ウクライナ問題について

このところ少しずつ悪化の一途を辿り、ついに攻撃が開始されてしまったこの問題。新年の投稿記事で本件には触れているので、内容が重複しないように一応読み返したら、今回書きたかったことはほぼ書かれていたので、少し視点を変えて書いてみたい。

何が真実か分からないこの問題ではあるが、前回の記事に書いたように、少しずつロシアの土地に迫ってくるNATO陣営に対し、ロシアがここで軍事的な行動に出なければ、ウクライナNATOやら、EU編入され、ロシアは厳しい立場になることは明らかだろう。しかし、ウクライナがもし本当にそうしたいのであれば、それは仕方ないことなのかもしれないし、ロシアがそれを阻止するというのもおかしな話かもしれないが、ウクライナ人、つまり国民が思っていることと政府が思っていることは必ずしも一致しないので、そこはしっかり確認したいところではある。ただ、ウクライナは貿易でも、または文化的な影響でも、やはり旧ソ連時代の名残もあり、ロシアとの繋がりが強い。特に言葉はロシア語にとても似ている。よって、私からすると、ウクライナはロシア側の国であり、NATOだの、EUだのに属す国ではないように思うし、ロシアからすればそこが、西側諸国に編入されることに危機感を覚えるのは当然だと思うわけである。

この状況は、太平洋戦争時代の日本に似ているとふと思った。あの当時、中国はアヘン戦争で欧州列国にかなりやられていたし、東南アジア諸国は、タイを除いて、みんな欧州列国が支配していた。当然、次のターゲットは日本となっている中での参戦だった。日本は大東亜共栄圏、つまり有色人種として、白人支配からの脱却のために戦った。日本が東南アジア諸国に攻め入ったと教えられるが、当時の東南アジアは先程も書いたように、欧州列国の植民地であり、当時の日本は東南アジアと戦ったわけではなく、東南アジアを支配し、やがて日本を陥れようとする欧州列国と戦っていたわけである。

もし、日本が本格的に負けたとすれば、東南アジアは未だに欧州列国の支配下だったかもしれないので、インドネシアでは日本は独立のために一緒に戦ってくれた国として、今も親日国であったりもする。日本は敗戦だったというが、確かに原爆というルール逸脱した攻撃があったり、沖縄への信じ難い残虐な侵攻があったり、多くの市民や家屋を狙う東京大空襲焼夷弾などがあったりしたなかで、米国には最後屈服したものの、東南アジアの解放、つまり大東亜共栄圏の一部は達成できたのだ。この結果、日本は独立を保てた(実際には米国支配下なのかもしれないが、、)し、東南アジアの国々も内情は色々あるにせよ、名目上はみんな独立を果たしたということは、紛れもない事実である。戦わなければ、日本もまた他のアジアやアフリカ、さらには南北アメリカ大陸の国々と同様、欧州列国の一部であったかもしれないのだ。

さて、ロシアに目を移せば、次々に旧ソ連の国々がNATOやら、EU編入されていく中で、しかもそれが、昔のような武力ではなく、お金や情報戦略だとかを使って、行う方法でじわりじわりとロシア陣営に迫ってきている。もし、ここでロシアが武力行使しなければ、以前の記事にも書いたように彼らは話し合いすらせず、侵略を続けるだけなのだろう。日本から見ると欧州というのは、キレイな町並みとか、優れた芸術とか、高級ブランドがあって、のようなイメージもあるが、殊に外交だとか、そういう部門では狡猾そのものというか、有史以来ずっと国境の争いを続けてきただけのことはある。そして、少しずつロシアの体力を奪いながら、やがてはロシアも、と目論んでいるとすれば、それこそ、日本が太平洋戦争に踏み切った当時の状況に酷似していると言えないだろうか。

戦争は決して肯定されるべきものではない。やはり、戦争などするべきではないし、避けられるなら避けるべきだ。しかし、そんなことも理解されないような相手に対し、非暴力だけで対抗できるのか、という現実的な問題にも直面する。私は日本が武装化する必要があると言ってるわけではなく、単に今回のロシアの件についてはきっとプーチン氏の考えはそのようなものだったのでないかと想像している。しかし、西側諸国が巨大な軍事力を保持していることは理解しているが、彼らがロシアに対し、武力で直接攻撃をするかといえば、その可能性は極めて低いように思う。現代の戦争にとって一番の悩みは兵士の士気を高めることであり、兵器は揃ってても、肝心の兵士は常に厭戦モードだったりする。よって、武器を渡したり、経済制裁など、そういうもので圧力をかけていくのだと思う。

今回、このような事態になったことは非常に残念であり、せっかく世界が平和を望むようになったなかで、時代がまた戻ってしまったような感覚を覚える。

日本としては、攻撃を開始したロシアを非難することもいいが、喧嘩両成敗とでも言おうか、西側諸国に対してもしっかりとしたメッセージを発信すべきであり、完全に同調してはいけないようにも思う。殺し合いによってでしか対話が出来ない世の中はもう終わったはずだ。