ディズニーランドについて

アメリカについて書いていたら、ディズニーランドを思い出したので、書いてみたい。私は東京ディズニーランドがそんなに好きではない。

理由は、悔しいからである。

何故なら、日本にはディズニーやユニバーサルスタジオに匹敵するようなコンテンツはたくさんあるのに、どうしてディズニーに多額のロイヤリティを払っているのか。そしてさらに、本家を超えるようなサービスを提供し続けているのだろうか?ということである。

まず、ディズニーランドのロイヤリティについてであるが、年間約300億円くらい支払われているという。チケット代等の10%などがその内訳らしいが、あまりにも高額である。完全に地主と小作人の関係である。

しかし、地主と小作人の関係であっても、小作人も地主がいることで農地を分けてもらえて、仕事ができ、生活出来ているという側面もあるわけで、必ずしもその関係性が悪いわけではないのだが、悔しいと書いたのは、日本が小作人になる必要がないのに、わざわざディズニーの小作人になっているということである。そもそも、今の子どもで、ミッキーマウスの映画やらアニメを観ているのはほとんどいないだろう。確かに、ディズニーアニメという意味ではヒット作も多いが、ミッキーマウスの人気はそんなにはないように思う。よっぽど、トトロ、ピカチュウドラえもん、悟空、ルフィ、炭治郎の方が人気がある。そして、これが、日本の武器なのである。

確かに、このようなキャラクターがいない国であれば、ディズニーの力を借りてアミューズメントパークを作ることは間違っていないが、日本は小作人ではなく、この業界なら確実に地主になれるはずなのに、いつまでもアメリカに上納金を渡している状態が続いているのが悔しい。よくパチンコ業界は朝鮮半島への資金援助に使われていると批判されている。しかし、これについては本当かどうかも分からない話であるが、ディズニーランドについては明らかな事実である上に金額の規模からしても、よっぽどたちが悪い。

ただ、悔しい理由のもう一つは、ディズニーランドがとても楽しい場所であるということだ。夢の国と言われるが、入場すると、まさに別世界に来たような高揚感がある。さらに、アトラクションとしても大人も楽しめるものも多い。それは、富士急ハイランドよみうりランドやコスモワールド、としまえんなどの遊園地よりも特別な世界観があり、またジブリ美術館、藤子不二夫ミュージアムサンリオピューロランドなどキャラクター系施設よりも、楽しめる施設が多い。

私感ではあるが、多くの日本の遊園地はアトラクションのレベルは世界トップクラスであり、特に富士急ハイランドは日本に生まれて良かったと思わせるくらいのクオリティで、絶叫マシンが好きな人にはたまらないだろうが、ディズニーランドのように夢の国に入る感覚はない。また、ジブリ美術館や藤子不二夫ミュージアムは、夢の国に似た高揚感は多少あるが、どちらも絵コンテなどがメインで、プロ向けな施設になっている。もっとキャラクターで世界観を重視しているのが、サンリオピューロランドアンパンマンミュージアムであるが、どちらも対象年齢が低い。よって、数あるテーマパークでも、ディズニーランドが日本において、遊園地としても、唯一無二の存在になっているのだ。つまり、アミューズメントパークの全てを兼ね備えた無敵の存在であると言える。

しかし、日本にはディズニーランドを超えるアトラクションとして富士急ハイランドがあり、ミッキーマウスを超えるキャラクターもたくさんいて、それらが融合すれば、ディズニーランドを超えられるはずなのである。確かに、ディズニーランドが開園した当時、1983年、またはその前の、計画があった頃は、日本の遊園地技術や世界的なキャラクターがまだそこまでなかったので、舞浜の埋立地はディズニーランドになるしかなかったのかもしれないが、もう今の時代はディズニーランドではなく、純日本製のアミューズメントパークが望まれる。

日本はこれから少子化アミューズメントパークはもう時代遅れだとの意見もあるが、日本のアニメ文化やキャラクター文化は十分輸出出来るものだし、さらに日本の技術の集大成でもある絶叫マシンも世界的レベルであるとすれば、輸出を見据えた形で、日本版夢の国を作りたい。そして、アメリカへの上納金も終わりにしたい。

