子育てについて

前回の記事で息子の事を書いたので、もう一つ。仕事の関係で、長く家を空けていた私が子育て論なんて書く資格はないが、家を空けていた期間と、WFHで朝起きてから寝るまで家にいる生活をしていた期間の2つの生活を経験したことから考えた、小さい子どもがいる親が出来る事、またはすべき事を書いてみたいと思う。

長く家を空けていたので、子どものために、何か楽しませようとか、プレゼントをあげようとか、当初はそんなイベントばかりを考えていた。しかし、しばらく過ごしてみて、なんとなく分かったこと、それは、何もしなくていいので、ただ出来るだけ長い時間、子どもと過ごすことである。これに尽きると思っている。

世の中にはたくさんの子育て論があり、褒めて伸ばそうとか、躾はしっかりしようとか、早めに勉強のクセをつけようとか、食育だとか、知育おもちゃがいいとか、スポーツをやらせるとか、多言語を学ばせるとか、私も全てを読んだわけではないが、とにかく各論としては色々あり過ぎて、どれを選択して子どもに与えていけばいいのか、本当に迷っていた。

しかし、コロナ禍もあって、必然的に帰国後は子どもとの時間が増えていき、一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、ゲームしたり、何でもない日常生活を同じ空間で過ごすことを通して、ふと出てくる子どもの言葉や行動、そこに子どもの求めてるものがたくさん隠されていたことに気が付き始めた。

例えば、突然、補助輪を外して自転車乗れるようになりたいなぁ、と言われたことがあり、急いで一緒に練習を開始。二、三日のうちにあっという間に出来るようにはなったのだが、実は私のいない間、彼の中でずっと心にしまっていて、これまでは言い出せなかったことだったんじゃないかと、なんだかとても切なくなった。

子どもは常に成長したがっている。最近、下の双子もトイレが出来るようになり、毎日大騒ぎだが、もちろんまだ失敗もあり、一喜一憂している。オムツが外れたことは何よりも嬉しいようで、パンツをはくときは誇らしげだ。ただ、子どもが成長したがっている自然の流れを、子どもと長い時間過ごしてないと見逃してしまったり、逆に育児書や周りの子どものことをみて、自分の子どもを急かしてしまったり、そんなことが起きてしまうのかなと思った。黙っていても、子どもは子どものペースで成長していくのだが、親はそれを常に見張っていて、いいタイミングで手助けをしてあげることが大事なのかと思った。

長い期間会えていないと、誕生日だけは、とかクリスマスまでには、とか、そんな記念日を抑えとこうみたいな考えも生まれたこともあった。大人の関係なら、それでいいのかもしれないが、子どもにとっては、記念日も普通の日も、同じ一日だし、むしろ毎日が記念日なのだ。だから、一緒に過ごせていなかった時間は、自転車の件もそうだが、どうもがいても、もう取り戻せない。もちろん、好き好んで離れたわけではなく、業務上仕方ないことだったので、後悔はしてないが、ただ、すごく残念だったなぁと思うし、何より一緒にいられる今を大事にしようと思った。

子どもにしてあげられること、それはとにかく出来るだけ長い時間を共に過ごすこと。そして、見えてくる子どもの成長や興味。無理に何かを与える必要もなく、ただ、助けを求められたら手を差し伸べてあげられる準備だけはしておきたい。

そして、いつか子どもは親から離れていく。そんな時にちゃんと背中を押してあげられるように、今、子どもが求めている時にはちゃんと向き合って、自分の趣味ややりたいことは二の次にして、多くの時間を、何気ない日常を、一緒に過ごしたい。