クールビズについて

そろそろ8月も終わり、秋へと変わっていくのだろうが、まだまだ暑さは健在である。そんな暑さのなかで、夏場にネクタイをしなくてよくなってから何年も経ち、すっかりクールビズは定着したように思う今日この頃である。クールビズという名前はともかく、内容は非常にいいことだと思う。

そもそも、スーツやら、ネクタイなんて日本人にとって正装でもなんでもないはずで、日本の夏にそぐわないというのは当たり前なのである。スーツはヨーロッパの正装で、ヨーロッパの涼しい気候や長い夏休みという文化に適したもので、ヨーロッパ人でさえ、真夏にはスーツを着ておらず、長いヴァカンスを楽しんでいることを考えれば、日本人だけ真面目に日本人に合っていないスーツやネクタイをするのはおかしかったというか、むしろヨーロッパ人から見ても滑稽だったのではないか?と思う。

さらにそれだけはなく、体型もヨーロッパ人と日本人は違う。スーツはどう考えても背が高く、手足が長いヨーロッパ人がよく似合うが、日本人のような体型にはさほど似合わない。よって、政治家までスーツを着て各国首脳と対談すれば、見た目的にどうしても日本の政治家はかっこ悪く見えてしまう。諸説あるが、少なくても明治時代からは、日本人は紋付袴や着物などが日本人の本当の礼服であり、正装なので、それを着ればいいだけなのに、と思ってしまう。

だから、スーツやネクタイをしない、つまり正装ではない、というのは、クールビズではなくて、ジャパニーズビスとして、甚平や浴衣にすればいい。なんかお祭り気分で楽しいはずだ。また、のセットであれば、より通気性もよく、何より日本人の体型や日本の季節に合っている。

そして、その様に日本人が原点回帰をするこいくら真夏でも甚平や浴衣はカジュアル過ぎるということであれば、作務衣でも構わない。

このように日本人が原点回帰をすることで、日本文化や伝統工芸がまた復活をする可能性がある。例えば、大島紬という伝統工芸は有名であるが、その担い手ももう数えるくらいしかおらず、高齢化が進んでいる。大島紬は、糸の段階で色をつけ、そこから縦の糸と横の糸を織っていく特殊かつ、世界一繊細な着物である。大島紬はデザインをする人、糸を染める人、デザインに合わせて織る人、などなど、全てが分業制である。このような各々の高い技術を伝承していくためには、それがビジネスとして成り立つ必要がある。よって、せめて夏場だけでも、甚平でも、作務衣でも、大島紬などの服を着る習慣が政治家の間で広がれば、(一般人は高くて買えないかもしれないので)素晴らしい技術が残っていくことになる。伝統は無理して存続していくものではないが、日本人として好ましい生活を取り戻した結果として、素晴らしい伝統と技術が残っていくのであれば、まさに願ったり叶ったりである。政治家というのはこういう効果(日本全体への効果)も考えて、身なりを整えることも大事だろう。日本には、海外の方が羨むような伝統工芸や文化がたくさんある。今はそれらがインターネットなどを通じて日本人よりもむしろ海外の方がよく知っているということがある。

本当の教育とは、自国の素晴らしい、誇るべきもの、後世に残すべきものをもっと教えるものだと考える。インターネットを通じて外国人に教えてもらうようでは恥ずかしい。まずは、スーツやネクタイを脱ぐところから始めたい。