男社会について

先日、幼稚園の息子の発言に、ハッとさせられた。それは、"〇〇君は一番の王様で、俺は3番目。それで、▲▲君が4番目で、□□君が5番目の王様なんだよ"、というのだ。

幼稚園社会にも、もうそんな階級のようなものがあるのかと。確かに、男社会っていうのは、多かれ少なかれ、中学校、高校、大学や社会人になっても、年齢や役職、またはそれ以外でも、序列のようなものを作りたがる。そしてそれは、決して日本だけでなく、少なくても米国やインドネシアでも、男社会の中では感じた。

そして、それは男の本能だとすると、男というのはいつも競争の中にいて、競争を好むというか、競争を本能的に必然と捉えているのかと考えてみた。

そして、興味があったので、質問をしてみた。

私:その順番って、どうやって決めたの?

息子:最初に、○○君が、自分は王様だと言ったから最初の王様になったんだよ。俺は3番目に言ったから、3番の王様になった。

私:その順番はもう変わらないの?

息子:もう変わらないよ。

というので、そんなことだったのか、ちょっと考え過ぎてたなぁ、と思い、私からの質問は止めた。

すると、今度は息子から、

でも、○○君は強いから、俺も殴られて泣いたことがある。

と言うので、驚いた。そして、さらに、

○○君がいると、俺は○○君の言う通りにしないといけない。でも、▲▲君と□□君は俺の言う事を聞くよ。

というのだ。

また、一番の王様がいない時は、俺は二番目の王様の言う事を聞く、というからさらに驚いた。

どれだけハッキリとした序列なんだろうか。息子のまだあどけない話し方とは裏腹に、その内容はとても鮮明であった。

分かったことは、序列はどうもケンカの強さで決まっているようだった。そして、順番は変わらないものの、位が上の者に対しては服従する必要がある。

それは、あまりにも自分が経験してきた、所謂、男社会と同じで驚きを通り越して、すでにそんな社会を経験しているのかと同情もしたし、それを飄々と乗り越えているのには感心もした。この構図は、きっと母には理解出来ないかもしれない。みんなと仲良く遊ぶというのが母の視点であるが、幼稚園で社会性を学ぶとなれば、男社会のこの序列は避けて通れない。女は女の世界がある。それは私には分かっていないことではあるが、でも、それはきっとこんな序列ではなく、いくつかのグループが出来たり、一人のボスに対して後は同列のような形はあるかもしれないが、息子が経験しているような、ハッキリとした序列というのは、女性は経験してないのではないかと思う。

これが男の本能だとすると、やはり、男は社会に出て競争してないといけないのかもしれないと思い始めた。その競争をしていないと、家庭内で変な競争心が出てしまい、自分より弱い者を見つけてはDVなんかしてしまうのかなと。それか、怠けてしまうとか、無気力とか、やはり男は社会からの刺激が必要な生き物なのかと考えてしまったり。

ただ、これに限った話ではないが、何事にも限度があり、激し過ぎる競争は人を疲弊させてしまうので、程度問題ではあるが、ただ、負けることで何も落ち込む必要はない。勝負は勝者と敗者がいるのは当然で、戦いはいくつもあるので、いつかどこかで一回でも勝てれば良い。

そして、もうすでに息子がそんな社会を経験しているのであれば、これからは色んな競争を体験させてあげることが大事かなと思った。もちろん、殴り合いをさせるわけにはいかないので、スポーツだとか、勉強だとか、なんでもいいのだが、誰かと競い、序列の中に身を置く訓練だ。そして、たくさんの負けを経験してもらいたい。勝つことには、自信がつくというくらいのメリットしかないが、負けることで得られるものは大きい。野村監督も、勝ってる試合は運で勝てているだけで理由はないが、負けには必ず理由があると言っていた。きっと男はこういうことでしか成長しないのだと思う。

 

ふとした息子の言葉から、色々考えさせられた。