子どもの◯◯禁止について

子育てをしていると、親同士が集まって、色んな話をする。

自分の子どもとの日常とか、習い事やら、勉強のことなど、色々な話題があるなかで、たまに、子どもに禁止していること、というテーマになることがある。

今まで聞いた中だと、お菓子禁止、ユーチューブ禁止、ゲーム禁止、テレビ禁止、友達と遊ぶの禁止、なんかが多かった気もするが、家庭ごとに色々考えてやっていることなので、それに対して、賛成も反対もなく、それぞれが決めればいいと思う。

ただ、私が思うこと、それは子どもも大人も同じではあるが、特に子どもは、過ぎたるは及ばざるが如しということにも似ているが、飽和している状態にしてはいけないと思っている。

それはどういうことかと言えば、子どもが何かを始めたり、しばらく続けるとものすごく成長する。あっという間に習得していき、いつの間にか、形になってくる。しかし、それをしばらく続けると、今度は極端に成長速度が落ちる。これを飽和状態(サチっている)と呼ぶ。

例えば、ゲームにおいても、最初は見様見真似というか、操作も覚束ないところから、だんだんと上手くなるが、そのうちもう上手くなり過ぎるものの、もちろんプロゲーマーというところには到達するはずもなく、だんだん慢性的になり、それ以上の成長はかける時間の割に小さくなる。

つまり、覚えたての頃の成長ほどの成長は、ある程度のところへ行くと期待できなくなる、ということが一般的に言える。

また、子どもの頃の時間というのは、とても貴重であり、それこそ幼稚園→小学校という親がどっぷり関われる時間は本当に限られており、そこで何をさせるか、させてあげられるかは、子どもの成長にとって、とても重要になってくる。

また、子どもの能力や興味は、実際にやらせてみないと分からないということと、それを見極めるためには、一度体験させるだけではなく、最初の成長曲線に乗せるところくらいまではやらせないといけないので、それなりの時間がまずは必要になる。

次に、サチったら一度止めさせることも重要になると思っている。何となく中途半端に止めることに抵抗がある人も多いと思うが、小さいうちは中途半端で問題なくて、むしろ、一つに絞り過ぎて、他の選択肢がなくなる方がむしろ害だと思っており、その理由は先ほども書いたように、あるところで成長曲線は鈍くなり、そこを突破していくのは、例えば中学生だったり、高校生になってからでも全然遅くはないし、ものによっては大人になってから再始動しても遅くないものもあるわけなので、小さいうちは新しい体験の数を増やし、色んなものの成長曲線を伸ばしてあげる方が重要である。

さらに、色んな成長曲線は時に相互にシナジー効果を生むことがある。例えば、スポーツと音楽だと、サッカーやバスケットのような瞬発力と状況に合わせて体を動かすことには、リズム感が重要になり、音楽の素養がある方が伸びると言われていたり、ユーチューブを見てたら、色んな世界に興味を持てる様になって勉強が出来るようになるとか、何と何が結びつくかは想像できないが、とにかく色んな成長曲線があること自体が重要なのだと思う。

よって何でも禁止にしてしまうのはもったいないと思う反面、多くの親が禁止しているものはやはり、やり過ぎてしまったりすれば、健康やら、その他色んな弊害があるものが多いので、禁止のままでもそこまで大きな被害はないかもしれないが、私としては、禁止よりも奨励というか、親がやらせたくてやっている、つまり子どもに強要しているものの方が危険だと思っている。

一番聞かれるのは、勉強しなさい!である。小学受験、中学受験は、勉強の成長曲線に乗せようとする程度であれば全く問題ないが、遊ぶ時間もなく塾、寝る時間もなく勉強、という生活をさせるなら、全くナンセンスだと思っている。同じように、土日(親が唯一子どもと遊べる時間)をずっと同じことで埋めてしまうということも、同じである。すごく特別なケースは除いて、普通の能力の場合、とにかく色々親子で体験したり、遊んだり、別の活動してみたり、その方がやっぱり子どもの成長と興味の幅を広げるには役に立つと考えられる。

