思う。アルバイトというのは実際にお金をもらって働くので、そこには責任がある。また、この社会の血と言えるのは今はお金であり、そのお金の循環の中に入ること、それが社会と繋がることになるわけだから、やはりアルバイトは社会の玄関である。

③時給が良いアルバイト

これは単に短時間でたくさん稼げるから、ということだけではなく、時給がいいアルバイトは往々にして、しっかりした働き方を求めるものが多い。もちろん、詐欺まがいの高給アルバイトは良くないが、高い時給には高いスキルが求められ、その高いスキルを学び、実際に稼げるようになることはきっと社会人になっても使えるスキルになるはずである。

④歩合制のアルバイト

時給制のアルバイトがほとんどではあるが、私のやった神宮球場でのビール売りのように歩合制のアルバイトがあれば、やってみてもいいと思う。なかなかないと思うし、訪問販売とか、ネズミ講の類のアルバイトなどは良くないので、あくまでもいいのがあればという条件で。やはり、歩合制だと自分で工夫したり、失敗したり、とにかく売れるためにどうしたらいいのかと真剣に考えるので、それは社会人になってからみんなが毎日一番たくさん考えていることであり、まさに仕事の考え方に直結している。

 

以上。

社会人になってから、たまにアルバイトをしたくなる。それはお金のためではなく、アルバイト仲間のみんなで連携して働く体験をまたやりたいという想いである。サークル活動は社会人でも出来るが、それにはお金をもらう厳しさがないので、またアルバイトとは少し違う。そんなことを考えながら、色んな場所で見かける学生アルバイトを懐かしく、そして少し羨ましく眺めている。