 

 

 

アメリカについて part2

以前書いたアメリカ記事の追加で、今回はアメリカ人の考え方とかもう少し内面的な部分にも触れてみたいと思う。

何かとアフガニスタンの件もそうだが、いつも日本を振り回す存在であるアメリカであるが、それもそのはず。日本人とは全然思考回路が違うのだ。

アメリカ人の思考はストレートフォワードとでも言うかとても直線的で、合理的な考えをする人が多く、個を重要視する。

そんな違いがわかるエピソードをいくつか紹介したい。

 

空港の話。

とあるアメリカの空港で、バゲージクレームでなかなか荷物が出てこなくて、ずっと待たされた!という苦情が入ったらしい。

そこで、空港職員達は、乗客が飛行機を降りてからバゲージクレームまでの道のりを長くし、バゲージクレームまで到着する時間を平均で5分延ばしたとのこと。これにより、バゲージクレームでの待ち時間は5分削減でき、苦情は少なくなったとか。

これは、日本人には思いつかない発想である。苦情の内容は、バゲージクレームで待たされることであるから、それがなくなればいいという、問題と解決が完全な直線で結ばれるのがアメリカ人。日本人なら、バゲージクレームで待たされるのが嫌なのは、次の予定が入っていたりするなど、空港でロスする時間を減らしたいんだと、過大解釈もしくは先読みをしてしまうから、荷物を早く飛行機から取り出し、バゲージクレームへ送るための努力をすることになるだろう。しかし、そこはすでに多くの改良がされていることもあり、結果として、5分も短縮することは出来ず、客先からの苦情は解決しないということになり得る。

日本人からしたら、アメリカ人の解決方法では根本的なところが解決していないように見える。しかし、アメリカ人から見ると、日本人の方法では問題が解決していないように見える。そして、何度書くが、どちらが正しいということはない。それはただ違うだけである。

 

高速道路の番号の話。

これは、上のエピソードとはちょっと違うが、アメリカで感心した話である。日本だと高速道路の出口(インターチェンジ)は、例えば、海老名とか、太田桐生とか、ある程度土地勘のある人ならだいたいの場所が運転しながらでもわかるが、初めての人にとってみると、自分が出ないといけない出口がまだ先なのかもう通り過ぎてしまったのか、出口の名称だけを覚えていても、全然分からない。

しかし、アメリカの場合には、高速のある起点からの距離で番号が振られていて、例えば自分が出る出口の番号が36番だとすると、通り過ぎた出口の番号が20番なら、自分の出口は16マイル先にあると分かる。また、万が一、通り過ぎた出口の番号が40番となっていると、6マイル前に通り過ぎてしまったことがすぐにわかる。

また、これの便利なところは、新しい出口を作る必要があっても、連番ではないので、他の出口の名称を変える必要がないことや、日本のように新しい出口の名称を考える必要もない。とても、合理的であり、利便性も高い。

ただ、番号の名前しかないのは心なしか寂しいというか味気ない。高速道路というのは、長旅が基本で、出てくる地名を楽しむのもまた旅の醍醐味であるから、日本式が悪いわけでもない。

何が言いたいのかと言えば、これだけ考え方が違うということなのだ。

 

幼児教育の話。

これも、アメリカらしいなと思うのだが、とあるアメリカ人から聞いた話で、子ども(幼児)には、Noから教えるというのだ。それは、禁止を教えるということではなく、他人からの要求などに対し、まずはNoと断ることを教えてから、Yesを教えるというのだ。これは、家庭などによっても違うだろうし、一般的な話ではないかもしれないが、個を確立することを重要視するアメリカでは、yesとは相手を受け入れることであり、究極的には相手と同じ個になってしまうが、noということで、相手とは別の個が認識される。日本人というのは、yesを好む文化であり、迎合することは決して悪いこととは思われないが、アメリカでは、個が大事になる。例えば、日本人だと有名俳優や女優に似てるというのは、褒め言葉であり、言われた方は大抵喜ぶが、アメリカではbeautifulとか言うのはいいが、どんなに美しい女優であっても、美しいという表現のために、その女優に似てるというのは、個が否定されているようで嫌だという。