全ての動物において、親の役目は子どもが自立するまで育てるということであり、例えば鳥も飛べるまで巣立ちをしなかったり、熊でも狩りが出来るようになるまでは母と行動を共にしたり、それを人間に当てはめるなら、自分でお金を稼げるようになるようにするのがやはり親の役目になるわけで、もしある一つの能力でそのまま生活していけるようになるのであればそれはそれでいいが、保険という意味でもいくつか武器を持たせること、または色んな選択肢の中から自分で選んで進めるようにするには、やはり色々と経験させてみることはとても重要である。

また、色々経験させることのもう一つのメリットとしては、成功体験の多さである。自己肯定感というのはよく耳にするが、何となく自信がある、という状態は精神的な強さにも繋がる。成功体験が多ければ、それだけ自己肯定感が高まり、自信が持てるようになる。何か困難があっても、乗り越えられるのでは?という挑戦心が生まれる。これがとても重要だと考えている。

色々経験すると、いくつかは失敗してしまうこともあるが、基本的には、先ほども書いたように上手くなること、成功することが圧倒的に多い。例えば、釣りをやらせてみても、最初釣れなくても、しばらくすれば釣れるようになったり、キャンプにいけばいつの間にか火を操れるようになったり、どんどん出来ることが増えてくる。その一つ一つが成功の喜びになり、自信に繋がる。

よって、このような貴重な体験を出来るチャンスが親の休みに合わせて土日や祝日にあったり、または平日の夜でもちょっとした時間で手品を教えてみたり、工作してみたり、いくらでもあるのに、全部、勉強しなさいとか、また何か親がやらせたいものに固執して、そればかりをやらせてしまうと選択肢が狭まってしまう。

禁止にしてるものも、本当は少しくらいやらせてもいいのだと思う。ただ、中毒性が高く、そればかりやるようになると、他のものが入らなくなるので、もったいないということで、どうしても禁止したくなる気持ちはよくわかる。しかし、実はそれも経験なので、あまり禁止を増やしてしまうよりは、やってもいいけど、これをやってみな、と新たなカードを渡すのがいいのではないか?と思っている。

禁止と奨励。

子どもは親の分身でもなければ、人形でもない。意思を持った独立した人間であることを考えれば、全てをコントロールしようとするのではなく、如何にして勝手に動き、最終的には、自分の意思(選択)と努力(能力)で生きて生けるように導くか、それが親の役割になってくる。

例えば、ゲームを禁止にせずにやらせてみて、ずっとそれをやり続ける期間があっても少し見守ってみて、何となく落ち着いてきたところで、映画を観せてみたり、スポーツやらせてみたりしながら、幅を広げてあげると、例えまたゲームに戻って、ゲーム関連の仕事に就いたとしても、そこで何かしらの融合があるかもしれないという期待が持てる。ゲームだけの世界にいてはやはり発想の幅が狭い開発者になってしまう。

勉強だけをやらせれば、もしかしたら難関大学に合格出来るかもしれないが、その先に何があるのか、それが問題である。勉強は大学に入るツールではあるが、学問の先には社会があり、ツールを使ってどうやって生きていくのか、つまり社会貢献をするのか、それが働くということに繋がる。スポーツでも同じで、ずっと同じスポーツだけを小さい頃からやり続けることで、確かに誰よりも優れた選手になる確率は上がるのかもしれない。しかし、万が一怪我をしたらどうなるか、万が一もっと優れた選手が現れたらどうなるか、そもそも何かのキッカケで違う世界に興味を持ったらどうなるか、結局人生は思い通りにはいかないわけで、転んでも這い上がるためには、選択肢が他にあること、また自信を持って別の挑戦が出来ること、または遊んでいた友達に助けてもらうことだって、あるだろうし、そんなことが重要になってくる。

人生に無駄なことは無い、それはその通りで、何でも禁止してしまうのはもったいないというのと同時に、子どもが止めてもやりたいと言い続けてしまうものではない限り、親があまり何かに熱中させ過ぎるのも良くない。