国葬について

9/27安倍元総理の国葬が執り行われた。

しかし、そんな国葬において、賛成派と反対派が現れて世間は揺れた。ふともう一度、あの時(7/8)のことを思い出してみると、安倍さんは狙撃されて亡くなったんだよな、となんだか遠い昔のように思い出された。

衝撃的なシーンは何度かテレビでも報道されたが、すぐに犯人が捕まり、その動機が宗教団体の二世として苦労したから、みたいな話になってから、世間は急に、その宗教団体の話へと軸足を移して、献金問題などの話になり、大騒ぎとなった後に、今度は国葬問題。それこそ、狙撃されたことが霞むくらい宗教問題と国葬問題で大騒ぎされたのには、大きな違和感を禁じ得なかった。

あれだけの長期間、日本の総理大臣を歴任した人が殺されたわけである。やはり、もっと事件を検証しても良かったのではないか?と考えたりもする。

まず、犯人とされた人物は事件当時は無職とは言え、元自衛隊(ハッキリとはしないとのことだが)。使ったのは手製の銃。この二つのことだけでも、なんだかとても脚本感がある。よく、事実は小説より奇なり、なんて言うが、私も小説家の端くれとして思うことは、この言葉とは反対に、小説などの物語を書くときには、読み手が実際に起こりそうだという線を狙わないと、物語として面白くないので、空想の中にも現実味が必要になるということである。今回の件も、銃を使うなら、日本だと警官か自衛隊しか扱える人がいないよなとなると、キャスティングからすれば、二択しかなく、自衛隊が選ばれ、では、どうやって銃を犯人に持たせるか、と考えたときに、密輸したとかだと、その入手ルートをまた調査する必要があるし、手製ってことにしよう、みたいな小説家の発想に近い状況だったので、私は当時、脚本臭いなと思ってしまっていたのだ。何も矛盾がなく都合良く繋がるところは、事実というより、むしろ小説とか物語的だったのだ。

そして、犯人の供述はお笑いで言うところのボケという感じで、ツッコミどころ満載。本当にこの犯人とされる人物はこの動機でこれだけの大きな事件を起こしたのか?という疑問が生まれる。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707601000.html

ここに書かれていることではあるが、

【容疑者は「団体に恨みがあり、安倍元総理が近しい関係にあると思ってねらった。もともとはこの宗教団体の幹部を殺害しようとしたが、できなかったので元総理を銃で撃つことにした」と供述している】

まず、団体に恨みがあったのはいつからなんだろうか?彼の供述では、母親がこの宗教団体の信者で、多額の寄付をして生活がめっちゃくっちゃになったことで恨んだらしいので、要するに彼が自立する前の話であり、41歳の彼からすれば、少なくても二十年以上前からの恨みになる。

その積年の恨みにしては、

安倍元総理が近しい関係にあるから、と言っても、宗教団体に恨みがあるというところからは、遠くない?というツッコミが入る。

宗教団体の幹部は殺せなかったので安倍元総理を狙った、と言ってるが、逆にハードル高くない?というツッコミが入る。

銃で撃つことにした、と言っても、そんな簡単に手製の銃を作って、いきなり銃で元総理を、しかも演説中に殺害しようと思うのか!って、最大級のツッコミがここには入る。

ここの供述は、最初から最後まで、全然小説的ではなく、どちらかと言えばお笑いの域。突拍子も無いこと(ボケ)を言って、軌道修正(ツッコミ)が入って成立する。しかし、今回、世間はここにほとんどツッコミを入れず、そのまま受け入れて、この宗教団体について報道したり、宗教団体に関連のある人をスクープしたり、いわゆるボケ殺しに奔走してしまった。

元々、この宗教団体は有名でこれまであまり大々的に寄付の話などは公表されてはいなかった(もちろん知ってる人も多い)が、そういう情報を流せば世間の話題を席巻できることは想定されていたことだろう。案の定というか、ボケ殺しの効果もあり、安倍元総理の暗殺という忌々しい事件の報道から、宗教団体の話が世間の中心になってきた。ここで、私はまた脚本臭さを感じた。支離滅裂にも思える供述が内容を吟味されずにスルーされて、犯人は現行犯逮捕しました、動機は積年の恨み、凶器は銃、となれば警察としてはこれ以上調べる必要はないのは分かるが、世間はそれでいいのか?

そして、安倍元総理の暗殺という大事件から宗教団体の問題へと世間が移り変わり、時間が経ってから、今度は二の矢とも言うか、国葬問題が噴出。同じ時期に、エリザベス女王国葬もあり、国葬というのはこういうものだよなぁとお手本を見せられたような形にもなったが、賛成派と反対派が出るようなこの国葬騒ぎもまた茶番に思えた。真剣に、国葬について賛成だとか、反対だとか言ってる人には申し訳ないが、きっとどっちでも良くて、ただ議論をして欲しい、国葬について騒いで欲しいというのを目論んでいるだけではないか、と思えてしまう。

まず、反対派の主な主張は、経費が高いというが、日本が打っても感染するコロナワクチンに対していくら米国に払ったのだろうか?日本が武器などを放棄すると憲法で定めているのに買わされる戦闘機にいくら米国に払ったのだろうか?米国の小麦に、米国のクレジットカードに、米国の遺伝子組換え食品に、米国のファストフードに、米国の、、、ととにかく米国に流れてるお金には無頓着なんだから、国葬のように、一応全てではないにしろ国内に循環するお金ならそんなに気にしなくていいのでは?とも思う。次に安倍元総理の成果から国葬に値しないという意見だ。しかし、あれだけの長期間、総理大臣を歴任したということだけで、国民に選ばれた証拠であり、それを否定するということは公正な選挙を否定し、民主主義を否定することになるような気がする。確かに加計問題とか、さくらの会とかのスキャンダルや普通のサラリーマンには一向に成果が見えないアベノミクスだとか、不満はいっぱいあるにせよ、結局今も選挙をやれば、自公政権が勝つわけで、この事実こそ安倍元総理が国葬に値するという根拠だと思う。ただ、外国の要人に関しては来たい人が来るというのがお葬式だと思うので、それの渡航費などを日本が負担するのはやや抵抗がある。

また、台風の影響で断水している静岡の方々を助けるのが優先ではないか?という指摘は分からなくもないが、これは国葬をたまたまやっている時期だからそれが原因でなんとなく疎かになっているような印象を与えているが、国葬と復旧は本来同時に出来るはずなので、支援が手薄になっているとすれば、それは国葬とは関係なく単に政権側の怠惰が問題であると考える。

 

ただ、どちらにしても、議論が巻き起こること、これを狙っていたとすれば大成功である。エリザベス女王国葬よりお金をかけるとか、実際の襲撃現場では少なかった警備が、国葬では異例の2万人。一般献花もほぼ2万人。一対一ディフェンスでしょうか。こんなところもまた、反対派を煽る要因で、それにまんまと乗ってしまう方々も多く、誰かの手の平で操られているような。

私は今回の国葬とともに葬られる真実がどこかにあるような気がしてならない。国葬国葬でいいが、葬られるのは暗殺の真実、なんてことにならないことを願っている。暗殺から国葬までの上手く出来たストーリーが逆に何かを物語っているように思えてならないのだ。