政党だの、派閥だのについて

日本の政治家を見ていると、こういう枠組みに囚われ過ぎて、本当に必要な主張や本当に必要な政策であっても、党の方針、派閥の方針に合わなければ、それが出てこない、または出せないという感じに見える。そして、それが国民のためにならず、ただただ、不毛な政争の種にしかなってないという事実があるのではないかと邪推している。ただ、残念なことは、これについては、各国との比較が出来るほど、海外の政治家の活動をよく知らないので、日本だけを見て、まずは書いていきたい。

そもそも、政治家になろうとする人の半数は、親だの親しい人が政治家で、所謂、サンバンの揃った人で、手っ取り早く、就職先が決まる人達であり、こういう人は党だとか、派閥だとかに忠誠を誓って、上手く上昇気流に乗ることが至上命題であるかもしれないが、残りの半数は、日本のために何かしたいという人であると信じている。そういう人にとってみると、大筋で党や派閥の統一的な動きに賛成していても、複雑な世界の動きや科学技術の進化による社会の変化、さらには新しい価値観の発生など、流動的な政局の中で、常に周りと同じ見解を保つことは難しいのではないかと邪推している。もちろん、党内、派閥内でその都度、話し合うのだろうが、必ずしもみんなが納得して方針が決まるわけではなく、多数決か何かで、党や派閥の主張が決まるというのであれば、以下のようなことが考えられないか?

例えば、何かの議案に対して、自民党はAという結論を出して、共産党はBと主張して戦う。ただ、自民党議席は80,共産党は20だとすると、結論としては、Aになる。しかし、そもそも自民党内部の方針決めの際に、Aが45、Bが35、そして共産党は全員Bを主張していたとすると、Bの方が実際には多かったことになる。つまり、多数決の原理が冒されているとも考えられる。原発の事や年金問題など、党や派閥という中に違う意見を持った人が多く、そういう枠組みを超えた議論が必要ではないかと思う。

また、もう一つ、野党だから、与党だからということにこだわって国民が置き去りになっていることも納得出来ない。例えば、コロナ対策。野党は与党である自民党をただ責めているだけで、国家の危機、特に医療関係者や飲食関係者がとても苦労していた中で、野党の協力姿勢は国民には伝わらなかった。私の個人的な見解だが、前の記事にも書いたように、日本政府、自民党はコロナ対策はよくやっていた方だと思う。確かに、感染は拡大したし、医療崩壊の危機はあった。そのなかでオリンピックをやらされたり、ワクチンを買わされたりしながら、全く未知の病気に対して、ギリギリの調整はしてきたし、それなりの成果はあったと思っている。しかし、野党は何をやったのか?もちろん、政権を運営することは出来なくても、自民党と一緒になって、色んな政策を出して、国の危機を共に乗り越えようという姿勢はなかったように見えた。

世襲議員以外はみんな国のために政治家になった人なのだから、国の危機となれば、もっと自民党と協力して、色んな政策を提案したり、国民の理解を得られるように動くべきだったのではないかと思う。そうすることで、自民党の評価があがることを恐れているのか?それなら、やはり党という壁は国民を苦しめていると言える。それとも、全ての野党は、本当は何も出来ないのか?それなら、党という枠組みの問題ではなく、そもそも政権与党になれないということを宣言しているようなものである。つまり、自民党と一緒にコロナ危機などの特殊な事例については、色々と協力することで、仮想与党となり、国民からみると、頼れる政党、または人材という印象を与えられるし、国民も助けられる。国家の危機には、こういうことが必要なのではないか?今回のコロナ対策を見ていると、どの野党も政権を任せられないと大部分の国民は思ったのではないだろうか?今の野党の目的は与党になることなのか、それとも国民を守ることなのか、そういうことが、党の論理だけで政治が進むと、国会が本来の目的を失ってしまっているように思えてしまう。本来、政権をとらなくたって、国民のための仕事は出来るはずで、自民党を批判するだけなら、マスコミや居酒屋での愚痴と変わらない。

国会議員になったら、やはり政党やら派閥やら、そんなものに固執せず、与党が正しいことをやっていると思えば、協力して国民のために頑張るし、本当に何か間違っていれば、それをしっかりと否定していくことである。コロナ問題で与党の足を引っ張っても、アメリカから戦闘機を買うことは見逃してしまう野党に、誰も期待出来ない。

よって、私は小選挙区で選ばれた国会議員が、もっと有意義な無駄のない仕事が出来る体制が必要で、それのために、党や派閥のあるべき姿をもう一度見直せないかと考えている。

政治家になることはとても大変なことで、本当に選ばれた人しかなれない。よって、せっかく政治家になれた人は、本気になって政治をやってほしい。それの足かせに、党や派閥がなってはいけない。党や派閥だけの政治家は単なる頭数にしかならない。多数決なので、数の原理のために徒党を組むのがいいのかもしれないが、それにより国民の選択肢は狭まる。時代が例えば、資本主義と社会主義しかない時代だったり、環境問題や多様性、さらに日々生まれる新しい技術が少ない時代であれば、右翼は右翼、左翼は左翼で、それなりに有意義な話し合いができたのかもしれないが、現在では右翼vs左翼という構図だけで議論をするようなことは出来なくなっているはずである。右翼であっても左翼的に、左翼であっても右翼的に、そんな柔軟性が今の政治には求められているのだ。そんな中にあって、党や派閥の方針のみに従い、頭数のためだけに国会議員をやっているのはもったいない。

政治家が政治家たる働きが出来る仕組みが欲しい。もちろん、これだけが問題ではないし、献金、圧力団体、諸外国などなど色々あると思うが、国会議員が自分の頭で、意思で、正義感で、ある程度独立して活動出来ることは肝要なのかと考えている。