私は小説が大好きだった。今は、というかここ10年くらい全く読めていなくて好きだった、という表現になっている。
小説のいいところは、画像も、音楽もなく、言葉だけなので、自らの想像力で自分の好きな世界を創り出せることと、作者の言葉遣いを楽しめることだろうと思う。
最初に小説に目覚めたのは高校時代。たまたま学校の図書委員のようなものになり、手に取った三島由紀夫に一気に傾倒したのが、キッカケだったと記憶している。その時は彼の政治的な思想は全く知らず、ただ彼の小説の美しさに感動していたのを覚えている。その後、彼の政治的思想を知り、それはそれで感銘を受けたのだが、私の中では、小説家三島由紀夫が今でも心に残っている。高校時代はもう一つ、サン・テグジュペリの星の王子さま。これは、子ども向けの本というイメージが強いが、高校時代から大学生後期になるまで、何度何度も読め直した小説で、私の人生の中では一番多く読んだ。読む度に、読む状況によって、受ける印象が微妙に変わったり、今まで気が付かなかったことがある時気がついたり、とりあえず色んな発見をした作品で、私の小説人生にとても大きな影響を与えてくれた作品だった。
大学生になると、とりあえずたくさんの小説を読んだ。以前書いた星新一、重松清、宮本輝、伊坂幸太郎、そして最も好きだったのが、五木寛之。五木寛之の作品は、小説だけでなく、随筆というか、論説というか、とりあえず彼の考えをまとめたようなものも読み、特に大河の一滴は、その後の人生の指針になるようなものが多く書かれていた。
また、自分でも小説を書き、出版することも出来たのが大学時代で、その流れで小説家を目指す人との交流も出来、彼らからもたくさんの作品を紹介され幅広く読んだ時期でもあった。
その後、色々な作品を読むことより、書くことにしばらく集中したが、社会人になり、すっかり書くことも、読むこともなくなってしまった。
しかし、無駄じゃなかったなぁと思うのは、今でも活字に対して、全く抵抗がないという特技を手に入れたからだ。よく会社で、資料を作れと言われると、私は文章のみで書き続けるし、メールの返信も人より早い。それは、頭にあることを文章にするスピードが周りよりも確実に早いからだと思っている。多くの人は、私から見ると、読むのも書くのも遅い。活字が続くと分かりにくいから、図や表を入れろと言われるが、私は逆に図や表があると読みにくい。何故ならそこで読むことが止められてしまうことと、図や表は情報が多過ぎて、どこから理解していけばいいのか分からないことがある。文章なら、上から下まで順番に読んでいけば、大抵は分かるようになっているし、作者が伝えたい大事なことが浮き彫りになるので、よく理解出来る。図や表が多く、さらにカラフルな資料は本当に読みにくい。よくA4サイズ一枚の紙に文章だけが書いてあると、文字ばっかりだと言われるが、そんなの五分もかからずに読めてしまうし、慣れた人なら二分もかからないだろう。それが10枚あっても30分あれば読めてしまうので、活字だけの資料は、私には好都合だったりする。この辺りがきっと小説などを読んだり、書いたりしてきたことの産物なのかもしれない。
また、このブログも楽しく書いているが、たまに長いと言われることもある。よって、極力短めにまとめるように心がけてはいるものの、私からすると、まだまだ書き足りないという感じではある。ただ、読み手が長い文章を嫌うのであれば、エッセンスだけを書くことにして、何かあれば個別に聞いてもらうということにすることにしている。
色々書いたが、私の生活が学生時代のような落ち着きを取り戻したら、また小説の世界に戻ってみたいと思う。