人生の楽しみについて

以前書いたように、人生というのは、与えられた時間(暇)をどう過ごしていくのかというゲームである。そんななかで、仕事をしていると、色々な要素によって、暇は潰せるのでいいのだが、やっぱり楽しみもあった方がいい。

楽しみには大きく分けて2つの要素がある。一つは、自分なりに努力をして得られる楽しみと、もう一つは、何もしなくても、待ってるだけで得られる楽しみ、である。人生でどちらが大事なのかといえば、もちろん後者の、何もしなくても得られる楽しみである。

まず、前者はどんなものがあるかと言えば、美味しいお店で食べる、好きな映画を観る、友達と遊ぶ、もう少し努力すると、大学受験に合格する、結婚する、出世する、さらに努力したら、ホームラン王になる、金メダルを取る、社長になるとか、どんどん達成が難しくなる。これはこれで人生の目標となったりして、大切なのだが、これを求めすぎて、他人を傷つけてしまったり、挫折したり、人生に余計な負荷をかけてしまう人もいるので、気をつけたいし、一番の問題は、自分がそれを達成したことで、達成出来なかった人を生んでしまうこともあることである。

よって、今回紹介したいのは、後者である。

一番分かりやすいのは、天気である。黙っていても、いつかは晴れる。晴れるとなんか嬉しい。しかし、晴れていても、太陽と海、太陽と山、太陽と木や花などの組み合わせなら気分も良くなるが、コンクリートやビルなどとは相性が悪い。なので、タワマンに住んで、土を感じず、さらに景色がコンクリートジャングルでは、鬱になりやすいのかもしれない。似たようなもので、満月もある。ある時、なんとなく月を見ていて、満月だと思わず、あっ満月だ!と言ってしまうし、それだけで嬉しくなる。月に一回は見たいものである。あとは、夜空であればオリオン座が見えたり、北極星が見えたりするのも、なんとなく楽しいし、昼間であれば、遠くに虹が見えるのも楽しい。さらに、日の出や日入りも感動的である。

季節の移り変わりも見ていて嬉しくなるので、楽しみの一つだ。なんと言っても、卒業入学•入社などに合わせて咲く桜から我々の季節は始まる。そして、紫陽花が咲き、向日葵が咲き、秋桜が咲き、紅葉を経て、冬を過ぎると、梅が咲く。何にもしなくても、季節の草花が楽しませてくれる。そして、虫たちもまた季節の移り変わりを楽しませてくれるが、私は特に夏の蝉の声が大好きで、蝉の声を聞くと気分が高揚し、それがいつの間にか聞こえなくなると、秋の鈴虫になるのもまた、毎年の楽しみである。春になって、ちょうちょが飛び始め、バッタで出てきて、蝉がくる流れもまた素晴らしい。

そして、果物もまた不作豊作はあるものの、毎年楽しめる。いちごから始まり、さくらんぼ、スイカ、桃、ブドウと春から夏に一気に美味しい果物を食べたかと思えば、秋からは冬には、梨、柿、りんご、みかんと続いていく。冬の寒さとみかんの相性がまた最高だ。もちろん、実際に旬の果物を食べるのもいいが、あっスイカだ!とか、スーパーで見かけるだけで、人生は楽しくなる。

また、趣向は少し変わるが、イベントもまた楽しい。入学式で近所の子供たちが初々しく、ウキウキ、ドキドキしながら新生活を迎えているのを横目で見るのは嬉しいし、5月になれば、鯉のぼりが出てきたり、ゴールデンウィークがあったり、7月の七夕が終わると、8月に夏休み、そしてお盆。9月はシルバーウィークで、10月11月に七五三、12月にはクリスマスと忘年会。正月休みのあとは、受験生のことを考えながら、雛祭りと卒業シーズン。これに、家族や友人の誕生日とか、何かの記念日が入ると、嬉しいイベントがまた増える。何もしなくたって誕生日は来るし、年をとるのが嫌だから、誕生日は来ないで欲しいという人がいるが、誕生日が来なくても年は取るし、そもそも人間が一人一年生きるというのは実は大変なことで、たくさんの人たちに支えられていること、たくさんの命の犠牲、それはベジタリアンだって、野菜を栽培するために大量の虫やなんかが殺されているわけで、一年間生かせてもらった感謝をする日であったっていいわけだ。また、家族や友人に対しては、生きるというのは大変だが、一年生きててくれてありがとう、と感謝し、また来年も祝えるようにと、健康と安全を祈願する日であってもいい。俺の誕生日なんて誰も祝ってくれない、ではなく、その命のために多くの命が犠牲になっていることへ感謝するだけでまた、自分の人生は豊かになる。

こう考えてみると、我々は無理に楽しもうとか、他人よりも人生を充実させようとか、何かを達成しようとか、そんなことは考えなくて良くて、単に日々を暮らすだけで、自然から、または過去の人たちが作ってくれたイベントなんかにより、一年のほとんどは楽しみで溢れてるのだ。もちろん、ここには書いてないが、嫌な日もあるし、辛いこともある。でも、そんな日も、ふと明日〇〇の誕生日だと思うだけで楽しい気持ちになったり、スーパーで柿を見つけてもう秋だなと思うだけでなんか心が安らぐ。

人生は素晴らしいなんて言うつもりはないが、とりあえず衣食住さえ、ある程度満たされていれば、あとは楽しいことだらけなはず。何もしなくても得られる楽しみを、もっとみんなが享受すればいいと思っている。何故ならこれらは、いくら世界中の人がそれを楽しんでも決してなくならないからだ。