仕事は暇つぶしについて part1

私よく、仕事は暇つぶしだと言う。すると、 それを聞くみんなの反応は決まって、“そりゃそうだよね。 仕事なんて適当にやっていればいいんだよね。 なんか気持ちが楽になったわ!”と、こんな感じだ。 私はこの言葉をそう理解して、元気になる人を止めない。 それはそれでいいのだ。仕事のプレッシャーで潰されそうになり、 仕事からの束縛を受け、プライベートの時間もなくなり、 心が解放されなかったり、 例え休日が訪れても仕事のことが頭を離れなかったり、 そんな逃れられない圧迫感のなかで心は病み、鬱になっていき、 やがて死を選ぶような人を少しでも救えているのであれば、 それはそれで本望だからだ。

しかし、私がこう言うのは、 多くの人が誤解しているように決して仕事を軽視しているからではなく、 むしろ仕事ということが人生において、とても大事なものであり、 かけがいのないものであると思っているからなのだ。

暇つぶしということと、 かけがいのないものとの整合性がないと思われるが故に、いや、 その整合性に気が付かないが故に、みんなが私の言葉を誤解し、 この暇つぶしという言葉を聞いて、 なにやら免罪符を手にしたような気持になるようだ。しかし、私は私で、 さっきも書いたようにその誤解が決して悪いことではないから否定しないので、美しい勘違いはそのまま放置されてきた。ただ、 その勘違いを解いて、 なんとなく自分の本当に言いたいことを書いてみるというのも、 いいことなので、今回筆を取ってみた。 このように文章を書くということ最大の利点は、 相手の反応を気にせず、 最後まで自分の言いたいことを言い通せることである。 会話の中だと、どうしても相手の反応に左右され、 お互いの心地の良い場所に落ち着こうとするため、 上記のようなことが起きても、放置せざるを得ないからだ。 何度も言うが、それはそれでいいのだが。

 

まず、仕事ということの特徴を考えてみる。 仕事と一言で言っても、その種類は数え切れないほどあり、 さらにそれらは新しく生まれたり、また突然なくなったり、 時代や場所によって、その種類や内容はどんどん変化していく。 ただ、ほぼどんな仕事でも共通して言えることは有り、 それはまず、①自分に居場所を与えること、②給料(対価) が発生すること、③目標があることである。もちろん、② について、仕事をしているのに、給料が未払いであるとか、 そんなことがあるかもしれないが、 それは仕事がどうこうというより、雇い主の問題であったり、 その仕事の内容の問題であったりするので、 一般的な仕事の特徴としては、 やはり上記の3つが挙げられると思う。 辞書で仕事の定義を調べたわけではないので、 もっと別の言い方が本当は一般的なのかもしれないが、ここでは、 まずこのように考えてみることにしたい。

まず前提として、仕事が嫌になる人は多い。それは夢が叶って、 ミュージシャンになったって、野球選手になったって、 または希望の会社に入社しても、自分の力で自営業をやっても、 同じである。挙句の果ては、“楽しくないから仕事なんだ”とか、 “苦しいからお金がもらえるんだ”とか、“ 楽してお金は手に入らない”とか、“仕事は成長の場だ”とか、 色んなことを言ってみたりして、 なんとなく自分の苦境に理由をつけている人を多くみてきた。 私にとってみると、どれもピンこないことばかりだが、 不思議とみんな同じことを言う。仕事をする(社会に出て働く) と、世の中の仕組みがわかるとか、 社会経験がないのはダメ人間だとか、 そんなことを言う人も出てくる。全くそんなことはなく、 私の会社生活からみると、会社に勤めている人は、 逆に会社外のことには無頓着で、その専門、 またはそれに関連するの市場や製品、その顧客には詳しいが、 一方、それとは無関係の事に関して言えば、 よっぽど学生時代の方が知識や興味は幅広く、 人として魅力的な人が多かった。 それは会社員だけに言えることではない。 仕事をしているほぼ全ての人に言えることであると思う。 詳しくは知らないが、きっと野球選手だって、 野球の事以外にはほぼ無頓着であり、 漁師だって魚に関すること以外本来、知る必要もない。 つまり何が言いたいのかと言えば、 仕事上で得られる知識や経験は限られていて、 決して成長しているわけではなく、むしろ限定されて、 深く知っていくだけだと言いたいのだ。つまり、仕事をしたからと言って人間的な成長はなく、そのためか、 一般的に一度社会に出たあと、また別の仕事を探す際に、 前職からの類似点のあるところ、 つまり前職をなんらかの形で生かせるところへしか普通は行けないことが多い。全く初めての場所に行き、 また新たなことを学ぶ勇気と努力があれば別だが、 一朝一夕でできることは限られており、 また会社も自分の持っているスキルを生かせるところへ配置できるようになんとなく動いているので、 そういう風に仕事を変えていくのがいいのだと思う。つまり、 仕事によって人は成長するということはない。 簡単にそれを証明しようと思えば、 今自分の隣の席で仕事をしている人を見てみれば良い。彼、 または彼女が日々仕事によって、 魅力的に成長しているように見えるか、ということである。 上記でも述べた専門知識やその仕事をこなすのに必要な知識や経験は増えているだろうが、果たして人間的な成長をしているのか、 よく観察してもらいたい。そして、 そんな知識や経験なんて遊んでいたって増える。よって、 人を成長させるという観点から仕事が他の行動より優れているとは 言えないと思っている。

話がだいぶ逸れたが、仕事を嫌になる人が多いなかで、 仕事が辛いのが当たり前であるかのように説き、そして、 それから一生逃れられないような言い方で人々を縛る人々がいることに対し、私は違う見方を持っている。 仕事は決して嫌なものではなく、むしろ有難いものであり、 それは、お金をもらえるからでもなく、 成長させてもらえるからでもなく、“暇を潰してくれる” からなのである。

ここにきて、ようやくタイトルとつながる。