 

なんでアメリカがここまでストレートフォワードで、合理的で、個を求めるのかと言えば、それはアメリカが移民の国であるというのが大きいと思う。もちろん、ネイティブ・アメリカンもいるが、アメリカの文化を築いたのは、イギリスやドイツ、東欧や北欧からの移民たちであり、さらに南米、アフリカやアジアからも多くの人がやってきて今のアメリカがある。その歴史は、ニューヨークの自由の女神のそばにあるエリス島に残されている。私も訪れた際に、ここまで色んな記録が残っているのかと驚かされた。

移民が多い、つまり文化的な背景や共通認識がない者同士が分かり合うためには、単純明快な思考が必要になる。習慣だからとか、常識だからとか、そういう共通のものがないときは合理的な考え方が一番浸透しやすい。しかし、文化が醸成していくと、合理的な方法には面白味、人間味、情緒、趣がないように感じられ、時代とともに、社会のなかで合理性はだんだんと薄れ、心の文化になっていく。日本はそういう文化を何千年もかけて作り上げてきた国である。しかし、それもどんどん壊れ始めてはいるが、まだまだ根強く残っているものも多い。

また、個についても、多くの移民の中で生き残っていくためには、他人と同じことをしていては、取り残されるだけである。他人とは明らかに違う自分だからこそ、周りから一目置かれる存在になれる、つまりは社会のなかで重宝されるようになる。大勢の中の一人では、移民社会では埋もれてしまう。これも、国が安定していき、社会としてしっかりと機能してくると、みんなが同じ場所に長く定住するようになり、そんなに肩肘張って個を大事にしなくても、みんなが普通に暮らせるようになる。もちろん、人それぞれ違うのは当たり前なので、そんなに自分を主張しなくても、違いを共有し、それぞれがそれぞれの方法で社会と関わっていけばいいだけであり、無理に他人と協調したり、調和を大事にする必要もないが、逆に個性を全面に出す必要もなく、あるがままというか、やりやすいようにやればいいのだ。なんとなく、日本はそれが出来ている国に思えるが、アメリカ型を基準にすると、どうも個性がないと言われてしまう。

 

このように、アメリカで知ったエピソードや経験から、日本とアメリカの違いを知り、一方的に日本の考え方は古いとか、非合理的だから変えないといけないとか、そういう論調も多いが、アメリカ的な考えというのは、むしろすぐに実行出来るが、日本的な考えというのは、一度壊れてしまえばもう二度と取り戻せないかもしれないという貴重なものであることを忘れてはいけないと感じた。よって、我々は無理に欧米化する必要はなく、必要に応じて、合理性を求めたり、個を主張したりすればよく、それが決して正しいわけではないことを肝に銘じておきたい。

 

こんなアメリカと我々日本は同盟国であり、様々な問題につき、共同で解決していかなければならない。上手く付き合っていきたいものである。

 

 

 

 

国交について

アフガニスタンのことを考えていたら、国交について色々考えることが出てきた。日本にとって、台湾と続けてきた国交というのは、今後の日本が世界に出て行く上で最も参考になる関係だと考えている。

私は政治的なこと、歴史的なことは何も知らないし、読んでもよく分からないというか、理解が出来ない。でも、野球好きなことからWBCの試合は見るが、結構前の話ではあるが、台湾との試合で目についたプラカードには涙が出てきた。多くの日本人が、"ありがとう台湾"として、東日本大震災の際の台湾の支援に感謝の意を表していた。どんな政治的な背景があるのか、我々には分からないが、政治家は直接台湾に感謝出来ないのが、多くの日本人には耐えられなかった。だから、民間レベルで台湾への感謝の意を表したのかもしれない。

