イスラエル問題について

最近、ウクライナ問題を一気に超えて、世界的な話題となったのは、ハマスイスラエルに奇襲をかけて始まってしまった戦争である。

この問題は、非常に根深く、人々の怨恨が多くの人に植え付けられてしまい、取り返しのつかない事態になってしまっている。

今回はハマスイスラエルに対し、音楽コンサート会場を突然攻撃したことをきっかけに、イスラエル側も激しい攻勢に出て、戦火が一気に広がり、特にガザ地区への空爆の被害とガザ地区の悲惨な状況(食料も水もない、薬や日用品もない)は連日報道されている。もちろん、イスラエル側も多くの被害が出ているが、報道されるのはガザ地区のことが多く、日本ではガザ地区の人々への同情が集まっているようにも見える。

ウクライナ問題の時には、ウクライナが正義で、ロシアが悪だった日本のメディアも、イスラエル問題については、いきなり奇襲をかけて一般人を殺害したハマスをそこまで悪として扱ってないこと、またイスラエル側をアメリカがかなり擁護し、停戦合意すら拒否権を発動してしまう暴挙に出ても、日本はアメリカとは別の立場でこの問題に向き合っていることには少し驚いた。今後はどうなるかは分からないが、日本政府がどう関わるのか、少し注目したい。出来れば、日本としては、まず停戦を求めて欲しい。

この問題は、二元論的な思考では絶対に解決しないどころか、対立は悪化するばかりである。何故なら、仮にイスラエルが正で、パレスチナが悪とした場合、何千年も前に住んでた民族にその土地の権利があり、新しく来た民族は出ていかないといけない、ということになってしまう。これはどういうことかと言えば、イスラエル建国という世界中に広がったユダヤ教徒の夢でもあった聖地エルサレムに戻る、そしてそこに自分たちの国を作る、そのためにこれまで長くそこで暮らしていた人たちを追いやって、高い壁の中で移動制限と厳しい統治下、劣悪な生活環境の中で生活させるということが正しい行動ということになれば、例えばアメリカ大陸に目をむけるなら、先住民族ではないヨーロッパ、アフリカ、アジアにルーツを持つ人々はアメリカ大陸のどこかに強制的に移動させられ、アメリカ大陸の大部分はインディアンなどの先住民族に明け渡す必要がある。そのため、無理矢理イスラエルを建国した過去についての議論は欧米諸国は口を閉ざす。しかし、逆にイスラエルを悪、パレスチナを正とすると、テロ活動を容認するようにも受け取られてしまう。本質的には、ハマスと一般的なテロ組織とは全然違うのだが、強大なイスラエル軍と戦う際には、ハマスとしてはテロ的手段を取らざるを得ない面があり、それが欧米メディアを通じてニュースなどが流れると、ハマスはテロ組織にしか見えなくなってしまう。ただ、何はともあれ、突然、一般市民の集まるコンサート会場を攻撃することを正だなんて言えない。つまり、この問題で、正義か悪かを議論する二元論は難しい。

また、イスラエルユダヤ教パレスチナイスラム教という宗教対立、ユダヤ人とアラブ人の民族対立というものも存在し、これになってしまうと、憎しみの連鎖しか生まないし、時代や世代をまたいでも禍根がずっと残る。簡単に書けば、自分の父がパレスチナ側に殺されたとなれば、死ぬまでイスラム教やアラブ人を憎むだろうし、子どもや孫にもそう伝えて、憎しみは連鎖していくだろうし、チャンスさえあれば、復讐しようとも考えるだろうし、誰にも止められなくなってしまう。そして、言わずもがなユダヤ人というのは、世界の金融界に多くの繋がりがあり、潤沢な資金とそれに群がる欧米の軍事サポートを受けられるのに対し、イスラム教徒アラブ側はサウジアラビアやイランなどの強大なイスラム教の結束力や資金力が頼りであり、特に土地の利ではないが、イスラエルガザ地区パレスチナ自治区を囲っているようにも見えるが、さらにその周りはシリアだの、レバノンだの、エジプトだのと、アラブ諸国に囲まれており、このユダヤ対アラブという二元論は力が拮抗してしまって長引けば、世界戦争にも繋がり兼ねないかなり危険な状態なのだ。それは、ロシアとウクライナなのような宗教的、または民族的に近い場合のものとは、やはり違うと言わざるを得ない。

そして、周囲を全部アラブ国に囲まれてるイスラエルは自ずと防衛のために、潤沢な資金やアメリカの後ろ盾で軍事大国になりつつあり、その力でガザを攻め立てれば、ガザの人々が逃げ場もなく、惨殺されてしまうのは火を見るより明らかである。

