ウクライナ問題について part2

非常に不幸な状況が続いて、毎日、胸が張り裂けそうな思いがする。

少し安心なのは多くの人が、平和を望み、No Warと訴える姿が見えたこと。一般市民はみんな戦争は嫌なんだと実感できた。

ただ、少し不安に思ったことがある。それは世界的に、一部セルビアとか、中国とかを除いて、ロシア、またはプーチンを悪者にして、この戦争の責任を押し付けているところである。

確かに、ロシアは悪いし、プーチンのGo sign無しにこの戦争は始まらなかったということは十分に理解出来るものの、ロシアまたはプーチンだけが悪いとしてしまえば、世界から戦争がなくなることはない。この不幸な経験を繰り返されないために、どう考えるのかが非常に重要だと考える。

プーチンは自分の命をかけてこの戦争に踏み出したことは言うまでもない。直接的にこの戦争中に命を失うということも考えられるが、戦争後または大統領失脚後に、暗殺なり、"合法的な"裁判により、命を奪われる可能性は十分にある中でこの判断をしたというのは、よっぽどのことがあったから、と考える。それは、ロシア政治が大統領の権限が強く大統領の命令が絶対だということから、大統領はそれなりのリスクも同時に背負うことになるという背景に基づく。日本の場合は、何か起こっても誰が悪いのか、よく分からない仕組みになっているので、ある意味集団無責任状態になるし、このロシアのスタイルは理解出来ないかもしれない。

今、ロシア国内でも多くの人が戦争に反対をしている。その中でもまだ暗殺等を恐れて声を出せない人も多いのは理解出来る。それは、人道的な観点だけでなく、オリンピックに出さないとか、経済制裁とか、ロシア人の生活にも暗い影を落としているわけだから、不満は溜まっているはずである。しかし、プーチンの頭に欧米諸国からこのような対応をされることは当然想定の範囲内であっただろうし、国民の不満がたまることも想定内だったはずである。そして、この戦争が終わり失脚すれば、ボロボロになった経済などに不満を持った人々から訴求されることも頭にないわけではないだろう。ロシアは言わずと知れた暗殺大国であり、プーチンがその命を外国ではなく、国内勢力にも狙われていることも想定内であるだろうが、その上での判断なのだ。

冷戦終結以来、NATOにとっての最大の懸念、または脅威は間違いなくロシアであり、その弱体化のためにあらゆる手段を講じてきた。最たる例は旧ソビエト国家のEUNATOへの加入である。自由主義、資本主義、民主主義などそんな言葉を使って、ロシアからの解放という名目で、広くは米国の傀儡政権を作っていくという活動をずっと続けてきた。

その国が望んでいることなので仕方ないとも言えるが、それは同時にロシアの危機感を煽ってきた。ロシアは歴史上、常に国境を侵されてきた。周りは常に敵だらけという根本的な考えがある。これまでの行動が、その琴線にずっと触れてきたわけだ。旧ソビエト国家が欧州との間に入り、どちらにもつかないような、そんな緩衝材のような存在であれば、まだロシアも安心出来たとは思うが、ウクライナが欧州側に入っては、やはりリスクが高いと感じるのも無理はない、というか火を見るより明らかだったはずだ。

先に手を出した方が負け。よく子どもの頃から、言われたケンカの鉄則。しかし、ずっと挑発して、相手が殴るまで待って、殴ってきたら一気に正義、または正当防衛を振りかざして、ボコボコにするのが、本当に正しい姿なのだろうか。イジメられて、ずっと我慢し、自殺を選ぶ子どもに、それでもイジメている子どもに手を上げることを制止するのが、正しい教育なのだろうか。自殺する前にもし、相手を殴っていたらどうか?または、殴らなくても、もし殴ったらイジメてる側が大きな怪我をすると知ったらイジメは続くだろうか?