東日本大震災というのは、日本にとって、日本人にとって、本当に苦しい時期であった。ある国は、ここぞとばかりに日本を攻めたて、弱っていた我々をさらに窮地に追い込んだ。しかし、台湾は世界のどの国よりも多くの義援金をどこよりも早く送ってくれた国だった。本当に苦しい時に、助けてくれる友人が本物の友人である。確かに、弱っている時に攻撃をすれば、当然、通常の時にやるよりは効果があるので、一部の国が日本に対してしてきた行為は正しい行為なのかもしれないが、日本人には、古くから敵に塩を送るということわざもあり、例え争っていたとしても、その弱みにつけこむことはしないのが、日本人の流儀なので、そういう国のことはあまり理解出来ないし、今後付き合っていく必要のない国と言える。しかし、それとは全く対照的な国である台湾には、我々日本人は胸を熱くする。

そして、台湾のパイナップルが苦境になれば、日本は大量に輸入したり、台湾のワクチンが足りなければ援助したり、少しずつ日本から台湾への恩返しが最近、動き出しているのをみて、本当に良かったと思っている。台湾の方々が、それこそまた民間レベルで、SNSなどを通じて日本への感謝を伝えてくれているが、なんて心温まる光景だろうかと思う。

政治はいつもかゆいところに手が届かない。多分、色んな圧力があって、心の思うままには動けないのかもしれない。でも、以前の記事にも書いたが、今はSNSの時代である。きっと一般市民が政治を動かせる時代が来るはずである。そんな時、日本と台湾は新たな外交の形を世界に示すことになるかもしれない。それは正式な国交を超えた民衆の意思にゆる繋がり。お互いに困った際には、手を差し伸べ合う関係で、ありがとうと恩返しの応酬。我々は、日常のなかで、友人と付き合っていく際、困っている友人を蹴落として自分が一時的に優位に立つことよりも、助け合ってともに支え合うことの方がお互いに利益があることを学んでいる。これは国際関係でも同じことが言える。こんな単純なことを知らない国もあるが、台湾は違う。我々は助け合って進んでいける関係である。

今回オリンピックで、日本のアナウンサーが、Chinese Taipeiではなく、台湾と言ったことが台湾の方々にとってとても嬉しいことだったようだ。もちろん、これはアナウンサーの個人的な判断でそうしたわけではないと思うので、事前の入念な打合せがあったはずで、日本としてそうしたということだと思う。単純にオリンピックという場で、Chinese Taipeiと言われても分からない人が多いので、政治的な背景とは別に便宜上、台湾と言った可能性はあるが。

台湾と日本はこれからも、ずっといい関係を続けていきたいし、これが日本の外交のモデルケースになっていくことを願う。利益や思惑、そんなものに左右される関係ではなく、知性と感動で結ばれた関係になる、そんな国交の結び方があっていい。

そして、台湾の次は、赤白連合。特に大事な、トルコ、ポーランドグルジアインドネシア

 

 

 

プロ野球について 日ハム編

オリンピックが終わり、甲子園も終わり、いよいよ本格的なプロ野球後半戦が始まった。というか、私のプロ野球観戦が始まった。

いきなり球界を賑わせたのが、中田翔選手のスキャンダル、そして巨人への電撃移籍。これについては多くの人が色んなところでコメントしているので、私は特にコメントしない。

ただ、中田翔選手がいた日本ハムファイターズというのは、とても雰囲気のいい球団で、非常に特色のある球団だ。そもそも、プロ野球の球団というのは、監督によって、オーナーによって、またはスター選手によって、その時その時で球団の雰囲気というか、色は変わるものだが、日本ハムファイターズについては、少なくても本拠地を北海道に移してから、ずっと変わらない。

それは、形にはまらず伸び伸びと選手にプレーさせる、考えさせるスタイルである。日本の野球界というのは、一部封建的というか、そういう雰囲気があるなかで、この球団は少し特別な空気感を持っていた。

