プロ野球について 日ハム編

オリンピックが終わり、甲子園も終わり、いよいよ本格的なプロ野球後半戦が始まった。というか、私のプロ野球観戦が始まった。

いきなり球界を賑わせたのが、中田翔選手のスキャンダル、そして巨人への電撃移籍。これについては多くの人が色んなところでコメントしているので、私は特にコメントしない。

ただ、中田翔選手がいた日本ハムファイターズというのは、とても雰囲気のいい球団で、非常に特色のある球団だ。そもそも、プロ野球の球団というのは、監督によって、オーナーによって、またはスター選手によって、その時その時で球団の雰囲気というか、色は変わるものだが、日本ハムファイターズについては、少なくても本拠地を北海道に移してから、ずっと変わらない。

それは、形にはまらず伸び伸びと選手にプレーさせる、考えさせるスタイルである。日本の野球界というのは、一部封建的というか、そういう雰囲気があるなかで、この球団は少し特別な空気感を持っていた。

北海道に移ってから最初の監督はヒルマン監督。(東京時代からの継続ではあるが)そして、超スター選手の新庄剛志選手を筆頭に、森本稀哲選手やその他の選手が様々なパフォーマンスをやるなど、新しい形で観客を楽しませた。目標であった札幌ドームを満員にすることも達成した。そして、後任の梨田監督も、元近鉄バッファローズの監督であり、中村紀洋選手やタフィ・ローズ選手などを生み出した名将で、日ハムのカラーである自由に伸び伸びと、を受け継いでいた。この時は、ダルビッシュ有選手が自分の登板機会や降板のタイミングを梨田監督に直談判するというスタイルが話題になった。そして、栗山監督になってからは、今をときめく大谷翔平選手の二刀流を賛否両論あるなかで承認し、新しいスタイルの選手を輩出した。これは日本プロ野球の新たな歴史であり、大谷選手の能力も然ることながら、日ハムの選手第一主義のムードだから出来たことだったかもしれない。また、杉谷拳士選手というプロ野球史上最高クラスのムードメーカーが生まれたり、巨人で伸び悩んでいた大砲大田泰示選手を復活させたりもした。いつの時も選手が中心の伸び伸びしたプレースタイルの球団だっただけに、中田翔選手も、ある意味で伸び伸びやっていたのかと思う。

実際にどんな会話のなかで、どんな暴力行為があったのかはよく知らないが、ここまで大きなことになるのだから、かなりのレベルだったのかもしれない。

スポーツ界の暴力というのは、古き悪しき日本の昭和式トレーニングには欠かせないものであったし、先輩後輩の力関係のなかで生まれる暴力もまた、古き悪しき日本の軍隊式上下関係の遺産のようなもので、健全な日本のスポーツの発展の阻害要因の一部であったことは間違いない。しかし、私の勝手なイメージであるが、日ハムのチームカラーはあくまで先進的で、これまでの球界とは違った新しい球団というイメージだっただけに、その球団から古い暴力行為というものが出てしまったことが野球ファンとして残念なことだった。

これからは、日ハムだけでなく、全ての球団が、または野球界を超えて、全てのスポーツ界が、暴力行為の根絶を目指して努力してもらえたらと願う。そもそも、スポーツというのは、半分は技術、体力、精神力であるが、もう半分は、分析、戦略、駆け引きが必要になる。特に、野球の場合には後者の占める割合が半分を超えるとも言われ、昭和式トレーニングだけでは決して勝てないスポーツである。

プロ野球日ハム編をこんな形で締めくくるのも忍びないが、折に触れて色んな球団について書いていきたい。