クリスマスについて

今年もクリスマスが終わった。

冬至のところで書いたが、クリスマスという行事は光のない地域の宗教行事であり、決して楽しいだけのものではないが、日本では冬のお祭りというか、宗教的な意味はさておき、楽しいイベントとして浸透している。その最たる例というか習慣は、サンタクロースがいると子どもに信じさせ、25日にプレゼントが枕元またはツリーの根元に置かれているというものであろう。

私はこの習慣には疑問があり、そもそも子どもにこんな嘘をつき続けるのが耐えられない。サンタさんはどこにいるの?とか、サンタさんはどうやってみんなの欲しいものがわかるの?とか、この辺りは模範解答がすでに用意されているが、オートロックの家はどうやって入るの?とか、一晩で何軒の家に配るの?とか、厳しい質問もされるようになると、なんで嘘をつき続ける必要があるのかと思ってしまうし、もし、我が家だけで完結するなら、サンタさんはいないが、何かクリスマスプレゼントは買ってあげるから、一緒におもちゃ売り場へ行こう、と言いたくなる。

ただ、保育園や幼稚園、周りの親たち、みんなが必死に頑張って作り上げてきているものなので、自分だけギブアップして、真実を明かすのは気が引ける。よって、しばらくはこれを続けるしかない。

ただ、なんか心が痛むのは、私は嘘をつくとき、それが嘘であることがすぐに分かるようなものだけにしたいと思っているというのがある。それは特に子どもに対してはそうで、そうしないと逆に本当に真実を伝えたい時に、オオカミ少年の様になってしまうことがあるからである。しかし、クリスマスに関してはそうはいかず、嘘を信じさせないといけない。なので、もし大きくなった時に、私の嘘をつく時の表情とか、言い方とか、仕草とか、なんかそんなものを分析されたら嫌だなとか、そんなことまで考えてしまう。

そして、今回もサンタさんに手紙を書くから、欲しいものを教えて欲しいとか言いながら欲しいものを聞き出し、例え高額なものであっても、頭ごなしにダメとは言えないので、考え直してもらうように促し、親の経済事情に合ったものに落ち着くまで粘る。これも、最初から親が買うスタンスなら悩まず、高いものはダメと言えるのだが、サンタさんは何でもくれる人でないといけないので、交渉は難航する。

そして、なんとかプレゼントが決まり、コソコソと買いに行ったり、時にはネットで注文し、子どものいない時間を指定して受け取って、家の中に隠して、当日はケーキなども用意したり、美味しい食事で盛り上げて、寝かしつけ、夜中に起きてプレゼントを枕元に。。。。

 

 

そして、当日の朝になると、あっ、プレゼントだ!と大きな声が聞こえて私も起きた。すぐに開封する子どもたち。欲しかったやつだ!サンタさんありがとう!と、子どもが喜びはしゃぐのを聞き、溢れんばかりの笑顔を見たら、何故か胸がいっぱいになった。なんだかんだこの日まで色々考えてきたし、こんな嘘をつきとおす習慣はなくならないかなと思ったりもしていたが、この子どもたちの喜ぶ姿を見たら、もう何も言えなくなった。

そして、これは大人が、大人のためにやってる習慣なのではないかと思えてきた。そもそも、この日にプレゼントをあげる、というのだって、子どもから自発的に思いつくわけがないし、大人が決めたルールに子どもたちが従っているだけだ。子どもはもちろんプレゼントをもらうのは嬉しいので、反対はしない。だから、きっとずっと続いているのだろう。

一年に一回、サプライズで大人が子どもにプレゼントを渡せる日。それがクリスマス。大人が一年に一回、自分のために、子どもたちに嘘をついて、子どもの喜ぶ顔を見る日。サンタクロースがいるのか、いないのか。もし、サンタクロースがクリスマスの日に喜びを与えてくれる存在だとすれば、それは実在していて、子どもたちこそ、親にとってのサンタクロースだ。また来年まで頑張って働いて、サンタクロースにプレゼントを渡したい。親たちのそんな想いがなくならない限り、この習慣は続いていくのだろう。