北海道に移ってから最初の監督はヒルマン監督。(東京時代からの継続ではあるが)そして、超スター選手の新庄剛志選手を筆頭に、森本稀哲選手やその他の選手が様々なパフォーマンスをやるなど、新しい形で観客を楽しませた。目標であった札幌ドームを満員にすることも達成した。そして、後任の梨田監督も、元近鉄バッファローズの監督であり、中村紀洋選手やタフィ・ローズ選手などを生み出した名将で、日ハムのカラーである自由に伸び伸びと、を受け継いでいた。この時は、ダルビッシュ有選手が自分の登板機会や降板のタイミングを梨田監督に直談判するというスタイルが話題になった。そして、栗山監督になってからは、今をときめく大谷翔平選手の二刀流を賛否両論あるなかで承認し、新しいスタイルの選手を輩出した。これは日本プロ野球の新たな歴史であり、大谷選手の能力も然ることながら、日ハムの選手第一主義のムードだから出来たことだったかもしれない。また、杉谷拳士選手というプロ野球史上最高クラスのムードメーカーが生まれたり、巨人で伸び悩んでいた大砲大田泰示選手を復活させたりもした。いつの時も選手が中心の伸び伸びしたプレースタイルの球団だっただけに、中田翔選手も、ある意味で伸び伸びやっていたのかと思う。

実際にどんな会話のなかで、どんな暴力行為があったのかはよく知らないが、ここまで大きなことになるのだから、かなりのレベルだったのかもしれない。

スポーツ界の暴力というのは、古き悪しき日本の昭和式トレーニングには欠かせないものであったし、先輩後輩の力関係のなかで生まれる暴力もまた、古き悪しき日本の軍隊式上下関係の遺産のようなもので、健全な日本のスポーツの発展の阻害要因の一部であったことは間違いない。しかし、私の勝手なイメージであるが、日ハムのチームカラーはあくまで先進的で、これまでの球界とは違った新しい球団というイメージだっただけに、その球団から古い暴力行為というものが出てしまったことが野球ファンとして残念なことだった。

これからは、日ハムだけでなく、全ての球団が、または野球界を超えて、全てのスポーツ界が、暴力行為の根絶を目指して努力してもらえたらと願う。そもそも、スポーツというのは、半分は技術、体力、精神力であるが、もう半分は、分析、戦略、駆け引きが必要になる。特に、野球の場合には後者の占める割合が半分を超えるとも言われ、昭和式トレーニングだけでは決して勝てないスポーツである。

プロ野球日ハム編をこんな形で締めくくるのも忍びないが、折に触れて色んな球団について書いていきたい。

アフガニスタンについて

アメリカ軍撤退開始から、急展開を見せるアフガニスタン情勢であるが、いくつも腑に落ちない点があり、日本の不思議な外交政策が浮かび上がって来る。

まず前提になるのが、私がカナダにいた際に、セルビアから移住した人たちと一緒に仕事をしていた時の話だ。よく彼らから言われたのが、1999年のNATO空爆時に在セルビア日本大使館を閉鎖しなかったエピソードだ。もちろん、日本は米国寄りの国であり、すなわちNATO側と思われていたが、世界から孤立したセルビアを日本は見捨てなかったと、今でもセルビア人の心に日本の当時の対応が残っているとのこと。その後にも両国の良好な関係は続き、東日本大震災の際、世界に先駆けて、セルビアから義捐金が届いたことはまだ記憶に新しい。そして、恥ずかしながら、そんなセルビアとの友好の歴史を彼らと話すまでは知らなかった。日本の歴史教育も、こういうところをしっかり教えてほしいと思った。1999年はもう私の義務教育は終わっていたから、その後の世代は習っているのかもしれないが。

同じような経験で、学生時代に一人旅で三重から紀伊本線で紀伊半島をぐるりと回ったときに、和歌山の串本という所でトルコの話を聞いて、初めてトルコと日本の絆を知ったということもあった。その後、トルコ人に聞くと、トルコでは教科書にも載ってるというから、これももっと日本の小学生や中学生の教科書に載せてトルコ人と話す時に日本人はこのことを知らないなんてことがないようにして欲しい。(実際には習ったのかもしれないが)

少し話は逸れたが、今回のアフガニスタンの件、日本は何か特別なことを考えているのではないか?と思っている。当然、日本の同盟国はアメリカであり、その他の所謂西側ヨーロッパ諸国であるが、日本と中東は独自の外交がある。それは、イランやイラクなどでもそうであるが、反米国家ともうまく付き合い続けている。