私は絶対に戦争を肯定しない。しかし、不幸にも戦争がもし始まってしまった時に、本当に一方だけが悪いということがあり得るのか、それが疑問なのだ。この戦争が始まる前に何度もプーチンは欧米の首脳と会談をしてきている。

そして実際に戦争が始まってしまった今、世界で起こる反戦デモがロシアを悪としているものが多いことに、違和感がある。大昔のように、例えば大航海時代に欧州列強が世界に領土を広げたが、あれは完全に攻めた側が悪と言っても問題ないだろう。つまり、欧州列強側が身を護る必要があったわけでもなく、相手側のアフリカ諸国やアメリカ大陸側に抵抗力があったわけでもなかったのに、侵略したのだから、戦争という名前ではなく、単に横暴な侵略であった。しかし、今回はその例とは少し違う。地政学的リスクをロシアは持っており、プーチンがこの選択をしなければ、将来のロシアは確実に弱体化することが目に見えていた。欧州のエネルギー問題にとってウクライナは重要だったわけだから、それがロシアの利益を奪うことは当然のことで、半ばやむを得ないという側面も理解する必要があるように思う。

被害にあっているウクライナ国民のことを考えると、本当に辛い。辛すぎる。こんな戦争は早く終わって、彼らに平和な日々が戻ることを切に願う。そして、こんな旧時代的な野蛮なことが繰り返されないため、戦争を誘発した側にも責任があることをしっかり世界が認識する必要がある。

そして、欧州は軍備強化を始めた。悪のロシアを正義のNATOが迎え撃つという構図がすっかり出来上がった。しかし、それでいいのだろうか?命を落とすのは誰か。平和な生活を奪われるのは誰か。環境問題でもそうだが、欧州はこのようなイデオロギー闘争がとても得意だ。それが、欧州という決して恵まれた土地ではないところに生活し、常に争ってきた彼らの知恵であり、生きる術である。日本のように鎖国なんて決して許されない環境でこのような狡猾さは必要不可欠だったはずだ。しかし、このスタイルでは戦争を止めるどころか、何かあれば戦うということにしかならない。善と悪を作って、善が悪に攻め入る勧善懲悪という構図があれば、あとは兵士という捨て駒を使って、市民という無力な命を奪って、国という概念が無意味に増長する。

今は我々日本人が訴えるべきは、あくまで反戦であり、反核攻撃であり、決して反ロシアでも、反プーチンでもない。このイデオロギー闘争を冷静にみて、戦争を止めること、二度と起こさないために何が出来るのか、それは喧嘩両成敗の原理だと思っている。

例えば、日本は戦争で破れ、多くの人が戦犯となったが、原爆を落とした米国は勝てば官軍ではないが、戦争責任は負っていないどころか、未だに正義の国である。勝ったから正義ではなく、やはり個々の事例ごとにちゃんと戦後処理をすべきだったようにも思う。勝ってしまえば総取りでは、勝つために何でもやるということにもなるし、戦争を始めた国が悪いとなれば、始めるように仕向けて、始めざるを得ない状況を作ればいいだけになってしまう。

だから私は、今回の戦争を反ロシア、反プーチン反戦運動ではダメだと思うのだ。

今後この戦争がどうなるのかは不明だが、ロシアが攻めたことから欧州が本格的に、つまり合法的に参戦し、逆にロシアを攻め始め、侵略することがあれば、この戦争を本当に始めたかったのは誰か、明らかになるかもしれない。

つまり、今は武器供与などを続けて、ウクライナ国民に代理戦争をさせ、少しずつロシアの体力を奪い、疲弊してきたところに一気に攻め込めば、たちまちロシアを攻略できるという算段である。しかし、ここまではロシアも織り込み済みでまだロシア精鋭部隊は温存している。つまり、長期化や過激化も想定しているということだ。こんな最悪なシナリオも見えてきたなかで、停戦のためにはまずウクライナも欧米も、ロシアの要求を呑むことだ。しかし、それだけではロシアが攻撃したことが正当化されてしまうので、ロシアに対し、ウクライナへの復興支援を約束させることだと思う。奪った命はもう戻らないが、新しい平和な生活をいち早く取り戻させるため、ロシアは壊したもの、奪ったものを元通りにする義務があるとする。そして、その義務の一部は、戦争前にロシアと協議をしながら、戦争を避けられなかった欧米諸国にも課されるべきだと考える。喧嘩両成敗である。