55%について

この数字を見て、ピンとくる人はいないだろうが、これは若者の未婚男女400人を対象にした調査で、子どもを望まないと答えたの割合だそうだ。

ついに過半数を超えた、とますます少子化が加速するとみなが戦々恐々としている。

そもそも、子どもを望まない理由は何かと調査結果を見てみると、それは子どもの将来に責任が持てないとか、子育てが大変そう、お金がかかる、自分の自由時間が奪われる、といった内容で、実際に子育てをしている私からすると、全部正解!その通り!と思わず頷いてしまう。

何で子育てをしてないのに、こんなことを知っているのだろうか?と思うと、やはりネットで流れる情報の多くが、子育てのリアルを伝えているからだろう。

では、私は子どもを望み、そして、現在子育て奮闘中であるこの人生を後悔しているかと言えば、それは全くそんなことはなく、むしろ産まれてきてくれてありがとうと毎日、いや毎時間感じる程、子どもたちが愛おしい。

子どもを望まない理由を並べてみたところ、どうも感覚としてはペットを飼う時の悩みに似ていて、確かにそういう一面も否定出来ないので、全部正解であるものの、当然それだけではないのが、ペットではない、本物の子育てだ。

子どもを望む、望まないという選択は自由だし、望まない人生は、それはそれで素晴らしい。だから、それを否定することは絶対にしないが、何かの決断をする時に、一方的な視点だけで判断してしまうのはもったいないので、あまりネットには書かれない子育てについて、ちょっと書いてみたい。

 

まず、産まれた時。

自分の愛する人が"トツキトウカ"大切にしてきた命をお腹の宇宙から地球へと放つ。その感動は何年経っても色褪せない。あの時の妻への感謝、子どもへの感謝、二人の両親への感謝、周りの方々への感謝、とにかく感謝感謝の涙腺崩壊状態が、この瞬間である。そして、色んな人からの祝福もあり、幸せという言葉を噛みしめることになる。

そして、赤ちゃん期。

授乳、オムツ交換、寝かしつけ、夜泣き、の繰り返しの中で、体力的にも、精神的にも、大変な時期である。その中で、ハイハイが出来たとか、髪の毛が生えてきたとか、言葉を発したとか、歯が生えてきたとか、意思の疎通までは出来なくても、なんかこう思ってるのかな?とか、これが嫌いでこれが好きなのかな?とか、すごく忙しい中でも、小さな変化に一喜一憂する。この時はもう、仕事もプライベートも、頭の中は赤ちゃんのことでいっぱいになる。

特に第一子の時には、分からないことだらけなので、不安も多かったり、親が鬱っぽくなってしまうこともあるが、あの小さな指で、自分の人差し指をギュッと握ってくるあの瞬間、そんな気持ちフッと吹き飛んだのを覚えている。

あっという間に、幼児期。

早くから保育園に入れざるを得ない家庭も多いが、3歳になると保育園や幼稚園に入る子が多くなる。この頃には、言葉も話せるようになってきたり、好き嫌いもハッキリしてきて、オムツも外れてきたり、公園で元気に遊んだり、友達ができたり、ご飯も大人と同じようなものを食べるようになったり、夜もしっかり寝られるようになったり、幼児期のような忙しさからは解放される。

だから、子どもを望まない理由の大変そうというのは、確かに正しいが、長く見積もっても最初の3年くらいの話であり、またその大変な時期というのは、最も子どもが可愛く、そしてとても色んな変化のある楽しい時期でもあるので、それで子どもを望まないと考えてしまうのはもったいない。

満を持して、小学生。

大人は子どもとともに成長するなと思うのが、子どもが小学生になった時だと思う。まず、子どもが産まれた時、小学生を見ると、とても大きなお兄さん、お姉さんに見えた。子どもが産まれる前には、小学生なんて小さい子どもにしか見えなかったのに、赤ちゃんを抱いていると、自分もその目線になってしまうのか、小学生がとても大きく見えていた。そして、あれよあれよという間に自分の子もその小学生になる。

ランドセルを背負って登校する後ろ姿にまた涙腺崩壊。よくここまで大きくなってくれたなと、産まれた時からの思い出が一気に蘇ってくる。ランドセルに詰まっているのは教科書でも、筆箱でもなく、きっとこれまでの成長の記録と、これから始まる小学校生活への不安と期待なんだな、なんて考えていたのを昨日の事のように思い出せる。

そして、この時期から、大人と一緒に遊べるようになる。一緒にスポーツしたり、ゲームしたり、テレビを観たり、とにかく子どもと遊べる土日が楽しみで仕方なくなる。

だから、自分の自由時間が奪われるなんて思うが、確かに子どもがいない時にやっていた事は出来なくなっているから、このコメントは正しいが、子どもとの時間は最高に楽しい時間なので、これを理由に子どもを望まないというのはもったいない。自分は子どもが好きではないから、子どもと遊ぶなんて無理と思う人もいるかもしれないが、初めて会う小学生と遊ぶわけではなく、自分が、生れた時からずっと一緒に歩んできた子どもと遊ぶわけなので、今、他人の子どもが好きとか嫌いとか、そんな物差しは全く使えない。

さて、私の子どもは今、小学生なので、これ以上先はまだ書けないが、中学校やその先の様子はきっとお金がかかる、とか責任が持てないとか、そんな悩みに、ぶつかる時期になるのだと思う。しかし、きっと今までのように、そんなことも乗り越えていけるのだろうと楽観的に考えている。

それはどうしてか。それは、子育てというのは、何も最近始まったことではない。むしろ、太古から人間がやってきている、そして現在も日本だけでなく、世界中で行われている人間生活の一部であることから、そもそもそんなに構える必要のないことという気がしている。

子どもが成長する過程を見ていると、自分の時はどうだったのかな?と考える機会も増えた。そして、ふと、なんかもう一回人生をやり直している感覚にもなった。だから、親によっては自分の叶えられなかった夢を子どもに託したり、または同じ道を歩ませようとしたり、子どものやりたいと言うことを否定してしまったり、そんな事をしてしまうのかなとも思った。私は、子どもの人生は子どもものであり、自分で切り拓いてもらいたいので、あくまでサポートをするだけ、という理想はあるが、果たしてこれから自分がどういう親になっていくのか、自分でも想像が出来ない。

長くなったが、子育てのリアルというのは、大変な面を強調することで、たくさんの子育て奮闘中の親の支持を得やすいので、それが広がりやすいのは承知している。しかし、もう少し冷静に考えてもらいたいのが、子どもを産み、育てている大多数の人は、子どもがいることを後悔していない現実を知るべきだということ。きっと、不妊治療に苦しむ人、結婚自体が出来てない人、そういう人に配慮するあまり、みんながなかなか口に出せない幸せの姿があるはずだということ。世の中というのは、平等ではない。お金がある人、健康な人、家族がいる人、秀でた能力がある人、仕事が楽しい人、夢を叶えた人、子どもがそれぞれ色んな悩みがあったり、逆に楽しみがあったりする。よって、子育ての楽しさや幸せを感じているならそれを発信していいと思っている。その代わり、それは勝ち組とか負け組とか、そんなことではない。何故なら、人は誰でも、時に勝ち組で、時に負け組なわけで、子どもが産まれ、子育てを楽しんでいる自分を半ば偽って、不幸ぶる必要はないはずなのである。

私は少子化なら少子化でいいと思っているが、最初に書いたように、子育てのリアルという一面だけで人生の大事な決断をして欲しくないだけである。子育てが出来る年齢というのは、限られているので、よく考えてもらいたい。