仕事は暇つぶしについて part4

さて、ここまで(par1-part3)で私の言いたかったことを書いてみた。 ここからは、 自分がこう考えるに至った自分の経緯について書いてみたい。 自分はある意味、運もあったと思うが、 とても満足した仕事生活を送れていると思っている。 辛いことも多い、というか辛いことの方が仕事上は多いが、 考え方を変えてみることで、それも大きく変わっていった。

 

まず、私の人生はというと、自己紹介でも書いたように、 旧ソ連時代のモスクワで生を授かった。 その時の記憶は全くないが、その後日本に行き、 またロシアに戻り、小学校高学年から中学卒業までをモスクワ、 さらに高校の二年間をドイツで生活をした。また、学校では児童会長、生徒会長を務めたり、 何かを企画運営したりすることが好きだった。さらに、 勉強面では理系に進み、大学では物理を学んだ。そして、 海外経験のなかから、日本の素晴らしさ、 日本人として生まれてきたことの幸運に感謝した。要するに、 私自身の特性を考えたところ、海外で仕事をすること、 日本という国に貢献すること、 多くの人の中で何かプロジェクトのようなものに携わることなどが自分の経験から考えた特性だと考えた。

そして、選んだ企業(採用された企業)は、 主に電力関係の機器の販売と納入のプロジェクトに携わることの出来る会社だった。まず、この会社は日本の企業であり、 日本の技術を世界に売り、日本に貢献できるという意味で、 自分の性分にとても合っていた。また、 技術者としての採用だったので、 大学時代に学んだ物理という学問を生かせる環境であったことも志望動機の一つであった。ここで、 自分の能力が実際どれくらいなものだったのか、 全くわからなかったので、ここで書いていたこととは裏腹に実は‘ 性分に合っている’ということだけで就職先を決めていた。 しかし、運よく、海外の仕事を任されるようになり、5年間は米国の支社に駐在することになり、米国で家族と暮らした。

この仕事に出会わなければ、 当然米国で暮らすこともなかっただろうし、 普通なら出会えなかっただろう人々にもたくさん出会えたし、 入れないだろう場所にもたくさん入れた。 給料は決して高いわけではなく、 絵に描いたような贅沢はできないが、 そのなかで生活するというものでも満足している。ただ、 決して仕事が楽というわけではなく、苦労や悩み事も多い。 夜中までの仕事や休日に出勤することもあり、 また仲間や顧客からのプレッシャーもあり、精神的、 体力的にも辛い状況は人並みには経験してきているつもりである。 しかし、そんななかでふと暇つぶしという言葉を思いついた。 仕事の辛さから、 生きていたって無駄なんだと思って死を選ぶことだってできたかもしれないが、自然界の教科書から、 ただ生きることが使命であることを学び、そして、 生きている時間は暇であることに気が付き、 人間社会では助け合うことが必要で、それが仕事になり、 助け合いの結果がお金であり、それが生活を築く糧になる。 そして、ただ生きないといけない人生の暇を仕事で解消し、 そのなかで運よく、家族を築き、 かけがえのないものまで手に入れることができた。

だから、 私はここで過労死や仕事からのプレッシャーで死を選んでしまう人 たちに対し、この文章をささげたいと思った。毎週月曜日( 早い人は日曜日の午後) に吐き気を誘発する仕事という魔物に追われている感覚があるのであれば、まずはそれに感謝する。自分の居場所をありがとう、 お金をくれてありがとう、時間を忘れさせてくれてありがとう。 最低限、この3つかもしれないが、さらに運のいい人は、 家族を養ってくれてありがとう、素晴らしい成功をありがとう、 名声をあたえてくれてありがとう、贅沢な生活をありがとう、 新しい自分の能力の発見にありがとう、など、 副産物も出てくるのだろう。

何か一つの職業、または会社にとらわれる必要はなく、 どんどん新しい仕事に挑戦していけばいいが、その前にまず、 今の仕事に感謝してみてはどうだろうかと思う。 少し肩の荷が下りるのではないだろうか?最初にも書いたが、 それが私の本望である。

仕事で暇つぶししている間に色々なものが手に入る。仕事は有り難いと思えることが大事である。より辛ければ辛いほど、暇は潰れる。有り難い、有り難い。