甲子園について

オリンピックが終わり、今年も甲子園が始まった。

甲子園球児が、年下となって久しい。大きなお兄さん=甲子園球児、そんな甲子園球児が年下になるなんて、本当に不思議な感覚だ、なんて思っていた時代さえも、遠い昔である。

そして、自分も結婚し、家族を持つようになると、彼らを親目線で見れるようになってきた上に、また甲子園に蔓延る甲子園ビジネスなんかも同時に知るようになり、ただただ青春を追いかける若者を応援するというだけではない感情が生まれてきた。

まず、私が何より思うことは、生徒または選手が勝ち負けにこだわること、これは当然であり、当たり前の姿だが、周りの大人も同じでは困るということだ。大人が考えるべきことは、勝ち負けの前に、子どもの健やかな成長、安全、教育であるべきだ。それが部活動に求められることだと思うからだ。その中で勝ち負けが重要になることはあっても、勝ち負けのために、それらを犠牲にしてはならない。

具体的には、炎天下のなかで試合、または長時間の練習をさせること、非常に短い期間に何試合も詰め込むこと、エースを連投させること、控え選手があまりにも多いこと、などである。高校生で、体力のある子ばかりを集めているので、多少の無理は乗り越えられるのかもしれないが、流石に過酷すぎる。

これにより多くの選手が怪我や慢性的な故障に悩まされている。つまり、生徒たちの健やかな成長と安全が脅かされているのだ。

よって、普段の練習も然ることながら、まずは甲子園の運営だけでも、変えられないかと考えている。

まずは、過密スケジュールをどうにかする必要がある。プロ野球であれば、数日間連続で試合しても大丈夫だが、甲子園では同じピッチャーが投げることが多いので、連戦連投になり、負担が大き過ぎる。かと言って、何日も空けると、当然、8月の夏休み中に試合が終わらず、学業に影響が出てしまう。これを上手く解決しなければならない。

次に、炎天下の中での試合である。これは8月に甲子園でやるから仕方ないのかもしれないが、球児はまだしも、観客席で応援をするブラスバンドや保護者なども含めて、非常に大きな熱中症などのリスクがある。もちろん、球児にとっても危険で、こまめな水分補給や、氷嚢などを使って、体温を下げるように指導はしているだろうが、そもそも時期を変えるか、場所を変えればいいことではないだろうか?と思ってしまう。

また、最後に教育的な観点からだが、控え選手(ベンチにも入れず、観客席で応援)がどの高校も非常に多いと感じる。中には、100人くらいいる高校もある。せっかく、同じように練習して、苦労してきた仲間であれば、もっと多くの選手に少しでも、守備や打席に立つチャンスを与えてあげてもいいのではないか。

このように考えてみると、全国大会を甲子園で行わないという選択肢はないものか?と考えてしまう。というのも、日本には素晴らしいドーム球場が5つあり、空調も整っている。トーナメントの日程としては、最初の5日間程度は、第一回戦になるので、それを5つのドームに分ければ一日で終わる。もちろん、放映権料の都合があるので、それを同時に開催したくないというのはわかるので、日にちはずらしてもいい。または、放送日をずらすことで、録画にはなってしまうが、球児を休ませることはできる。さらに、炎天下による選手や観客席の生徒や保護者の負担も減る。

また、甲子園だけで開催となると、やはり甲子園に近い関西の高校がどうしても有利になることがある。しかし、全国のドーム球場で行えば、関西の高校だけが有利になることなく、比較的公平性が保たれる。また、8月は台風の季節であり、雨などのリスクが高いが、ドームならその心配はなく、スケジュールの遅延がなくなる。

しかし、そうなると、二回戦まではそれぞれドームで出来ても、これ以降は、結局どこかに移動する必要が出てくるので、また遠征費がかかる、という問題が出てくる。しかし、私が思うに、この遠征費はそもそも全て高野連高校野球連盟)が負担すべきではないか?と考える。というのも、甲子園というのは、巨大ビジネスで、テレビの放映権も然ることながら、関連グッズ、番組、雑誌、その他広告料など、商材の宝庫であるにも関わらず、主役である選手や監督には出演料のようなものは支払われない。つまり、どこかがものすごく儲かっていることになる。これらのお金を高野連が集めて、各高校に遠征費を全額補填するようにしてあげるべきだと考える。今は、それが各高校の負担になり、OBOGからの寄付金などで運営する高校がほとんどである。球児の青春とか言いながら、大人が私腹を肥やす構造を知ってしまったら、教育的観点から全く好ましくない。だから、そうではなく、球児の青春と言って儲けたお金はちゃんと球児に還元する、というシステムが大事である。ただ、野球だけこのような待遇をし、他のスポーツ、例えばサッカー、春高バレー、国体などはどうかと言えば、それも同じように各団体がやればよいが、ただ、野球ほど移動する人の数が多くないこと、期間がそもそも短いことなどから、負担額は野球ほど多くないと考えている。各団体の収入も野球ほどは多くないとは思うが。

そして、次に投手の連投問題であるが、ドームを使うことで、日程には余裕が出来るので、特に準々決勝から決勝までは、中3日或いは中4日でもいいと思うが、それでもプロ野球に比べて一人の投手に完投させるにな過酷なスケジュールと言える。

そこで、案として7回で終えるようにし、8回以降はタイブレーク方式にするとか、またはよく議論されることだが、球数制限を設けるだとか、あとは投手登録の選手を増やして、ワンポイントで投げられるようにしておくということである。これは、先程書いた多くの選手に機会を与えられるようにしたいということの一環でもある。親目線で言えば、毎日毎日頑張ってきた我が子が、観客席で応援してるのも可哀想だと思うだろうし、ベンチに座ってるだけでもすごいが、試合に出ている姿も見たいだろう。勝ち負けは大事であるが、それは甲子園での優勝が高校の知名度アップに繋がるとか、来年以降の野球部のスカウトに影響するとか、大人の打算が大きく働いてしまった結果だろうが、もっと生徒や親御さんのことを考えてあげる余裕があってもいい。それは勝ち負けよりずっと価値がある。もちろん、勝負事なので、勝ち負けを度外視した戦いをしてほしいと言っているわけではない。勝つこと、またはそれを目指すことは重要であり、そうでなければやる意味もないのだが、ただ、そればかりでないということである。よって、ベンチ入りの選手を増やして、より多くの選手に出場機会を与えることと、球児の負担を減らすことは重要であると思っている。

また、最後に越境問題について書きたいと思う。これは、野球だけの問題ではないが、東北のどこかの県の代表として、全国大会に出たとしても、本人の地元は九州である、というケースである。私はこれは有りだと思っている。勉強で入学試験があるように、野球などのスポーツで入れる高校があって良い。また、勉強でも奨学金をもらえるなら、スポーツでもらえたっていい。よくお金で選手を集めてるといって、特定の高校を批判する人がいるが、学業においても優秀な生徒に奨学金を出すことと何が違うのだろうか?人は色んな才能を持っていて、必ず他人とは違う。それが人間の価値であり、進化してきた所以なのである。だから、例え学校の名声のためとはいえ、そういう才能にお金を出し、育ててくれる学校があることは有り難いことなのである。よって、それがあまりに過熱してしまうのは良くないかもしれないが、私は今の越境問題については何も問題はないと思っている。むしろ、野球の発展の功労者であるとも言える。

さて、ここまで書いてきたが、甲子園球児には、これまでの練習の成果を十分に発揮してもらい、安全に戦ってもらいたい。そして、プロ野球、さらにはメジャーリーグへ進むのを楽しみにしている。