憎きコロナの巻

先日、大切な友人をコロナで失った。

インドネシアにて、家族ぐるみでいつもお世話をしてくれた大切な、大切な友人だった。残された家族の無念さも痛い程わかるので、余計辛い。

経緯はこんな感じだった。

濃厚接触した後、条例に従いコロナワクチンを接種。数日後、副作用とも見られる発熱をしたかと思えば、その後、コロナ陽性反応。

熱は数日で下がったものの、今度は脳卒中を併発し、入院。しかし、入院先の病院ではコロナ陽性だったからなのか、またはインドネシアの医療体制の問題なのか、CTを撮るのが入院後一日半経過してからという放置を受ける。その後、そのCT検査により、血栓が見つかり、投薬されるも間に合わず、その翌日に帰らぬ人となった。

考えてみると、色々なことが重なった。そもそも、濃厚接触で隔離されるべき期間にワクチンを打たされてしまったこと、またそのワクチン自体の危険性の周知が徹底してなかったこと、さらに入院後は、コロナ患者であろうとなかろうと、脳卒中の処置をすぐにしてもらえなかったこと。どれか一つでも回避出来ていれば、命を奪われることはなかったのでは?と悔いが残る。

現在、インドネシアでは報道にもあるように、非常にコロナが猛威を振るっている。私も完全に無症状ではあったものの、コロナ陽性になった。

そして、私はここでは、医療の輸出について考えてみたいと思った。コロナの流行は仕方がないことであり、どんな先進国であっても、その脅威に勝利した国はないと思っている。比較的流行を抑えられた国がいくつかあることは知っているが、コロナによる犠牲者を出していることには変わりない。しかし、その後、医療体制において、インドネシアはその脆弱性を露呈してしまった。病院が満床になってしまったこともそうだが、今回のようにコロナからくる他の病気に対応する術がなかったのだ。

インドネシアに長く住む方からも色んな話を聞いたが、日本では医療ミスと言わざるを得ない事例も多いという。

そんな中、インドネシアには様々な国から投資を受けて、道路、空港、発電所や鉄道などのインフラ整備が進んでいる。しかし、そんなことの前に、まずは医療の充実を図るべきではないか?と思うのだ。

確かに、上記のインフラ整備に比べて、医療整備と言えば規模も小さいだろうし、そもそも、投資側のメリットが少ないのかもしれない。また、青年海外協力隊が行うような規模の小さい病院ではインドネシアにはそぐわないという事情もあり、なかなか海外からの支援での医療の向上が望めない。

そこで、日本から経済的なものは度外視して、支援は出来ないものかと考えてしまう。それは、医者の育成、設備の充実、薬や治療法の開発など、一言で医療と言っても幅広いとは思うが、こういう本当に現地の人が必要としてる支援を考えられないかと思う。

また、このような支援によって例えばインドネシアのような大きな国で医療が充実してくれば、日本で医療がパンクした際にインドネシアから医者や設備の支援を受けることだって可能になるはずである。また、日本の医療によって、家族が救われたとなれば、国家間の心の距離が近くなる。前の記事でも書いたように、これからは知性と感動の時代がくるとすれば、このような医療や災害復興でもいいが、そういうひとを助けたり、感動を与える活動こそ、国家間の関係をより良いものにしていく術になっていくはずだと思っている。武力やお金での支配による関係性は必ず終わりがくる。

一つの尊い命が奪われてしまった今、もっと進んだ医療がここにあったらなんてことを考えてしまう。