 

まず、あまり日本では報道されていないが、ロシアの動きとしては、大使館職員を任期満了や休暇のために帰国させることはあっても、業務は引き続き継続していき、しかも、カブールは安全だと強調している。これは、すっかりロシアがタリバン側と交渉を終え、外交がスタートしたことを認めたようなもの。しかし、日本では、日本の大使館員などがなかなか帰れないとの報道になっている。もちろん、それが日本政府の不手際という報道にはなっていないが、他の国はどんどん退避成功しているのに、何かおかしいと思ってしまう。ロシアの例から、退避していない国は、すでにタリバンと何らかの取引ができていると考えざるを得ないのだ。

そして、ここからは完全な憶測。そもそもアフガニスタンの情報はほとんど入ってこないので、何が正しいかも全然わからない。だからむしろ、今回のブログは憶測というよりむしろ小説を書いているような感覚だ。よって、将来これとは全く違う未来が訪れるかもしれないし、そもそも前提条件が全く検討違いということもあると思うが、ご容赦頂きたい。

まず、日本はわざと大使館員を退避させていないのではないかと考えている。それはセルビアの時と同じようにアフガニスタンタンとの友好な関係を築くためだ。アフガニスタンを現在事実上支配しているのはタリバンという組織であるが、多くの国ではタリバンを正式な政府だと認めていない。 しかし、その国の政府が誰であるかを決めるのはその国の人々であり、決して外国人ではない。よって、相手がタリバンであろうがなんだろうがアフガニスタンの現在の決定権を持っている人と外交をするのは、間違っていないと思う。

今、他の国と同じように日本も大使館を閉鎖すれば日本とアフガニスタンの関係は終わってしまう。 また、アフガニスタンにとっても、現在武力で奪った国をこれからは統治していかなければならないので、つまり国民を食べさせるために、何らかのビジネスや外交が必要になってくる。その時にアメリカなどの欧州は助けないだろうし、またロシアは助けるかもしれないが、現在のロシアはそこまで大きな力も持っていないことを考えれば、日本の存在は非常に彼らにとって大きいはずだ。よって、日本も助けたいし、アフガニスタンも助けて欲しいという関係が見え隠れする。

しかし、ここで表立って日本が、タリバンを援助しますとか、外交や貿易をしますなんて、口が裂けても言えないわけで、何か苦労しているような感じ、つまりはやむを得ない理由というテイで大使館の業務は続けていくのではないかと思う。そしてそれもタリバンの後ろ盾があってのことだと考える。

では、日本にとってのメリットは何だろうか。一つはアフガニスタンという国は中東とアジアのちょうど真ん中に位置する国で、アフガニスタン自体では石油は取れないがアフガニスタンから石油を買うことはできる。次に、アフガニスタンアメリカや欧州と決裂していれば、今後のインフラ設備などの受注を日本がしやすくなる。国が安定した際にいろんなインフラを整えるという段階に入ると思うが、やはり大型のものはアメリカやヨーロッパの企業が強く、そこが出てこないとなればまさにブルーオーシャン市場である。そして、アフガニスタンの地理的な特徴からアフガニスタンでの成功は中東や中央アジアに波及していく可能性がある。

よって早い立ち直りを実現したいアフガニスタンと、石油と中東中央アジアに大きなビジネス的な拠点を手に入れたい日本の蜜月な関係が今後予想される。ただ、以前のブログにも書いたが、これからは知性と感動の外交になるはずであり、目立ったメリットを求めなくても、ロシアやアメリカに翻弄されたアフガニスタンをどう助けるか、日本の外交手腕の見せ所なのかもしれない。

しかし、うまくやる必要がある。

先ほども書いたように表立って大使館員を残したり、何か企業を派遣したりすれば、アメリカや欧州諸国からの非難は免れない。あくまで全世界との協調や同調をしている姿を見せ続ける必要がある。

しかし、ここを乗り切った後、日本は中東と中央アジアにきっと大きな親日国を作るのではないか、と期待している。

まさに夢物語であり、実際は全然違うことが起きるかもしれないが、セルビアの話をふと思い出し、こんなことが起こればいいなと、空想している。

 

