数ヶ月前の話にはなるのだが、とある二十代の知り合いから面白いことを聞いた。
彼は友達が100人以上いるが、リア友は5人くらいだと言う。
友達とリア友。
まずはこの定義が分からず、どういうこと?と聞いてみると、友達というのはSNSを通じて出会った友人で、リア友というのは、例えばバイト先だとか、高校や大学での友人ということだった。
私の年代やさらに上の世代だと、この定義に沿うと、リア友しかいないということになると思うが、SNSネイティブ世代にとっては、SNS上の友達がいることが当たり前のことのようだ。確かに、最近では婚活もSNSで相手を探すということが多くなってきたようで、友人の中でもSNSから出会って結婚に至った人もいるので、遠い世界の話ではないようにも思うが、私には想像出来ない世界であった。
よって、彼に、どうしてリア友ではなく、友達(SNS経由)の方が多いのか?と聞いてみた。すると、リア友というのは、自分が会いたくて会ったわけではないし、趣味も分からないし、自分の事も知らないし、話しかけても仲良くなれる気がしない。しかし、友達は最初から趣味が合うことを確認してるし、友達になりたいとお互いに思って友達になっているので間違いはない、と言うのだ。
確かに、SNSで知り合う時には、お互いの大まかなプロフィールを事前に公開していたり、またはそもそも共通の趣味、例えばゲームなどに参加していたりすることで、いきなり共通の趣味を持った気の合う人を探し出せる。最初にこの話を聞いた時にはカルチャーショックを受けた。そもそも私は色んな場所で生きてきたので、カルチャーショックなんてもうあまり体験しないと思っていたが、同じ日本で、それも10歳程しか離れてない世代から受けるとは思ってなかった。
とにかく彼の話を聞いてから、しばらく反芻する必要があった。リア友だけがやはり友達だ、とか、彼の言う友達は偽りの友人だ、とか、なんとなく彼の話を否定するような考えも浮かんだが、同時に、効率的な方法だなとか、一緒に何かを楽しむのが友人だとすれば、こちらの方が正しいやり方なのかな?とか、肯定というか、理解というか、そういう考えも浮かんできた。
しばらく、そんなことを考えながら、この話を色んな人にしてみた。
予想通りというか、世代間で反応はだいぶ違った。私の世代からすると、やはり私と同じように驚きが最初にきて、そんな時代なんだね、なんて言ったりもしていたが、しかし、一部の人は昔mixiで似たようなことしてたかも、という反応もあった。mixi、懐かしい!
Facebookよりも使い勝手がよく、学生時代はよく使っていたが、どういう理由か分からないが、いつの間にか下火になって、みんなFacebook をやり始めた。何かの陰謀かなとも思うが、よく分からない。また、親の世代に話してみると、そもそも話が通じない人が多数。Instagram とか、オンラインゲームとか、Twitter とか、使ったことがないので、そもそも想像ができないとのことで、世の中の動きの早さに驚かされる。
そして、私より若い世代の反応はといえば、普通ですよ、という意見と、(最初にこの話をしてくれた彼が)ちょっと特殊では?という意見があった。確かに、彼の友達とリア友の比が極端過ぎて、普通は半々とか、リア友の方が多いくらいだという。それにしても我々の世代からは驚きなのだが。
まぁとにかく自分で考えることと、色んな人の反応を聞いているうちにだんだんと自分の中でこの話に自分なりの結論を出すことが出来た。
まず、最初から趣味の合う友達とだけ会おうとする態度であるが、一見理に適っているようにも思ったが、私の実体験というか、学生時代を終え、社会人になってからのことを考えてみると、いわゆるリア友との付き合いを上手くしていく方が重要なのではないかと思えてきた。
例えば、仕事。会社内の人間関係なんて自分で選ぶことは出来ないし、基本的には仕事は社外の人とやることが多いので、それこそプロジェクトが始まる時はみんな,"はじめまして"と言って始まり、顔も性格も趣味も全く分からない人と突然仕事を始めることになる。しかも、利害が常に一致するわけではないので、その調整は困難を極める。また、家族が出来て、子どもが産まれ、幼稚園、小学校になると子どもを通じた親同士のやり取りがとても多くなる。それは悪名高いPTA活動だけではなく、遊ぶ約束をしたり、何かを頼んだり、頼まれたり、それが一人二人ではなく、先生も含め、習い事関係やら、ご近所関係やら、とにかく色んな繋がりがあるので、とにかく数は多くなる。子どもが上手く溶け込んだり、活動出来るためには、とにかく見えないところで、環境作りをしてあげることはとても重要になる。
