ボランティアについて

アメリカにいた頃、ボランティアや寄付というのが、日本以上に盛んだったのを思い出した。

私はボランティアというのは、あまり好ましいものではないと思っている。やはり、原則的には労働である以上、お金、というか、対価は支払われるべきであり、支払われない労働があることは、お金をもらって働くことに対して、後ろめたい気持ちを植え付けてしまう恐れもある。またボランティアは給料が支払われないため、人によっては、その場所に行きたい、何かを学びたい、知りたいという好奇心のみで参加し、真面目に働くことをしないということもあり得る。お金をもらえばそれなりに責任があるが、お金を支払われていないために、そこまで強制力を持たせて働かすことができない。

そうなると、災害ボランティアやどうしてもお金がない人が助けを求めてる時はどうすればいいのかという話になるが、それこそ政府がお金をちゃんと出すべきなのである。 また誰かを助けるにしてもそれはボランティアという形じゃなく、普通に助ければいいだけの話であり、自分のボランティアポイントを貯めるためにやってるのはおかしいと考えている。さらに別の視点から考えてみると、災害ボランティアにしても、素人のような人がボランティアで来ても、足手まといになることもあり、ある意味、有難迷惑になるボランティアも多く、このあたりがボランティアの限界なのである。本当に災害から人々を助けるのであれば、ちゃんと訓練されているプロ集団を雇って救済した方がいいのである。

特にアメリカであんまり好ましくないなと思っていたのが、このボランティアポイントで高校時代の内申点や大学入試の結果が変わってしまうことなのである。日本ではまだこのような考え方は一般的じゃないのでいいと思っているが、いつもアメリカの動きに追従するので、 日本もやがてそうなるかと思うと少し心配である。

大学入試は、 大学で学問をするためにふるいをかける試験であり、それは学力のみで審査されるべきである。その学力の審査方法が入試試験以外に例えば資格や特別な能力によって審査されることが多少あってもいいと思うが、ボランティア経験の有無は確実に関係ないと考えている。それは日本の学問の発展のためにも、公平な試験によって、優秀な学生を受け入れるということが望ましい。

そして、今行われている東京オリンピックでもボランティアがたくさん働いている。 ボランティアの方々がたくさんいることで東京都あるいは日本政府としてかなり税金による出費をセーブしているかのように見せているが、このボランティアとは別に、とある人材派遣会社が独占契約をしている人材に関しては 、一人1日あたり約30万円とも言われる高額なお金が支払われ、そのほとんどがその個人に支払われず、その会社に中抜きされているという事実がある。要するにボランティアの人たちがたくさん働いているということを宣伝することで、我々視聴者はテレビに映っている大会関係者は皆ボランティアなんじゃないかという思い込みを植えつけられている。よって、このような不透明なお金の流れがあるということが、多くのボランティア達の活躍によって見えなくなってしまっている。

このような不公平なお金の流れをなくし、その仕事に応じて平等に賃金を支払うべきだと考えている。 例えば、国にお金が全くなく、その中でもオリンピックを開催しないといけないとなれば、一時的にでも国民の善意に頼り、ボランティアの力を借りて何とか乗り切るということはあってもいいが、今の日本政府はそんなに困窮しているわけでもなく、片一方ではものすごい大金を、とある人材派遣会社にばらまいているわけだから、やはりボランティアなどをなくすべきだと思う。

まとめると、全ての労働には賃金が支払われるべきである、ボランティアの善意を国が利用してはならない、ボランティアポイントで大学入試などが優位になってはならない、ということである。しかし、これは無償で人を助けてはならないというわけではなく、行政が関わるような仕事に限っての話である。