さて、ここから色々と考察をしてみたい。

まず、私がハマスの上層部にいて、イスラエルと敵対関係にある場合、もちろん、サウジアラビアイスラエルが接近しつつあるとか、ガザ地区がアラブ世界から支援を受けられなくなるとか、そんな状況が例えあったとしても、今回のような奇襲をするかどうかと言えば、もちろんしないと思う。何故ならイスラエルハマスの軍事力の差は途方もなく大きく、奇襲などすれば、当然、倍返しどころか壊滅まで追い込まれるくらいの攻撃をされてしまうことは簡単に想像できる。ハマスイスラエルの軍事力を把握してないなんて、到底そんなことはあり得ないことであり、基本的には世界のどの国の軍事力は公開されているもので、詳細まではわからなくてもだいたい互いに把握している。これは抑止力にもなるという理屈で、相手の戦力を全く知らないなんてことはほとんどない。つまり、攻撃すれば、逆に多くの同胞を危険にさらし、そして彼らを守れないことはハマス側にとっては明らかなのだ。そして、元々イスラエルからすれば、ガザ地区という地理的に盲腸のような場所に反イスラエル住民が固まっていることはリスクでしかないので、出来ればあそこもイスラエルにしたいという気持ちを持ってることも明白である。つまり、今回の奇襲は、そんなイスラエルに、ガザへの攻撃の大義名分を与えてしまい、案の定、ガザ地区は大虐殺の現場になってしまった。よって、世界からはガザへの同情が当然集まるものの、イスラエルにとっては奇襲されたという事実と、人質を取られているという事実を盾に、攻撃の手を緩めるどころか、戦火はどんどん広げている。ロシアのウクライナ侵攻を非難し、ロシアの攻撃を野蛮だとか、卑劣だと訴えてきたアメリカは、イスラエルに対しては全面支持という不思議な立場だが、それもこれも、奇襲と人質という大義名分が一定の正義を与えてしまっているためだと思っている。

つまり、いつでも攻撃したいと思っていたイスラエルにとって、ハマスの攻撃は飛んで火に入る夏の虫、という風にも見えたのではないだろうか。そもそも、イスラエル軍にはガザをモデルにした訓練設備があったり、ガザ侵攻のための作戦やら訓練は相当準備されたものであり、ある種、いつか起こるであろうと準備していたシナリオ通りなのだ。当然、こんなこともハマスが知らないはずもなく、奇襲の先に詰み手、つまり勝ち目がないことも分かっていての攻撃だったのか、疑問は多い。

そして、次に、奇襲そのものについてだが、ガザ地区にいるハマスガザ地区から攻撃した、ということに対して、本当にイスラエル軍や政府が全く気がついてなかったのか?ということについても疑問がある。イスラエル諜報機関は世界有数の優れた機関であることは有名で、かつ、ガザ地区というのは、四方(海側はないので三方?)が壁に囲まれ、大量の監視カメラがあり、ハマスの地下通路も把握していて、スパイなんかも当然いるだろうに、こんな大規模な、そしてかなり綿密な計画の上に実行されたようなものを察知出来なかったのか、というのは、あり得ることなのか。つまり、本当に"奇襲"だったのか、それが疑わしいのである。もし本当に気づかなかったのであれば、諜報機関はよっぽど、、、と思うが、そんなことはあり得ないだろう。

こういう大事件の背景には、その後利益をあげた側に何らかの思惑があり、そちらが真犯人と考えるという考え方がある。今回、ハマスガザ地区の人々は奇襲で何も得ていない。むしろ、全てを失いかけている。そして、そうなることは上に書いたように、容易に想像出来た。そして、イスラエルは世界からの言葉に耳を傾けず、ひたすら想定通りとも言える用意周到な手際の良い攻撃を進めている。地上侵攻も始まった。もし、奇襲がなければ、ここまでの攻撃は出来なかったはずであり、元々このような侵攻を狙っていたイスラエルには都合が良かったのではないかとさえ疑ってしまう。もちろん、そんなことを証明する手段もないし、あくまで想像の域を超えないが、イスラエル側が望む形に近くなっており、人道的な批判をはねのけ、訓練の成果を思う存分発揮するイスラエルの姿には違和感がある。もちろん、私はハマス側が無理を承知で、この奇襲を何としてでも実行しないといけないという焦燥にかられて行ったという説を否定するつもりはない。そして、本当にそれをイスラエルが気が付かず、この戦争が始まったという説も否定しない。それはそれであり得るからだ。しかし、それがそれであり得るからこそ、怪しいのである。大義名分を作る時に、そんなのあり得ないと誰もが思うシナリオは大義名分にはならないからだ。

私は、イスラエルユダヤ教というのが、どんな宗教なのか詳しくは分かっていない。一般的なことは何となく知っているが、細かいところまでは勉強したことがない。よって、このような殺戮を、例え奇襲という大義名分があったとしても、続けることはユダヤ教の教えに照らした時に、容認されるものなのだろうか?例えば、キリスト教で言えばアガペー、仏教で言えば慈悲、古くからあるある一定の信者を抱える宗教は、人間の残忍さや自分勝手な欲望を否定し、他人に対する理解と尊敬を求め、最低限の道徳などを兼ね備えていて、無秩序な世界からの脱却を教義としていることが多いようにも思える。

どんな大義名分があろうと、明らかな力の差があり、一方的な攻撃が繰り返される現状を見ていると、私を含め、多くの人々は他人事ではいられなくなるし、本当に胸を締め付けられる思いになっている。よって、こういう時こそ、宗教の力で即時停戦をすべきであると考えている。こんな時に無力な宗教なら、宗教があることの意味さえ疑ってしまう。国連だとか、G20だとか、国際会議が無力なのはよく分かっているが、宗教は人々が幸せに暮らせるためのものであり、人々に混乱や不幸を与えるためのものであってはならないようにも思う。

本当は何が真実で、誰が誰のためにこの戦争をしているのか、色々考察したが、本当はこんなことどうでもいいのだ。優秀な人間が世界には多くいるのであれば、何かいい案を募集して、これ以上ガザ地区の人々が不幸にならない方法を編み出してほしい。私の案は宗教の力、イスラエルにはユダヤ教の教義に戻ってもらいたいと思っているが、ユダヤ教がもし、こんな民族浄化みたいな話を容認しているのであれば、違う解決策が必要になる。明らかに自己防衛の域を超えた攻撃はもう止めてもらいたい。