オリンピックについて

さて、待ちに待った東京オリンピックが開催される。

東北の復興、おもてなし。これが誘致した際の宣言だったと思うが、復興は贔屓目に見ても、道半ば。おもてなしにいたっては、コロナの影響で、入国制限もあり、無観客どころか、来てくれた選手などにも行動制限を課す。つまり、おもてなしどころか、むしろ無礼であるとも言える。コロナの影響もあり、あまりにも誘致の際の宣言と違うため、去年は泣く泣く延期したが、今年は世界中のコロナの状況が去年より悪化しているのにも関わらず、強行する。それなら去年出来たじゃん、ということと、逆に、延期にした時よりその延期理由の状況が悪くなっているのであれば、当然再延期か、中止としないと、去年の延期は判断ミスだったことにならないか。

これで分かったことは、IOCというのは、オリンピックを平和の祭典とは捉えておらず、お金の祭典だと思っているということだ。まず、平和というのであれば、こんな危険な状況の中で開催するのはおかしい。全く平和なんて言える状況ではなく、むしろオリンピックで感染が広がるということであれば、逆に平和を遠ざけてしまっていることになる。また、選手たちの目線からもコロナ禍で準備が万全とは言えないだろうし、ただ開催されればいいとは思っていないだろう。観客だって同じである。スポーツ好きなら分かるが、テレビで観るのと、スタジアムで観るのとでは、全然迫力が違う。無観客で開催するので、テレビで観てください、と言われても、それならスタジアムで安全に観れるようになってからやって欲しいと思うだろう。つまり、選手も観客も、"とりあえず、これ以上延期出来ないから開催"というより、普通の状態で開催されるのを望んでいるのである。では何故、そうならないのか?

まず、オリンピックはもうこれ以上延期は出来ない。何故なら、もう一年延期したら、2024年との間隔が狭すぎるし、冬季オリンピックと同じ年になってしまう。ということもあると思うが、純粋に延期すれば、コストだけがかかってしまい、収支を悪化させるからだろう。となると、今年やるしかないが、選手や観客のことを考えれば、わざわざ強行する必要性がないし、開催国のメリットであるホテル業界や外食業界、観光業界だって、もはやオリンピック特需を狙えないのに、どうして中止は出来ないのだろうか?

それは、開催すれば支払われるスポンサー収入。オリンピック関係者には、中止とした時の何倍もの収入があるのだろう。バッハ会長も、目をギラギラさせて開催だ、安全だと言っていたのは、このためだったのかもしれない。つまり、この開催ボーナスをもらえる人がオリンピックの開催の可否を決めて、実際に競技をやる人、観る人に、または開催国の一般市民には決める権限はない。そうなると、最初に述べたように、IOCにとっては、オリンピックは平和の祭典でもなんでもなく、お金の祭典だということになるのだ。そもそも、バッハ会長はオリンピックをやるかやらないかには責任はあるが、感染拡大の責任はない。よって、彼が平和や安全よりお金を優先してしまうのはよく分かる。

では、ここから、私が提案したいことを書いていく。

まず、コロナ感染がオリンピック開催により、実際にどれ程拡大するのか、またワクチンをすでに世界中の多くの人が接種しているのであまり危険ではないのか、それははっきりとは分からないが、ただ未だに世界中の国で、入国制限がされている事実から考えれば、どの国も今、多くの外国人、または外国にいる自国民を積極的に入国させたいと思っていないことは確かだと思う。

また、今までの開催国を見てみると、ほとんど欧米諸国であり、アジアは日本と中国。要するにある程度の大国だけが開催国になっていて、全く面白くない。しかし、オリンピックというと、一つの都市または都市圏でほぼ全ての競技が出来ることが条件になっているので、どうしてもそうなってしまうのだろう。

また、競技の種目も増え、開催国ではあまり盛んではないスポーツもやらないといけないとなると、それに合わせた競技場が必要になり、大会に合わせて建設し、大会後は使わないというケースも考えられる。野球やソフトボールはそのいい例かもしれない。

そんな悩みを同時に解決するために、オリンピックは競技別に開催場所を変えればいいと思う。メイン会場は東京で、開会式や閉会式は東京であっても、バトミントンはインドネシア、卓球は中国、マラソンはモンゴルだとか、バラバラに競技ごとにやれば、今までオリンピックなんて到底開催できると思っていなかった国の人がスタジアムでオリンピックを楽しめるようになるし、また、その国のことを世界の人が知るチャンスにもなる。さらに、テレビ中継のことを考えなくても、どの国でも時差を利用して、競技に最適な時間に競技が出来る。また、人の出入りも一箇所に全部集まらないので、適度に制限される。

この発想の原点は、そもそも四年に一度のオリンピックとは別に、各競技ごとに世界選手権やアジア大会、ヨーロッパ大会などもあるということである。よって、そもそも、オリンピック自体、各競技が集まる大会というだけで、何か特別なことをやるということもない。であれば、オリンピックの時にも世界大会のように各競技ごと別の場所でやれば、開催国の負担やリスクも軽減出来たはずである。

コロナ以前であれば、当然開催国がスポンサー料を含めたインバウンド需要総取りで、かけた設備投資を回収するというシナリオだったと思うが、今はコロナの時代であり、さらに後進国の人々にも観客になるチャンスを与えてあげるのと、何より報道技術の発達などにより、どこの国からでも、ちゃんと画像を正確に鮮明に送ることが出来るようになったのだから、延期を決めた時点で、競技ごとに開催国を変えるということを検討してみても良かったのかな?とも思ったりもする。

でも、なんだかんだ始まってしまえば、ニッポンチャチャチャ!で、こんなことも忘れてしまいそうなので、オリンピック見る前に記事を投稿しよう。