子どもの習い事について

子どもを持つ親にとって、悩みのタネの一つに習い事があると思う。あんまり多くの国の事情は分からないが、日本は習い事大国であり、日本程習い事の幅が広い国はないように思う。学歴社会が強い国なら学習塾のようなものばかりあったり、あとはスポーツ系と音楽だけというのが世界の標準かもしれないが、日本には特有のそろばんや習字があったり、美術関係で絵画や工作、ダンスや演劇も盛んだし、最近では、プログラミングやロボットなども増えてきている。しかし、時間とお金には限界があるので、あれもこれもというわけにはいかない。

まず、習い事を何のためにするのかを明確にする必要がある。私が考える幼稚園や小学校までの習い事で大切なことは、健康で強い身体を作ることと、社会性を身に付けること、そして自己表現のツールを得ること、そして成功体験である。

これは大人の習い事とは考え方が違う。大人の習い事は、必ず習っているものそのものが上達し使えるようになることのみが重要だが、子どもの習い事は、そのものが上達していくことより、それを通じて基礎的な能力向上を狙う必要があると思っている。

ではまず、健康で強い身体についてであるが、風邪をひきにくいとか、体力があるとか、そういう人は職場でも強い。仕事が出来るとか出来ないというのは、よほど差があれば比べられるが、多くの場合はどんぐりの背比べとなる。ただ、毎日健康でとにかく休まず働き続けてくれる人は無事是名馬ではないが、頼りになる社員である。また、社会人の前には高校や大学受験があるが、それらの受験においても、やはり体力勝負なところがある。しかし、受験シーズンになってから体力増強を始めてもすで遅く、幼稚園小学校時代から始めておくのが良いと考える。また、身体と脳の関係からして、身体を動かすことはつまり脳を動かすことでもあり、机上の勉強で脳を動かすのは学校の授業で十分であるが、身体を動かして脳を活性化させるのは習い事にお任せしてもいい。

次に社会性を身に付けるということだが、子どものうちに身につけたいのは、リーダーシップとか、高いコミュニケーション能力とか、そういうことではなく、単純に仲間とともに、苦楽をともにする経験である。それは、自分一人でやるわけではなく、チームとしてみんなで同じ気持ちを共有するという経験である。これは習い事でなくても、小学校の運動会などでも体験出来ることではあるが、そういう体験が多ければ多い方がいいので、団体系の習い事、スポーツではなくても、音楽だったり、アートや演劇だったり、何でもいい。何故この経験が必要なのかというと、社会に出ればどんな仕事でも誰かと仲間になって進めていく。一人で会社作ったとしても、社員との関係もあるし、取引先との関係もあり、とにかく人と繋がっていくしか仕事は出来ない。そんな人との繋がりの基礎は、仲間の作り方、仲間の大切さなどが感覚的に理解することなのである。その先には、リーダーシップとか、高いコミュニケーション能力とか、もう少し高度なものが求められていくが、それをやるにしても、まず仲間というか、チームというか、一緒の目標を持ち、一緒に力を合わせ、気持ちを共有する経験がないと、組織を作ったり、組織の運営をしたりすることが出来ない、または苦手になってしまい、イコール"仕事が出来ない"になってしまう。受験と仕事の一番の乖離はここで、受験という自分との戦いでいくらいい大学に入れても、仕事で上手くいかない人の多くは、仲間というものを上手く作れないケースが多い。

次に、自己表現のツールについてであるが、これは少し分かりにくいかもしれない。よく赤ちゃんが泣くのは、自分の意思、気持ちを伝えたい、または相手に伝わらないジレンマのためと言われるが、言葉を話せるようになってもこの悩みは尽きない。むしろ、思春期になると、突然、感情の種類が一気に増える。喜怒哀楽というのは小学生でも理解出来るが、嬉しいんだけど恥ずかしいとか、楽しいんだけど悲しいとか、怒ってしまうのに理由がないとか、色で例えるなら原色だけの感情から、色んな色が入り混じる混色な感情になる。すると、せっかく覚えた言葉もその感情を表現するにはあまりに頼りなかったりもする。そんな時に、スポーツだったり、芸術だったり、自分が打ち込めるものがあり、それを通じて気持ちや感情を出していけるようになると、赤ちゃん時代のような癇癪は起こしにくくなる。

最後に習い事で得たいものとして、成功体験がある。赤ちゃんのうちは、ハイハイできた、立てた、トイレ行けた、服着られた、など成功体験の連続であるものの、小学生に近づくにつれ、その成功体験アワードも一服してくる。そんな時に、新しいことを始めて、少しずつ出来るようになる体験をさせてあげるといいと思っている。成功体験の大切だと思うのは、成功体験の量または質によって、子どもが将来、何かに挑戦するモチベーションに大きな違いが出ると考えているためである。子どもにとって、挑戦→失敗→工夫や努力→成功、そしてまた挑戦、というサイクルをどんどん回すことで新しいことへの興味や自信が湧く。だから、習い事もある程度出来るようになったものをずっと続けるだけでなく、ある程度のところにきたらまた別の習い事に変えていくのも有りだと思っている。それこそ、社会人も今は、一つの会社にずっといると、人として、サラリーマンとして成長しないので、転職してスキルを上げたいという人が増えている。習い事も一緒で、その道を極めるという人は別として、やはり習い始めはものすごくたくさんの新しいことが多く成長するが、だんだん慣れてくると、新しいことは減っていき、難易度は上がってくるものの、成長曲線は落ち着いてくる。よって、長く続ける習い事の他に例えば一年ごとや半年ごとに一回、変える枠を作っておいてもいいかもしれない。子どもの時間は短いので、色んな体験をその期間にさせてあげたい。

少し欲張りかもしれないが、私はこんなことを期待して子どもに習い事をさせようと思っている。しかし、お気づきかもしれないが、私の書いた項目は、実は放課後にみんなと楽しく遊んでいれば、達成出来るものばかりである。特に、強い身体と社会性は、友達との遊びの中に山のようにある。だから、習い事漬けにするのではなく、放課後に子ども同士で遊んでもらいたいが、今は治安も昔より悪かったり、周りの友達が忙しかったりで、意外とその機会を与えるのが難しくなり、泣く泣く習い事、という感じになってしまってはいる。

また、こう考えていくと、学習塾のような習い事はあまり惹かれない。ずっと座らされているので身体は鍛えられないし、社会性も身につかないし、自己表現にもならなければ、成功体験としても、勉強は新しい事でもないので、成績が上がるくらいのものしかない。このような詰め込み教育はまだ早い。むしろ、詰め込める箱を大きくしてあげることが大事なのだ。

長くなってしまったので、次回、具体的な習い事について書いてみたい。