 

 

 

 

 

 

好きな食べ物について

こう聞くと、寿司とか、カレーライスとか、ラーメンなどと言いたくなるのだが、今回はそれではなく、こだわってる食材と、調味料について書いてみたい。

まず、以下のものは写真付きで紹介するが、これは我が家の四天王で、昔どこかで一度食べてから、止められなくなったものである。

お米は、島根県金芽米

味噌は、愛媛県の麦味噌

醤油は、鹿児島県の濃口醤油 甘露

海苔は、田庄の海苔(問屋)

金芽米は、食べるようになってから、家族が風邪をひかなくなった。もちろん、味も美味しいが、毎日食べる米から少しでも多くの栄養素を子どもに、と考えるようになり、これを一度選んでからやめられなくなった。

味噌は、とりあえず種類が多いので、色々試した結果、子どもたちが麦味噌ならよく食べることがわかり、そこから麦味噌に絞って試したところ、この愛媛の麦味噌に辿り着いた。少し甘いのと、無添加で子どもに安心。もちろん、大人も大満足な一品。

醤油と海苔は、実家で愛用されていたものをそのまま引き続き、使っている。妻もこの2つはうちの実家の食事を食べてから欠かせないと言って使い続けている。この2つのコラボである海苔巻きは、子どもたちの大好物。よって、海苔の消費量は、うちのエンゲル係数に大きな影響を与える程になっている。

以下、大好きなものをまとめて撮った写真である。


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さて、ここまではなかなか近くのスーパーで買えないものを紹介してきたが、次に紹介するのは、いつも我が家で常備している、私が勝手に調味料四天王と呼んでいる商品である。

これらがすごいのは、圧倒的に美味しいこと、安いこと(値段そのものというより、その価値に比べてかなり良心的な値段という意味)、そして日本全国どこでもほぼ買えるという知名度と便利さである。まさに、日本の国民的調味料である。それらは、キューピーマヨネーズ、カゴメケチャップ、にんべんのつゆの素、ブルドッグ中濃ソース。

実際、調味料と言えば、醤油、塩、砂糖、酢、みりん、味噌なんかが挙げられるだろうが、これはあまりにも地域差、個人差が出るもので、どれも天下統一していないと思っているが、上記の四天王はかなり長い期間トップに君臨し、未だにその人気と美味しさを保っている奇跡の調味料だと思っている。

マヨネーズは、ライバルも多く、特に海外製の瓶詰めマヨネーズは時にキューピーマヨネーズに勝負を挑んでくることもあるが、やはり和食にはキューピーマヨネーズであり、少し強めの塩っ気が最高である。マヨラーが生まれるのも、キューピーマヨネーズがあったからだと確信している。

ケチャップは、トマトからこだわるカゴメケチャップに誰も敵わない、と思っている。海外のは不自然にトマト風味が強く、トマトジュースの延長のような味だったり、また水分が分離していることがあるが、カゴメケチャップにはそれがない。

めんつゆは、にんべんのつゆの素がトップどあるものの、ライバルの追い上げが厳しいのは確かである。ただ、その分、食べ比べる機会も多いのだが、やはり素麺を食べた際に、このにんべんの味の右に出る者はいない。また、用途は素麺だけでなく、焼き魚、豆腐、サラダなど、にんべんのつゆの素は、かなり万能調味料であり、本来は醤油差しのような容器に入れて、食卓に並べて置きたいレベルである。

ソースは、ブルドッグ中濃ソース。好みの分かれるソース業界において、絶対王者であり続けるのは至難の業だ。まずすごいのは、パッケージにもあるように、果物や野菜がたくさん詰まっていることから、そもそもブルドッグ中濃ソースではなく、それ自体が料理とも言えるブルドッグ中濃"スープ"クオリティなのだ。さらに、世の中にはトンカツソース、たこ焼きソース、など何かに特化したソースもあり、それはそれで美味しいが、用途が限られるとそれにしか使えず、冷蔵庫で余ってしまうこともある。そんな時には、ブルドッグ一本で解決である。

