why Japanese peopleについて

この言葉を聞いて、ピンとくる人はどれくらいいるだろうか。

これは、お笑い芸人厚切りジェイソンさんのギャグで、彼は漢字の一貫性の無さや日本の風習など、彼が漢字や日本の文化を勉強した時の疑問などをネタにしている。有名なのは、一、ニ、三、と書いていって、四になるところで、why Japanese peopleと叫び、法則性があったのにどうしてこうなるの?というネタ。彼のネタの中には日本人も思わず、へぇ!とか、確かに!とか、再発見や共感するようなネタも多い。

そんな彼の講演会がかれこれ一年以上前にあったので、それを聞きに行った時の話であるが、今まで聞いた著名人の講演会の中でも特に面白かったので、今回記事にしたい。

彼は大学ではコンピュータサイエンスを専攻したが、そもそも飛び級で地元イリノイ州の大学へ入学している。よって、成績は優秀だったし、大学院まで卒業したので、かなりそのコンピュータサイエンスの分野において自信もあったが、在学中のインターンシップの応募をした際に挫折を味わう。いくら自分がコンピュータサイエンスが得意でも、全米にはいくらでも自分より優秀な人がいて、とても勝てない、ということを知り、プラスαの自分を探すため、日本語を学んだことで、コンピュータサイエンス+日本語となり、そうなると周りにライバルはほとんどいなくなったという。そして、仕事の関係で来日し、さらにこの時だったか、今の奥様とも出会っているが、とあるお笑い番組を観て感銘を受ける。

そして、紆余曲折あった後、再来日し、芸人を目指して、事務所に入ることを決意したが、元々やっていたビジネスはそのままに芸人活動というか、養成所は土日だけ通っていた。この時の話に感銘を受けたので、今回この講演会を記事にしたのだが、彼の話し方のまま書くと以下のようになる。

みなさん、三匹の子豚の話を知っていますか?藁の家、木の家、レンガの家を建てた子豚の話ですね。この話では、藁の家と木の家はオオカミに壊されてしまい、丈夫なレンガの家だけが、オオカミから身を守れたという話が紹介されています。よって、教訓として、最初から最高なものを作りましょう、というものですが、しかしみなさん、この話は本当にそれでいいと思いますか?

例えば、元々の所持金が三匹とも1000万円としましょう。藁の家は100万円、木の家は500万円、レンガの家は1000万円だとすれば、みなさんはどんな家を建てますか?藁の家ではないですか?何故なら、藁の家であれば、家を建てた後も900万円余っているので、いくらでも好きなことをやる余力が残りますが、いきなりレンガの話を建ててしまえば、もう何も出来ません。そして、オオカミがもしこなければ、レンガの家は完全に無駄になってしまいますし、藁の家にオオカミがきて壊されても、また残りのお金を使って別の対策をすればいい話です。

私の芸人活動もこの話のようなものでした。私は元々ある仕事をやりながら芸人活動を始めたのですが、活動は土日だけとしました。それは、元々の仕事を辞めてしまって、全ての時間を芸人活動に充てるという場合、もし芸人活動が上手くいかなければ、全てを失ってしまうから、芸人になろうという挑戦が出来ません。つまり、何か新しいことを始める時に、駄目だったらすぐに引き返せるように、後戻り可能な範囲で少し始めてみること、つまり藁の家をつくることが大事なんです。そうしないと、何も新しいことは始められないわけです。

そう考えていた私を、私の芸人仲間の同期メンバーは笑いました。土日だけやって成功するわけがない、と。しかし、私はとりあえず始めてみること、そしてうけるネタを考えること、最後に色々やってみて駄目だったらまた元の場所に戻ればいいということがあったので、あまり気にせずに始めましたが、結局、同期で今テレビに出ているのは私だけです。

とまぁ、うろ覚えではあるが、流れはこんな感じで、何かをやってみたいとか、始めたいと思った時、我々はどうしてもいきなり本気で、そして最後までやりきらないといけないと考えがちではあるが、そのような本気モードに舵を切るのは少し遅らせて、まず少し始めてみる、ということを考えてみることで、色んなことに挑戦したくなった。ハーモニカを吹いてみたり、彫刻刀でハンコを作ってみたり、YouTubeタイ語を勉強してみたり、このブログも、プロのブロガーになろうなんて思ってもないが、とりあえず始めてみた。

こういう彼の考え方は、私のそもそもの考え方に非常に近かったが、講演会を聞いて、よりそれを強く実感するようになったし、三匹の子豚の話は目から鱗という感じであった。

流石芸人ということで、笑いも随時入っていて、またアメリカ人らしくプレゼンはとても上手いし、彼の数奇な人生の挫折と成功の物語それ自体も魅力的だったので、非常に面白い講演会であった。