勉強について

さて、いよいよ桜の季節に近づき、卒業や入学のシーズンになる。そこで、よく色んな人が、何故勉強をしないといけないのか?という問いの回答をしているのを耳にする。

子どもに勉強しなさい!とだけ言うのも芸がないので、ざっと私なりに勉強の必要性を考えてみた。

 

①学歴が大事だから、いい大学に入って、大学名で信頼を得る生き方ができるようになるため。

多分、これが最もいい回答で、現実的だと思う。やはり、日本だけでなく、学歴は世界どこへ行っても聞かれるし、人物の能力を比べる上で重要なファクターであることは疑いようもない。最近は、学歴を気にしないという人や企業も見かけるが、その分審査は大変になるし、それが一般的になるかは微妙である。どの大学の、どの学部または修士課程を卒業したかによって、その分野の能力というのはある程度分かるが、それを隠した状態で、その人の能力を測ろうとすれば、それはかなりの労力が必要になるからだ。よって、学歴である程度、判断するというのは合理的だったりもする。

②勉強を通じて、文字の読み書き、計算ができたり、過去を知ったり、社会を知ったり、音楽や体育などを学ぶことが出来る。

これは、個人の能力を高めるという意味でとても重要であり、勉強をしなければ得られないものであるから、やはり勉強をする意味になる。よく学校で学ぶことなんて社会では使えないという意見も耳にするが、それは使おうとしないことが原因であり、使い道は多々ある。文字の読み書きが出来れば、たくさんの本を読むことも出来るし、人に何かを伝える際に文章できちんと伝えられる。過去を知れば、未来も分かるようになるかもしれないし、何より考えることができる。音楽や体育では、その道に進むこと以外にも趣味としても楽しめるようになれば人生の幅が広がる。そんなこと、学校で習わなくても出来る、というのは一理ある。しかし、それをもし個人的にやろうとすれば、まず家庭教師をつけるにしても、通信講座を受けるにしても、お金がかかる。幸い日本は中学校までは無料で受けられるわけで、これはとても有り難いことだ。

③試験などを経験することで、努力をすること、競争することなどを学べる。

勉強というのは単に自分だけのものではなく、他人との競争の材料にもなる。これも賛否両論あって、学問で競争するのはおかしい、受験戦争は子どもをダメにするという意見もあるが、確かに過度な競争で子どもが疲弊し、勉強以外のことが出来なくなることは問題だが、これは勉強とか、受験が悪いわけではなく、何にでも当てはまるように、過ぎたるは及ばざるが如しということであり、受験戦争が悪いわけではない。私は受験よりフェアな戦いはなく、ボランティアで加点されたり、流行りのAO入試(内容にもよるが)などの方がよっぽど不公平に思える。貧乏だろうが、なんだろうが、とりあえず一生懸命勉強すればいい大学には入れて、いい教育が受けられるシステムの方がよほど健全だと思う。

④人生というのはずっと勉強の連続だから。

学生時代は先程から書いているように、定期試験や受験などが目標になって勉強をするだろうが、実は社会人になっても勉強は続く。会社に入ればその道の勉強が必要になる。会計の勉強だったり、語学の勉強だったり、科学だったり、または資格を取るなど、とにかく勉強の連続で、学生時代の勉強した経験というのが、とても重要になってくる。勉強に慣れていないと、なかなかいきなり勉強するのは難しいものである。何故なら、勉強のスタイルというのは人によって違い、自分はどのように勉強したらいいのかなど、分かっている方が断然早い。

⑤騙されない。

これが実は一番重要かもしれないが、今後、個々人が受け取る情報量は、これまでに比べて増える一方になるはずである。よって、情報の真偽も然ることながら、情報の受け取り方や活用の仕方も、勉強によってある程度基礎知識がある人とない人では、その処理能力に大きな差が出る。よって、騙されないというのは、単に詐欺に遭わないということだけでなく、それが例え正しい情報であったとしても、間違った方向に導かれたり、または変に洗脳されてしまったり、人生を棒に振ることすら考えられる。もちろん、それは勉強だけで回避出来るものばかりではないかもしれないが、少なくても勉強は役に立つはずである。

そして、ここまで書いてみて、子どもにどう伝えるのか悩ましい。簡潔に、そして的確にこれらのことを伝えるにはどうしたらいいのか。

小学生向けなら、大きくなるためにたくさんご飯を食べて、運動して強い身体を作ることも大事だけど、頭も鍛えないといけないんだ。頭を鍛える方法は色々あるけど、勉強はとてもいいから、運動するみたいに勉強も頑張ってみて!くらいだろうかと思う。中学生や高校生になれば、きっと上記のような細かい話も理解出来るようになるはずだ。