この四天王が本領発揮するのが、海外にある日本食料品店である。数ある調味料の中から、これらはお店に選ばれて、ほぼどこでも売られている。特にすごいのは、マヨネーズとケチャップという全世界に競合他社がある商品が、取り扱われていることだ。何故なら、海外であれば、いくらでもご当地マヨネーズやケチャップがあり、日本から輸入するより安いものが多いのにも関わらず、日本人はもちろんのこと、外国人にもその値段以上の価値を提供していることになる。

 

みなさんも、それぞれ好きな、こだわりの食材や調味料があると思うが、今回紹介したものも是非一度試したり、またキューピーマヨネーズなどの凄さを改めて実感してもらえると嬉しい。

 

 

 

クールビズについて

そろそろ8月も終わり、秋へと変わっていくのだろうが、まだまだ暑さは健在である。そんな暑さのなかで、夏場にネクタイをしなくてよくなってから何年も経ち、すっかりクールビズは定着したように思う今日この頃である。クールビズという名前はともかく、内容は非常にいいことだと思う。

そもそも、スーツやら、ネクタイなんて日本人にとって正装でもなんでもないはずで、日本の夏にそぐわないというのは当たり前なのである。スーツはヨーロッパの正装で、ヨーロッパの涼しい気候や長い夏休みという文化に適したもので、ヨーロッパ人でさえ、真夏にはスーツを着ておらず、長いヴァカンスを楽しんでいることを考えれば、日本人だけ真面目に日本人に合っていないスーツやネクタイをするのはおかしかったというか、むしろヨーロッパ人から見ても滑稽だったのではないか?と思う。

さらにそれだけはなく、体型もヨーロッパ人と日本人は違う。スーツはどう考えても背が高く、手足が長いヨーロッパ人がよく似合うが、日本人のような体型にはさほど似合わない。よって、政治家までスーツを着て各国首脳と対談すれば、見た目的にどうしても日本の政治家はかっこ悪く見えてしまう。諸説あるが、少なくても明治時代からは、日本人は紋付袴や着物などが日本人の本当の礼服であり、正装なので、それを着ればいいだけなのに、と思ってしまう。

だから、スーツやネクタイをしない、つまり正装ではない、というのは、クールビズではなくて、ジャパニーズビスとして、甚平や浴衣にすればいい。なんかお祭り気分で楽しいはずだ。また、のセットであれば、より通気性もよく、何より日本人の体型や日本の季節に合っている。

そして、その様に日本人が原点回帰をするこいくら真夏でも甚平や浴衣はカジュアル過ぎるということであれば、作務衣でも構わない。

このように日本人が原点回帰をすることで、日本文化や伝統工芸がまた復活をする可能性がある。例えば、大島紬という伝統工芸は有名であるが、その担い手ももう数えるくらいしかおらず、高齢化が進んでいる。大島紬は、糸の段階で色をつけ、そこから縦の糸と横の糸を織っていく特殊かつ、世界一繊細な着物である。大島紬はデザインをする人、糸を染める人、デザインに合わせて織る人、などなど、全てが分業制である。このような各々の高い技術を伝承していくためには、それがビジネスとして成り立つ必要がある。よって、せめて夏場だけでも、甚平でも、作務衣でも、大島紬などの服を着る習慣が政治家の間で広がれば、(一般人は高くて買えないかもしれないので)素晴らしい技術が残っていくことになる。伝統は無理して存続していくものではないが、日本人として好ましい生活を取り戻した結果として、素晴らしい伝統と技術が残っていくのであれば、まさに願ったり叶ったりである。政治家というのはこういう効果(日本全体への効果)も考えて、身なりを整えることも大事だろう。日本には、海外の方が羨むような伝統工芸や文化がたくさんある。今はそれらがインターネットなどを通じて日本人よりもむしろ海外の方がよく知っているということがある。

本当の教育とは、自国の素晴らしい、誇るべきもの、後世に残すべきものをもっと教えるものだと考える。インターネットを通じて外国人に教えてもらうようでは恥ずかしい。まずは、スーツやネクタイを脱ぐところから始めたい。