こんな感じで、仕事や家庭の中では、知らない人とどう関係を築き、付き合っていくのかというスキルはかなり求められるので、学生時代からリア友をどう作るか、または、趣味や趣向、性格や考え方、価値観が合わないなかでも、上手くやっていくスキルというのは、仕事でもプライベートでも、社会人になると必要になる。
また、例えば結婚をすることを考えると、同じ人とずっと生きていくことになる。先程も書いたように、最近では結婚相手すらSNS経由というのが珍しくないが、出会いは出会いでどんな形だっていいのだが、長く連れ添う中で、当然色んな問題が起こり、感情の起伏や状況の変化で、人は変わってくる。つまり、同じ人とずっと一緒にいても、自分も含めて、その人の性格なり、考え方なりは変わってくる。それこそ、また新しい人と出会ったような変化を経験することだってある。そんなときにも、色んなものを受け入れて、上手くやってきた経験というのがある人とない人では、家庭を維持出来るかどうかに差が出てくると思う。
また、これは少し精神論的な話にもなってしまうかもしれないが、簡単に手に入れたものって、簡単に手放せてしまうが、苦労して手に入れたものはずっと大事に出来るという側面もあるような気がしている。
私はリア友しかいないが、主に中学校、高校、大学、あとはアルバイト関係など、40歳になってもまだその頃の友達との繋がりがある。それはきっと、たまたま集まったメンバーではあるが、苦楽をともにしたり、それこそ何も知らないところから少しずつ関係を構築していった過程があって、友情を深められたからこそなんじゃないかなと思う。そういう友達は困った時にはお互いに助けられるし、絆みたいなものがある。私は常々、友達に恵まれていたなと思うが、それもまたきっと、自分なりに努力した結果なのかもしれないと、このリア友の話を聞いてから思った。
手軽に趣味などを通じて出会ってから、深い友情を築くことも出来るが、このように出会った場合、もしどちらかが趣味を変えたら、そもそもネットとかでしか繋がっていないので、関係は終わってしまうし、同じ趣味を続けていても、何かで関係がこじれたらブロックして終了、ということも多いだろう。しかし、同じ空間にいる場合、特に私のような寮生活だった場合、または長いプロジェクトで辺境の地に限られたメンバーでいる場合は、手軽にブロックなんて出来ないので、関係修復を否応なしに求められる。すると、雨降って地固まるではないが、本当にそんな感じで、また深い絆になっていく。
そうやって築けた友情というのは本当に一生ものになっていく。何でもそうだが、簡単に手に入るものは、簡単に捨てられるが、必死に頑張って掴んだものは、財産になっていく。お金だって、楽して稼いだり、ズルして手に入れたら、悪銭身につかずではないが、結局なくなってしまうが、頑張って働いたお金は大切に使われたり、能力もまた、生まれ持った才能自体はあっても、それを無駄にするか、活かすかは、その後の努力次第だったりもする。そして、友情も同じだと、私は思った。SNSで手軽に手に入る友情は、言ってみれば、生まれつきの才能のような、苦労を伴わないプレゼントのようなもの。それはそれで、とても有り難いし、そこからお互いに信頼できる、または助け合えるような友情に変わっていけばいい。ただ、こんな手軽な友情を謳歌して、仲を深めることをせずに使い捨ての友情になっていくんだとすると、やはり本当に大事なのはリア友ではないかと思う。リア友は確かに関係を築くのは難しい。そもそも話すキッカケを探すことだけでも大変で、さらに嫌われてたらどうしようとか、自分のことどう思われるか不安だとか、とにかくそんなことばかり考えてしまって面倒であるのは間違いないが、その一歩に苦労するからきっと本物の友情になっていくのだと思う。
よく古い友人と久しぶりに会うと、出会った時の事を思い出す。第一印象はこんな感じだったとか、話してみてこうだったとか。そして、楽しかった思い出とか、対立してしまった思い出もあったり、でもそんなことの全てが、いい思い出になるから、人生って面白い。嫌なこととか、その時はそう思うが、必死に、真剣に向き合って一生懸命やると、辛い事でも、苦しいことでも、いい思い出になっている。だから、バカ正直に一生懸命やることって大事なんだなと思う。
ふと聞いた”友達”の話から、だいぶ逸れてしまったが、私はとにかく周りの家族や友人に恵まれ続けているので、家族はもちろんだが、多くの友人への感謝はしてもしきれない程であり、幸せな人生だと思う。